◆エデンの園が禁じられて以来、地上は人間の生き残りのための、せめぎあいの煉獄と化した。あらゆる藝術はそれらの葛藤の上に咲く花であり、苦痛と辛吟とを故郷にしている。しかし、グールドだけがそうではない。彼の音楽のうちには、あの失われたエデンの清澄な香気が封印されている。琥珀の中に密閉された恐竜時代の太古の空気のように。純潔だったユートピアの遠い記憶。我々がどうしようもなく彼の藝術に魅かれ、いいようのない郷愁を感じるのは、そのためだ。
◆グールドは自宅のレコーディング・スタジオを「わが僧院」と呼んでいました。これは、グレン・グールドという現象の謎を解くための、もっとも重要な証言のひとつだと思います。
◆グールドの音楽は風化しない。音盤から取りだして聴ける音符の1音1音が、腕のいいガラス職人にたったいま磨きだされたばかりのような色艶でもって、夜空の星々のようにきらめいている。いと清らかに。ピアニスト本人は1982年に死んでいるというのに、彼の紡ぎだした音楽の糸はいま活躍中のどのピアニストよりも新しいのだ。50年前の音源が昨日聴いたコンサート・ホールの音楽より新鮮に響くというこのふしぎ。さらに驚かされることには、このような彼の音楽に、地上的な欲望のいかなる片鱗も見出せないことだ。このような純粋さを抱えたまま職業的音楽家を続けてこれたというのは、まさに驚異だ。あらゆる地上的な意志が、グールドにはあのノアの洪水のように、巨大な残酷さを伴なって感じられたに違いない。
◆グールドはひとつの結晶体ではないか。どこでちぎっても、どこで切断しても、凡てのかけらは同じかたちに分断されている。この結晶化の工程を取りしきったのは誰か? 神だろうね。それ以外に考えようがないから。
◆それまで全然クラッシックなんて興味のなかった女子にグールドのバッハを勧めたことがあるんですよ。最初は彼女、「え~」なんて迷惑そうな顔をしてましたが、翌朝には嬉々としていままで聴いたどの音楽よりよかった、と報告のメールをくれました。なんでも、聴きはじめの最初の10秒足らずで魂まで貫かれた気がした、とのことです。
◆友人ピアニストの言葉---Beatlesの初期の音ってさ、Beatles後期の音より、なんか新しく聴こえるんだよ。ずっとあとに録音された70年代の4人のソロの音もそう、Beatlesの初期音源の音より古びた、セピア色の音楽として聴こえる。あらゆる音楽が風化というこの巨大な現象に抗えないのに、初期Beatlesだけがこの流れから勇ましく屹立している。あ。あとグレン・グールドにもそれと同種の匂いを感じるな、と彼は最後にそっと言い添えました。
◆世界ピアニストの最高峰はあのロシア出身の Vladimir Horowitz だったのではないかと思われるのですが、グールドだけはちょっとそういったピアニストの通常枠ではくくりにくい気がしますね。もっと大きな音楽家という枠を新設しても、ひょっとしてそれにも収まりきれないかもしれない。彼の音楽はそれくらい、あらゆる地上の絆から屹立したものなのです。
◆天使グールド、修行僧グールド、恍惚として歌う巡礼者グールド!
◆宮崎駿の映画「天空の城 ラピュタ」で有名になったスフィストの伝説としてのあのラピュタなんですが、あれ、飛鳥昭雄的にいわせると、どうやら実在するものだというんですよ。先生のいう、その実在するかもしれない「ラピュタ」について考えていたら、ふいにグレン・グールドのピアノを思いだしました。ラピュタとグールド。どう考えてもなんの関連性も見出しにくい両者なのですが、実はどちらにも共通しているところがあったのです。共通項はひとり---ひとりでも奇妙に満ち足りていて、静かな誇りの香気を燐紛のように振り撒きながら、孤独な彗星として、永遠の自転運動をつづけているところ…。
◆グールドって不遜なくらいなんにでも合うのよねえ…。ほら、こんな罪深い姿のいまの私たちにだってしっかり似合ってる……。身体にぴたりと貼りついた本革のボディースーツ、両足には先の尖ったピンヒールを履き、右手でゆっくりと大きく鞭を振りあげて、含み笑いしながらボクの女王サマは言った…。
◆今朝、聖書でマリアの処女受胎の部分を読んでいたら、唐突に頭のなかにグールドの音楽が鳴りわたった。ゴルトベルクの第二変奏のあの駆けだし部分。驚いて聖書を閉じたのだけど、午前中いっぱいグールドのピアノは頭のなかで鳴りつづけた。午すぎのいまも、ほら、まだ少うしだけ鳴っている。
◆グールドの音楽でいちばん好きなのはシベリウスかな?---あのちっちゃなソナチネの第一番。特に三楽章の、窓枠に雪つぶてがカタカタぶつかってくるあたりの部分は何度聴いてもたまらない。あの首筋に少し心地よいような、涼しげな空気のリアルな質感ときたら…。グールドはグリークの血縁だったから、北欧の音楽に親近性があったんじゃないかしら? ああ、あとね、あの片輪走行のせっかちモーツァルトもけっこう好き。
◆グールドの愛犬の名は「ベートーベン」でした。で、愛読書は漱石の「草枕」でした---うーむ、ヘンテコリンでカッコよし。
◆稲垣足穂とグールドは似てると思う。前者は山羊座生まれ、後者は天秤座生まれで、あんまり互いに親和性はないはずなんだけど、どうにも似てる。うそだと思うんなら、ためしにあの「一千一秒物語」を読みながら、BGMにグールドの弾く「ゴルトベルグ」を流してごらん---僕のいうこともあながちホラじゃないよなあ、とあなたも絶対納得できるはず…。
◆1977年に発射された2機のボイジャーには、地球中の音楽を封印したゴールデン・レコードが2枚積まれていました。そのレコード内に、モーツアルトの魔笛の「夜の女王のアリア」なんかとならんで、我等がグールドの奏でる Gouldberg Variations も収められています。この2機の宇宙船が最も地球近くの恒星圏に到着するのは4万年後。4万年のち、このレコードを再生して、グールドのピアノに感銘を受ける最初の異星人は誰でせうか?
◆グールドのあのスーパー・インテリクチャルな文章を真似て、こーんな気取ったページを編んではみたのだけど、あんまり恥ずかしいんで、このページは案外すぐ消しちゃうかもしれません。でも、そうやってこれが幻のページになっちゃえば、かえってグールドっぽいんじゃないかって思えてもくるんですよね---なぜだろう?
----おしまい.(^.-/☆
僕はこのごろ歳のせいか「純潔」というものにやたら魅かれるんです。
ええ、「円熟」より「純潔」のほうがいいですね。
だもんで、グールドからますます離れらんない(笑)
ショック…。
知りませんでした、情報感謝です。
彼、詩人の中原中也氏と仲がよくってね、吉田さんのお部屋で、中也氏が蓄音機のネジを巻いいて、ふたりしてSPでバッハのオルガン曲を聴いて、中也氏が、やっぱり自分で聴くレコードは自分でネジを巻かないと聴いた気がしないよなあ、といってたというエピソードなんかは、もう僕のなか深くに染みついちゃっているお話のひとつです。
吉田氏からのお話には、そのように深いところまで染みてくる、いいものがいっぱいあったと記憶しています。
惜しい方を亡くしましたね---合掌。