イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その144☆金城哲夫のオキナワ<ウルトラセブン「ノンマルトの使者」論>☆

2013-07-07 03:17:00 | ☆文学? はあ、何だって?☆
                 

 幼少のみぎり、イーダちゃんは、大阪の諏訪ノ森って地の、とある団地に住んでおりました。
 で、その当時、ちょうど第一回目の「ウルトラセブン」の放映がはじまっていたんです---たしか、日曜の夜の7時枠だった思う。
 いまでこそ僕はテレビというものを忌避する、大変ひねくれたスレスレの大人に育っちゃいましたが、このころはもうテレビに夢中でした。
 まして、本格ヒーローものの「セブン」は別格---あれ、子供向けの後年の「ウルトラシリーズ」とはまるでちがったものでしたから。
 いまでこそ「セブン」は、他の「ウルトラシリーズ」群からひときわ抜きんでた最高峰という世評が確立されていますけど、その評価、当然だと思いますねえ。
 うむ、「セブン」は別格でした。
 高度であり、かつ深かった。
 テーマも重くて、厳密にいえば、「子供向け」といったジャンルからはみだしていたかもしれない。
 実際、前作の「ウルトラマン」にくらべて、視聴率はじゃっかん落ちこんでたそうです。
 当時幼稚園児だった僕にしても、話が深淵すぎて理解できないことが多かったのは、まぎれもない事実。
 でもね、その「分かんない」とこがよかったんだなあ、実は。
 「ウルトラセブン」には、大人社会のビターな矛盾の芳香が、たんと香っておりました。
 それに、世相といったものもある---当時は、なにもかもが熱く、マジメで深刻だったかの60年代---ビートルズもジャニスもジミヘンも現役でバリバリやってたころです。
 そのような、ある意味怪物みたいな時代、その影響をモロに受けて、「ウルトラセブン」は、深刻に悩み、苦吟し、よろめきながらブラウン管のなかで咆哮しておりました。
 そう、はっきりいって、「セブン」は、暗かったんです。
 暗くて、ことさらに重かった。
 「セブン」の敵役は、「ウルトラマン」のような怪獣じゃなくて、だいたいが異星人でした。
 異星人が地球を侵略してくる---その図式は「マン」からの継続なんですが、彼等には彼等なりの「侵略せざるを得ない事情がある」---そのヘンのやむにやまれぬ大人事情にあえてスポットをあてていたんですね。
 そりゃあ、暗くもなるわいな---侵略者の裏事情にも斟酌してみる、なんて。
 それじゃあ、単純な勧善懲悪は成りたたない。
 おかげで苦闘の末、「悪」を倒しても、あんま嬉しくない。

----え? 俺たち、あれだけの数の異星人を滅ぼしちゃったけど、あれ、ホントに正しかったのかな…?

 何が正義で何が悪なのか、そのへんのラインが見分けられないダークな世界。
 必然的に「闘い」は、疑惑と苦悩とをまじえた、むにょむにょに複雑なモノにあいなっちゃう---。
 実相寺昭雄さんの覗き見するような変質的カメラワークの毎度の効果もあいまって、「軽み」がカッコよかったあの80年代とは対極の、いわば「暗さ」が基調をなす、独自のほの暗い世界を構築していたんです。
 そのような玄妙世界を構築するキーパーソンとしての中心人物に、脚本家の金城哲夫氏がおりました。
 彼は、沖縄戦のとき幼少期であり、アメリカ軍の機銃掃射ですぐ隣りにいた母親が脚を吹きとばされたのをまざまざと見てしまう、というスサマジイ体験の持ち主でした。(過去形にしたのは、残念ながら氏がすでに故人であるためです)
 僕のいちばん好きなセブン第37話、非常にリリカルな逸品である「盗まれたウルトラアイ」をお書きになった脚本家の上原正三氏によりますと、金城の生地のオキナワにばかり視点をあてすぎるのはよくない、それじゃあ金城の作家としての広大な資質を本来よりすぼめて見ることになってしまう、というのですが、僕は、やっぱりここで金城氏の原点である「オキナワ」にあくまでこだわってみたいわけ。
 だって、黙して語らずにいても、おのずから滲みでてきてしまうもの---それが、原点なんですから。

 で、肝心なその「ノンマルトの使者」の筋書きの紹介、そそっといきませうか---。


                      

 ある夏。バカンスで海に訪れていたダンとアンヌのもとに、ふいにジモティーっぽい少年・真市クンが現れるんです。
 彼は、沖で海底開発をしている大規模なプラントを指さして、ダンとアンヌに「あの海底開発をいますぐやめさせて!」と、しきりに直訴する。
 でも、人類側の視点に立つダンとアンヌからすると、この少年の直訴が理解できないわけ。

----真市クン、どうしてそんなこというの? 海底資源の開発は私たちのためになることなのよ。

----そうだよ。人類がもっと豊かになるためには、海底の開発は避けて通れないことなんだからね。

 けれども、この少年はかたくなな瞳の光をさらに強くして、

----ちがうよ…。人間は海がなくとも生きていけるだろ? でも、ノンマルトはちがう、海でしか生きられないんだ。ノンマルトから海を取りあげないであげて…。海底はノンマルトのものなんだ!

 少年の必死の言葉に、思わず顔を見あわせるふたり---。

----ノンマルト? ノンマルトってなあに…?

----ノンマルトはね、人間のまえに地球に住んでいた地球の先住民だよ。ノンマルトは平和が好きで、優しくて弱いんだ。大むかし、どんどん増えはじめた人間とはじめは戦ったけど、とてもかなわなくて、海底に追いやられ、いまも海底でひっそり暮らしてるんだ。ノンマルトは大人しいんだ。人間が攻めなければなんにもしない。でも、海まで取りあげられたらノンマルトは生きられない。そうなったらノンマルトも戦うよ。でも、僕は、そんなことさせたくないんだ。だから、ここにきてこんなこと頼んでるんだ。ねえ、ウルトラ警備隊にいって、海底開発をやめさせて…!

 少年がそういいおえた直後、ふいに沖の海底プラントが爆発しちゃう---いまさっきの少年の言葉を裏付けるように。
 爆発したプラントのことをウルトラ警備隊に知らせにいったふたりが再び海辺にもどると、その少年はもういなくなっているんです…。

 ノンマルトの兵器、怪獣・ガイロスが、海底プラントを破壊して沖で暴れています。
 ダンは、それを見て、ウルトラアイでセブンに変身しようとする。
 すると、さっきまでいなかった真市クンが、ダンの目のまえにふいに現れるんです。
 そして、ほとんど悲鳴のように、

----やめて! セブンにならないで!

 子供の無垢な声は、ダンの胸を掻きむしります。
 ダンは、反対側にターンして、そこでセブンに変わろうとする。
 すると、そこにも真市クンが現れる---とおせんぼするみたいに大きく両手を広げて。

----やめて! ノンマルトと戦わないで! ノンマルトは弱いんだ。闘いなんて嫌いなんだ…!

 しかし、ダンは苦渋に満ちた声色でいいます、

----真市クン、僕はいかなけれないけないんだ…。

 そして、セブンに変身する。
 すると、真市クンは、

----ウルトラセブンのバカヤローッ!!

 といいながら、海に駆け去っていくんです。
 このウルトラセブンのバカヤローッってセリフをはじめて聴いたとき、僕は幼稚園児でしたけど、胸がドキッと高鳴ったこと、いまでもはっきりと記憶しています。
 フツーのヒーローものでは発せられるはずのないこのセリフは、僕の幼い胸を瞬時のうちに焼きました。

----待てよ。もし、このコがいってるように、ノンマルトが地球の先住民なら、わるいのは人間のほうじゃないか。人間の「開発」っていうのが、すなわちノンマルトにとっての「侵略」じゃないか。だとしたら、人間とセブンのほうが侵略者? まさか。そんなことがあっていいんだろうか…?

 しかし、そんな小さな静止者の声なき声は誰にも届かず、ウルトラセブンは怪獣ガイロスを難なく倒し、ウルトラ警備隊は、海底にあるノンマルトの都市を発見します。
 警備隊の責任者・キリヤマ隊長にもダン経由で真市クンの情報は入ってきています。
 その情報に、一瞬、キリヤマ隊長も躊躇する。

----ノンマルトが地球の先住民だって…? まさか。そんなことがあるわけがない。あんなのは、所詮埒もない子供のたわごとだ…。あれは、まちがいなく侵略者の前線基地だ。そうでなくてなんだ? いまやらなくては、我々のほうが逆にやられる…。

 そして、キリヤマ隊長は決断します。

----全軍、攻撃せよ! ノンマルトの基地を焼き払え!

 ウルトラ警備隊の最新兵器のまえに、ノンマルトの都市は爆発し、跡形もなく四散していきます。
 海底都市の破片。巻きあがるあぶくと大渦…。

----やった! これで海底は我々のものだ!

 歓喜して叫ぶキリヤマ隊長。
 その顔が、インディアンを滅ぼしたカスター将軍や、ベトナムを焼き払ったアメリカ軍の将校の顔と一瞬二重映しになって、僕は、ちょっとばかり戦慄しました…。


                     ×             ×             ×


                                

 かようなホンを書いたのが、かの金城哲夫さんだったんですねえ。
 もう絶句---凄いオトコです、このひとは。
 いまだってこんなドラマはなかなか作れませんってば。スポンサー筋は大概の場合、単純な勧善懲悪モノか、無難な恋愛モノなんかを好むもんですからね。
 事実、2008年の1月、忌野清志郎のパンクバンド「タイマーズ」の歌「FMトーキョー」なんかあっというまに放送禁止になっちゃったもん。

----FMトーキョー、腐ったラジオ
  FMトーキョー、政治家の手先ィ
  なんでもかんでも放送禁止さぁ!

  FMトーキョー、腐ったラジオ
  FMトーキョー、コソコソすんじゃねぇ
  オマ○コ野郎、FMトーキョー…
     (忌野清志郎「FMトーキョー」より)

 清志郎は、当時から原子力発電反対の歌なんかもいっぱい歌ってたんですね。
 ほかにも「草加学会の歌」とかヤバイ歌もいっぱい歌ってた。
 でも、軒並みみーんな放送禁止になっちゃった。
 放送禁止攻撃はRCサクセションの歌にまで及び、RCが流されなくなって、清志郎はそーとー切迫した、とも聴いています。
 しかし、彼の姿勢のほうが正しかったことは、いまじゃ誰もが知ってます。
 ですけど、放送局も政治もマスコミも、大会社も財界も、すべては、結局キリヤマ隊長のサイドだったんですよね。
 ノンマルトの権利や幸福なんて歯牙にもかけず、
 理や筋なんてなんのその、それこそ全軍突撃で、己の利潤のために弱者の正義はただ圧殺してゆくのみ。
 当時も---そして、もちろん今も…。

----うーん、するってえと…この金城さんの描いた「ノンマルト」って、結局のところ一体誰だったんだろう?

 もしかすると「ノンマルト」とは、米軍と取り引きされ本土から見捨てられた、金城さんの故郷・オキナワの民の象徴だったのかもしれない。
 あるいは、ヤマトの民に追われて、遠く蝦夷の地まで追いやられたアイヌの民の比喩だったのかも。
 いや、もっと身近なところで、白人に追われたインディアン(ネイティヴ)の立場を表したかったんじゃないか。
 うんにゃ、それをういなら、当時確立されたばかりの公民権法をせめてもの後ろ盾に、あいかわらず呻吟していたアメリカのブラックパワー全体の苦渋の動向をそれとなく香らしていたんじゃないのかしら?
 エトセトラ、エトセトラ……。

 僕はねえ、このノンマルトっていうのは、この世におけるあらゆる弱者の代名詞として編みだした、金城さん独自のボキャブラ用語だったんじゃないか、と読みたいんだなあ。
 金城さんのアタマのなかには、常に弱者がいて、彼は、そのひとたちのことを片時も忘れなかった。
 その意味で、僕は、彼は熱い魂を宿した、真性の意味での「作家」だった、その資格を有していた稀人だった、と思います。
 単なる多彩なストーリーテラーなんかじゃ全然ないのよ、このひとは。
 世の中の、陽のあたらないところにいる、弱い、はかないひとたちのことをふと思ったとき、彼のアタマに即座に「ノンマルト」という単語が閃いたわけで。
 そのコトバの語感には、彼の故郷であったオキナワの陽光のまぶしさ、南の国の乾いた空気感がそこはかとなく混入していて、その南方の淡い香りが、いつでも僕を魅了します。
 金城哲夫氏は、1976年、37才で不慮の事故により逝去されます。
 いいオトコってなぜかみーんな若死にしちゃうんだよねえ---でも、金城さん、僕はいまでもあなたの作品がとても好きなんですよ---と呟きつつ、今夜のところはこれでキーボードから離れることにしませうか---お休みなさい---。(-.-)zzz
 
 
 

 
 




 

 

 
 
 

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