イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その98☆「クワイエットルームにようこそ」を観て☆

2012-03-01 20:44:45 | ☆文学? はあ、何だって?☆
                      


 ぎっくり腰で1週間自室にふせっていた最後尾あたり、ようやく寝床から中腰の体勢をとれるようになって、なんとかPCにもむかえるようになり、そのとき youtube でたまたま見た映画がコレでした。
 おととし失業した時から、暇にまかせて自らのウィークポイントである「邦画」を観るように心がけていたんですが、偶然生じたこの「ぎっくり連休」の際にも、その忘れじのポリシーがひさびさ蘇ったとでもいうんでせうか。
 ま、ほんと、腰痛忘れの気分転換に、明るいコメディーでも観て憂さ晴らししたい、といったような動機でしかなかったんです。
 この映画にまつわる前知識も関連情報も、僕にはまったくなかった。
 内田有紀主演っていうけど、その内田有紀ってひと自体ぜんぜん分かんない。(イーダちゃんはTVはまったく見ないんです)名前くらいはかろうじて知っていたけど、その知名度にどうこう刺激されたってわけでもない。
 たまたまJ-MOVIEってコーナーで紹介されてたから、観たまでのことでした。
 なのに、この映画---とってもよかったの…。
 松尾スズキ監督の「クワイエットルームにようこそ」、僕は鑑賞後、思わず呻っちゃいました。
 名画だと思うなあ、コレ---。
 このMOVIE、ストーリー的には非常に単純でして、ま、映画のコピーをそのまま流用すれば、

    佐倉明日香28歳、
    絶望と再生の14日間。

 ということになるんでせうけど。
 うん、28歳、離婚歴のあるフリーライター佐倉明日香は、さまざまなストレスの波状攻撃に見舞われて、ある晩、睡眠薬のオーバードーズでもって、とうとう精神病院に担ぎこまれちゃうんです。
 で、3日にわたる長ーい昏睡状態から目覚めたら、そこは、閉鎖病棟の拘禁室だったという、いきなりのカフカ的スタート。
 たしかな記憶も、オーバードーズの動機も、いまいちはっきりしない。
 真相と現状とのあいだに遠い隔たりが、どうもある。
 しかし、担当の江口看護婦の話によると、どうやら自分は自殺未遂の患者として扱われ、いま現在、拘禁されているらしい。
 ばかな。そんなはずはない。
 そうだ、これは、きっとなんかの間違いなんだ…。
 すぐさま過去下りして真相を知りたがる心と、その確認をいまいち遅らせたがっている、もうひとりのビビリンな自分と---。
 こうして、真っ白けの無機的な「クワイエットルーム」の一室から、ふたしかで曖昧な自分の「過去の傷」をまさぐるように、この主人公・明日香の自分探しの物語がはじまっていくわけ---。
 こう書くといかにも辛気くさい、陰々鬱々なストーリー展開じゃないかと早くも敬遠したくなる方もかなーりいるんでせうけど、この映画、基本的にはコメディなんです。
 しかも、上質な、テンポのいい、ソリッドなコメディとして書かれておりまして。
 特に僕が敬服したのは、全体を貫くPOPなテンポというかリズム感---。
 どっからどう書いてもぬめりがちになるはずのテーマを、話のあちこちにちりばめたギャグで笑かせて、こっちが連鎖状の笑いのヴァリエーションについもまれて、しばしマヒってるあいだに、いままでよりさらにヘヴィーな裏町版人生ストーリーを、どす、どすとつづけざま投げこんでくるの。
 温厚そうな人相のわりに、この監督ったら、そうとう凶悪なストーリーテラーなんですね、はい。
 もっとも、残酷さを伴なわないコメディなんてありえないので、これはいちばん妥当な線の語り口かもしれないんだけど。
 えーと、ヒロインの明日香がいちばんまいっていたじくじく傷は、まえの旦那が自殺しちゃったことなんですね。
 あと、旦那と別れるまえ、旦那にいわずに旦那との子供を堕ろしちゃってたこと。
 このふたつの傷が生きてく上での過剰な重荷になっていた明日香は、別れたあと自活するために働いていた風俗店でもって、いまの亭主---お笑いTV番組の構成作家である「鉄っちゃん」と出会うわけです。
 自分もまえの旦那も「つまんない国」の住人と規定していた明日香は、この「冗談の国」からやってきた王子のような「鉄っちゃん」と意気投合し、たちまち同棲をはじめます。
 「鉄っちゃん」のツテでライターの仕事なんかも入ってきて、生まれてはじめて人生って楽しい、と思いかけたころ---
 「つまんない国」からの悲報が、またもや明日香のもとに届きます。
 実家の父が脳梗塞で死去した、というのです。
 父からかつて「売春婦」と呼ばれ、2度と家には帰らないと決めていた明日香は、家にはやっぱり帰れないけれど、せめて仏壇くらいは送ってやりたいと金を工面して実家の母に仏壇を送ります。
 ところがこれがあんまり巨大すぎて不気味だというんで、ふたりの家に送りかえされてきちゃう。
 いわれて見てみれば、たしかにコレ、冷蔵庫より大きいし、宗派もわからないようなシロモノなんですね。
 どうしよう、と悩むふたり---捨てたいけど、モノがモノだからちょっとなあ…。
 そうこうしているうち、ある夜、2Fで締め切り原稿に呻吟している明日香の耳元に、旦那の笑声が聴こえてきます。
 階段を降りていくと、ハッパでラリってる「鉄っちゃん」とその舎弟のコモノのふたりが、大笑いしながら仏壇をスプレーでギンギンのシルバーに塗りたくっているところ…。
 ハッパのカンビノナール効果とシルバー仏壇のあまりのシュールさに、笑いのとまらないふたり---。
 実の父の仏壇をシルバーに塗られて、怒り心頭の明日香---。
 当然、勃発する、史上最大の大喧嘩---。
 明日香に殴られたり、いろんなモノを投げつけられたりして、怒って夜の町に飲みなおしにでかける「鉄っちゃん」とコモノ。
 家にひとり残された明日香は締め切り原稿を放りだして、アルコールで睡眠薬をガフガフ咽喉から流しこみ、ほとんどやけっぱち、踊るような足取りで奇声をあげながら2Fに駆けあがり、死んだようにベッドにぶっ倒れるのでありました…。

 で、クワイエットルームにやってきたというのが、まあ、明日香というヒロインの大まかクロッキー---。
 その後の閉鎖病棟内においてもさまざまなドラマがあり、それらのドラマもなかなかに面白いんですが、最期の最後、病棟内で乱闘騒ぎをおこして2度目のクワイエットルーム行きになったときの明日香のモノローグが、とってもコレ、感動的でいいんです。
 そこの部分だけ、ねえ、ちょっとだけ抜き書きしておきませうか。

----銀の靴を取りもどしたわたしは、高校生のとき学園祭で演じたドロシーみたいだ。踵を3度鳴らしたら、どこへ帰れるだろうか。
 多分、どこへも行かない。
 わたしは、神様に居場所を選んでもらうため、薬を飲んだ。
 そして、クワイエットルームにたどりついた。それ以上でも以下でもない。最高にめんどくさい女が着地するべき正しい場所に、ただ、いるのだ。
 ようこそ、クワイエットルームへ…。

 5点拘束を受けた明日香が、静かなモノトーンで囁くこのモノローグが、僕はこの映画の白眉だと思う。
 そのあいだじゅう、キャメラは天上近くから、仰向けに横たわった明日香をロングショットで撮ってます。
 このシーン、ふしぎと清らかでいて、いささか神々しくさえもあるんです。
 むかしの僧院っていうのは、ひょっとしてこんな場所だったんじゃないか、と思えてくるくらい。
 ええ、限りなくシリアスでいて、同時に厳かでもあるシーンなんです。
 まるでカトリックの告解室のなかでの、中世の静謐なドラマみたい。
 遠いむかし、世間と自分とのあいだに張られた絆をいったん断ち切って、ひとりぼっちで僧院にこもるのは「聖なる」行為でありました。
 うん、ほとんどコレ、宗教的といっていいほどの深いテーマを扱っている、近来には珍しい「敬虔な」映画なんじゃないのかな?
 ただ、現代においてこの種のテーマを扱う場合、あえてこのような面白おかしいコメディの衣を着せなければならなかった、しかも、現代版の僧院として精神病院の閉鎖病棟というのを舞台に選ばざるを得なかったというのは、なんとも由々しきことじゃわい、と物質主義一辺倒の低層餓鬼道を徘徊するばかりの最近の世相を憂いたくなってもきますけど。

 うーむ、しかしながら、僕は、この映画、大好きですねえ…。
 あんまり気に入ったもんだから、録画してあるのにわざわざDVDまで入手しちゃいました。
 閉鎖病棟って「密室」で展開されるドラマだから、この映画のキモは、役者の芝居に全てがかかってるんですね。
 聴けば、監督の松尾スズキさんというのは舞台出身の方だそうで、鑑賞後、なるほど、これは役者の目線でつくりあげた映画なんだなあ、と、つくづく実感されました。
 ただ、精神病院って場所柄をよりリアルに体感させるために、物凄く巨大な存在を担っていると感じられたのが、患者の「西野」を演じるところの大竹しのぶさんでした。
 彼女の演じる「西野」の存在感が、これがまたすさまじかった。
 蒼井優さんとか中村優子さんとか、超・スバラシイ演技で魅せる患者さんはいっぱいおられましたが、もし大竹しのぶ演じるところのこの「西野」のキャラがなければ、この映画全体の影の彫りが不足してたかもしれない---それはすなわちヒロイン・明日香(内田有紀)のキャラの説得力不足といった致命的な欠陥にも結びついちゃうわけでして---そういった事態に陥らないよう、この映画全般を締め、この映画全体の闇の彫刻部門を「担当」したのが、大竹しのぶさんの演じた「西野」だった、と僕は思うわけ。
 大竹しのぶさん---彼女はひとことでいって、もー「天才」。
 というか、ほとんど魂だけあっちサイドに行っちゃってるひと---ピアノのホロヴィッツや喧嘩界の花形敬なんかの同類ですかね。
 寸止めのためのリミッターが、人格上のどこにもないの。
 狂気の演技をしたら、たちまちモノホンの狂気が、画面いっぱいにぽろぽろと吹きこぼれてくるし。
 演技じゃないよ、本気だよ、これ---って観てるこっちが青くなっちゃって。
 ドン・キホーテで買ってきたような安っぽいジャージに身を包んだ「西野」が画面に現れるたび、僕のぎっくり治療中の背中は軽い緊張を覚えたもんです。
 ええ、来たるべきショーゲキをまえもって受けとめるために、無意識に背筋に緊張が走るんですよ。
 彼女が演じたのは、ズバリ「鬼」そのものですね---低層餓鬼界よりはるばる閉鎖病棟に派遣されてきた「鬼」。誰のなかにもあるエゴイズムを増幅して、鏡のようにそれを送り主のもとへ投げ返す装置としての「鬼」…。
 マジ、怖かった---ええ、「シャイニング」のジャック・ニコルソンより怖かったですね。


                        
               「あんた、正直重いって。でも、生きるってね、すごーく重いことよお---ギャハー!(爆笑して)」 

 あと、ラストシーン---14日の入院を終え、いよいよヒロインの明日香が病院を出るとき、この映画ではじめて野外の風景が映しだされるんですね。
 屋根のない閉塞感からの解放感と、突然解放されたことにやや戸惑っているような、なんとなくすっぽぬけた感じの、ふしぎな存在感のひろーい青空…。
 この空が、なんだか物凄く目に染みるのよ。
 強烈な失恋や自殺未遂なんかを体験したひとは、たぶん、この空に見覚えがあると思う。
 そんな空をバックに、映画のエンディングテーマが流れはじめ、物語はフィナーレに向かうのよ---超・カッコいい、というかあんまりカッコよすぎですって、こりゃあ!(微妙な歓喜に身悶えしつつ)

 というわけで、松尾スズキ監督の「クワイエットルームにようこそ」は、いいですよー。
 まさに逸品! イーダちゃんの推薦印つき、冬の夜長にお薦めの特マルクラスの一本です。
 ハーブティーなんか飲みつつ観たら、自分の人生についてしーんと深く考えこんじゃうこと間違いなし。
 この記事に釣られて「クワイエットルーム」を借りにいって、それ観て「ああ、なるほど、いい映画だなあ、コレは」と思ってくれるひとがいたら、そのささやかな共感はイーダちゃんにとって、なにより大きな喜びであり、慰謝であり、とびきりの御褒美となることでせう---。(^.-;V