イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その217☆ ジョン・レノンの引力圏 ☆

2015-10-11 10:16:55 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆



 最近、ジョン・レノンをよく聴いてます。
 十代、20代のころはそれこそ熱狂的に聴いてたけど、30代からはパーカーやホロヴィッツ、ブルーズやブラック・ミュージック、民族音楽、 Jazz、Classic なんかのほうにいっちゃって、正直いうとビートルズやジョンとはちょっと距離あいてたんですよ。
 僕、特に、ブルーズは超・好きなんでありまして…。
 ライトニン・ホプキンスなんか実の叔父貴のように思ってるし、ブルーズ畑とはやや土壌がちがうけど、パーカーやホロヴィッツの超・天才にいたっては、いまだにいうべき言葉もありません。
 褒める言葉すら見つからないって感じ?---凄すぎて。
 彼等ふたりが到達した場所は、ダ・ヴィンチがいった場所より高かった、と僕は思ってる。
 30代中途から、ジョンとは自然に離れていきました。
 むかしの親友との関係とやや似た流れでもって、そうやってあいた隙間自体を淋しむ気持も惜しむ気持ちもいくらかはあったけど、これは、自分じゃどうしょもなかった。
 でも、あれから十年以上もたって、最近またジョン・レノンにもどってきた---。
 春分点回帰とでもいうのかな? 質量のある巨きな懐かしい惑星からようやくのこと離脱したのかな、と思ったていたら、ああ、僕、いまだに彼の引力圏内にいたんですね。
 その小さな発見にちょっと驚いて、でも、心のどっかでなんだかホッとして。
 いまになってみると、このレノン・リターンは、必然の運命っだったような気もします。
 特に深夜---ベランダで煙草なんか喫いながらウオークマンでジョンのあのピカピカの声を聴いてると、そのことがまざまざと染みるように実感されます。
 それから、僕は、いつも次のように考えるんです。
 純粋に音楽的な才能の見地からだけ光をあてたら、ひょっとしてジョン・レノンっていうのは、天才中の天才チャーリー・パーカーやウラディミール・ホロヴィッツ、あるいはグレン・グールドやジミヘンみたいな才能のモンスターみたいな連中とくらべると、いくらか「格落ち」するのかもしれない。
 うん、むろん、ジョンだってまぎれもない天才族のひとりなんですけど。
 ヴォーカルは僕なんかがいうまでもなく凄いし、リズム感、ノリ、リアルティー、ユーモアと正直さ、閃き、それに、超・独創的な世界を構築できるあの作詞作曲の才…。
 ただ、僕は、ありあまるほどの巨大な才能に恵まれ、それらの才能に引きずられるように生き、ある意味、ニンゲンとして壊れた生涯を駆け足で走りぬけていかざるをえなかった、純粋培養の才能マリオネットみたいだった彼等とジョン・レノンとのあいだに、なんともいえない微妙な差異を見つけるんです。

 これは、過去記事 徒然その148☆歌姫の系譜(藤圭子から Billie Holiday まで)☆ でもいったんだけど、天才っていうのは、本質的にはみんな巫女巫女星人なんだ、と僕は思う。
 チャーリー・パーカーやモーツァルトなんて、まさにその典型ですよね?
 神が自分に仕込んだ天分の種を育てるのが何よりの人生の目的であって、他人に受けるか、世間で認められるかはどうかなんて二の次。
 フツーはその逆なんだけどね、彼等・天才族にかぎってはそうじゃない。
 モーツァルトは独立して困窮しても「ハイドンセット」みたいな商業的に無意味な曲を書きつづけたし、パーカーはモダンジャズを創設したけど、同時代のシナトラみたいにリッチになったなんていうことはまったくなかった。
 ちょっと古いけどオランダのゴッホなんかもそうですよね?---生涯を通じて売れた絵はたったの2枚きり。
 誰も彼のことを画家と認めてくれなくて、ただの変人だと生涯思われつづけて、で、結局、認められないまま死んじゃった。
 大抵のひとは成功の栄冠にむけて自分の人生をセッティングしてくもんなんだけど、彼等・純粋な天才族はちがうんスよ。
 まず、自分を突き動かす強力無比な創作衝動がありき。
 それだけが猛烈に大事---で、あとの残りものは全部些事なの---自分が社会的に成功できるかどうかも、自分がニンゲンとして幸福になれるかどうかも、さらにいうなら自分の命すら些事なのよ。
 死ぬも生きるもどうでもよし、殺されたってかまわない、利じゃない、損得なんかどーでもいい---この作品を完成できさえすれば…!

 このほとんど先験的な「覚悟」が、彼等の作品には隅々までぴっちり貼りついいて、彼等の作品に一種特別な、ある意味「天上的な」香気を添えているのを、ぜひにも体感されてください。
 彼等は、聖人じゃなかった、みんな俗人の、いわゆるアーティストと呼称される種族でありました。
 ただね、彼等の芸術の動機は、複雑玄妙・卑俗下賤なこの下界において、なんというか非常に単純なんですよ。
 
----ただ、やりたかったから…。

 ほんのそれだけ---この単純素朴な動機の美しさは、もう見ているこっちの心がまぶしがるほど。
 いいなあって思います。
 ああ、羨ましい、こんな風に生きれたらなあって思います。
 元ビートルズのリーダーであったジョン・レノンも、このような天才族の一員であったことは、皆さんもたぶん了承してくれるでせう。
 ただ、ジョン・レノンには、過去の天才たちとは全然ちがう点がひとつありました。
 それは、音楽活動をはじめたごく初期において、過去の天才たちが夢想だにできなかった、過去にまったく例がないほどの、圧倒的かつ世界的な、空前の大成功をおさめてしまった、という一点です。
 ジョン・レノン以前には、メディアの未発達といったハード原因もあり、世界的成功というのはなかった(Elvis はのぞく)。
 生前に自らの成功の美酒を味わえた数少ない一例として、あのベートーベンなんかもあげられるでせうが、ベートーベンの成功は、やはりヨーロッパの文化が届く範囲の圏内にかぎられておりました。
 自らの死の200年後に、自分のつくった交響曲が後世レコードやCDといったメディアに録音されて、それが東洋の果ての海辺の町々まで届けられ、それを耳にした少年少女を激しく感動させるなんてことは、およそ想像の外の出来事であったことでせう。(なにしろこの時代には録音機すらなかったんだからむりだってばさ!)
 そういったひとたちとジョンとはまったくちがう---なぜなら、ジョンは、音楽家なら誰でも憧れるであろう、音楽商売というものがはじまって以来最大の夢の成功を、20代の前半において、すでに経験してしまっていたのです。
 ビートルズの前人未踏の大成功は、あまりも巨大すぎて、先人の誰ひとり経験したことのないものでした。
 やることなすこと全てが最上の結果に結びつく---「ヘルプ!」から「ラバーソウル」へのカラーのカーヴも、「サージェントペパー」の実験も、メンバーの結束が崩れだしたやや幻滅色の「ホワイトアルバム」さえ、なんら排斥されることなく、むしろ新しい時代の探検船として、すべてが歓迎され、世界中の若者たちの新しい文化となっていくのです。
 これだけの「マス」を相手に、たったこれだけの人数で、これほどの仕事をしたニンゲンっていうのは、僕は、歴史上ほかにいないと思う。
 ショービジの世界だからってみんな軽く見てるけど、これ、確実にひとつの「奇跡」ですよ。
 ジョン自身が茶化していったこともあるけど、うん、実際、あれはキリストのもたらした変革より上だったでせう。
 キリストをけなそうっていうんじゃないから、そのへんは誤解なきよう---ただ、キリストって時代的にあまりに古すぎるじゃないですか? 生身のキリストの言葉は、誰も聴いてない---それに、新約聖書のプロデューサーはギリシア型論争の最強の覇者・パウロですからね。
 聖書内のどこまでがキリストの言葉で、どこまでがプロデューサーの演出なのか、誰も知らないし分からない。
 僕ぁ、キリストは好きですよ。
 けどね、ビートルズの強みっていうのは、それが起こったのが、なにより現代の「いま」って場所だったことです。
 同時代の「マス」にむけて、しかも、メンバー個々の肉声でもって、直接世界にむかって語りかけることができたっていう一点です。
 文献学の領域じゃないのよ---「ビートルズ」は、音楽家なら誰もが夢見るだろう「マス」への伝播を、60年代のマスメディアを通じて空前の規模で行うことができた、たぶん、最初のひとたちでした。
 そして、その探索船の創始者であり、かつ船長でもあったのが、誰あろう、かのジョン・レノンそのひとだったのです…。

 誰もあまりいわないんだけど、僕は、ジョンが体験したこの異様な経験っていうのは、フツーのニンゲンには耐えられないような、過酷なものだったんじゃなかったのかな、と、よく思うんです。
 勲章をもらっただけで、イギリス中がもう喧々囂々非難の嵐。
 キリスト発言をすれば、アメリカ中でたちまちビートルズのレコードがばちばち焼かれたり---。
 どこにいっても降りそそぐ好奇の視線と無数のフラッシュ、隙あらばと罠を仕掛けてくる底意地のわるいインタヴューアーとゴシップ屋、あと隅のほうからいつも狙っている匿名の敵意。
 薄っぺらの阿諛追従。
 挨拶代わりのお世辞にほのかなジェラス。
 金のにほいを嗅ぎつけて今日も馴れ馴れしくすり寄ってくる、紳士面した餓鬼に鬼ども…。
 多くの芸能人や政治家も似たような経験はしてるんでせうが、なにせ天下のビートルズですからね---そこいらの政治家や芸能人とはクラスが段違いなわけ---影の暗さ・深さ・醜さも並じゃなかったでせう。
 うん、これは明らかに一種の「修羅道」だよ。
 僕は、この異様な「地獄潜り」を体験したために、ジョン・レノンってニンゲンはものすごーく消耗したって思ってる。
 このジョンの「地獄潜り」を僕に強く感じさせたのは、ジョンの以下のような発言でした。

----ジョンが「ぜひ歌右衛門に会わせてくれ」というので、まあ私は歌右衛門さんとも懇意にしてましたから「隅田川」が終わってから楽屋に行ったんですねえ。そのときに奈落を通って行ったわけですが、奈落はどこも汚いですからねえ、私は「すみません、こんな汚いところを通って…」といったら、「私は世界中いたるところを回って歩いていて、これ以上に汚い奈落を知ってるからどうぞお気遣いなく」というんですねえ……。(羽黒堂店主・木村東助「ジョンが芭蕉と出会った日」より転載)



 相棒のポール・マッカートニーもおなじ「地獄潜り」をくぐりぬけたひとですけど、ポールってほら、一介のミュージシャンって木枠に自分をするりと収めようとするスマートさが身上のひとじゃないですか?
 音楽的才能に関しては天才だと思うし、「マジカル」のあのシュールなかっ翔んだ世界には、僕もしたたか打ちのめされました。
 でも、ひとことでいって、ポールの才能の核は、僕は、コンポーザーだと思うのよ。
 いわば、職人という型にくるまることによって、彼は、そのような異様な体験から自分をうまく護ってきたわけ。
 ま、世渡り上手な歩行法とでもいうべきものを、ポールは実践してきたんです。
 だけれど、ジョンはちがってた---そんな風なムーンウォークで切り抜けるには、彼の背骨はあまりに詩人すぎた。
 それに、彼は、歴史上例がないくらいの、むちゃくちゃな正直者でした。
 だから、僕は、世界がビートルズにむけてきた無数の刃を受けとめたのは、全部ジョンだった、と思っているの。
 ジョージは印度という「アリバイ」に逃げることができた。
 リンゴは、ドラマーという脇役的ポジションでかろうじて守られた。
 じゃあ、ジョン・レノンは…?

 はい、ここですかさずオノ・ヨーコを持ちだしてきたそこの貴方、貴方の意見は正解です---!
 でも、正解はしょせん正解どまり---それ以上のもんじゃない---ジョンがジョージにおける印度のように、ヨーコさんをシェルターとして使いたかったという気持ちは、たしかに当時のジョンのなかにはあった、と思う。
 けど、あのジョンですからね---あの凄まじくアグレッシヴな Twist Ans Shout や 尖りまくりの Money を歌いきったあのジョンが、そーんな穴蔵にいつまでもおとなしくこもっていられるわきゃあない。
 ビートルズ解散後いくらかして、ジョンは、NYのダコダアパートで隠遁の主夫生活に入りましたが、案の定、ジョンは、生来の凄まじいばかりの存在感を凛凛と発揮しはじめました。
 レコードも出してない、ヒットチャートからも消えちゃった、テレビや雑誌でも取りあげなくなった、日本でいうなら「ほとんど過去のひと」となりかけた、このNY時代のジョンほど僕の興味を引くジョンはありません。
 歌を歌っていても、リズムギターをかき鳴らしてても、いつでも僕を打ちのめしていたのは、ジョン・レノンというひとりの男の独自の存在感でした。
 その強力無比な「存在感」が、表舞台から退いたぶんだけ、かえって顕著に見えてきた時期とでもいいませうか?
 僕だけじゃない、エルトン・ジョンも、デヴィット・ボワイも、ミック・ジャガーも、みーんなジョンのことを気にしてました。
 当時、ポール・マッカートニーは、ビートルズ解散なんてどこ吹く風、自ら作ったニューバンド「ウイングス」(いまになってみるとコレ中央競馬会関連のかおりのする名だねえ)で売れまくってましたが、ポールの才能には、ジョン・レノンのなかにあった、あの「限界を突き破った破調の愕き」みたいなモノは、やはりなかった。
 ポールの音楽は、ポップで、センスがあってキャッチーで、以前と同様それなりに素敵でしたが、やっぱり…ビートルズ時代のそれと比べると、なにかが欠けているように感じざるをえなかった。
 なにが欠けていたのか---?
 うん、ジョン・レノンの「存在感」が、そこに欠けていたのです…。

 ジョンと別れたあとのポール・マッカートニーは、「元ビートルズのポール」という看板を堂々とぶらさげながら---そのへんがジョンとまったくベクトルちがうとこが面白いっスね?---一音楽家として、例の恐ろしく器用なメチエでもって、いろんなタイプの曲を量産していきました。
 「心のラヴソング」
 「あの娘におせっかい」
 「マイ・ラヴ」
 「バンド・オン・ザ・ラン」
 「幸せのノック」
 「ハイハイハイ」
 どれもポップで、キャッチーで、スイートときどきややビターだったもんだから、どの曲も実によく売れた。
 ポールは凄いっスよ---だって、彼、なんでもできる。
 でも、僕は、ウイングスのLP---当時はLPでした、うん、懐かしいな---を聴くたびに、その色彩の面白さに魅せられて「きゅっ」とはなったんだけど、そ「きゅっ」のあとが、なんかモノ足りない…。
 ていうか、あまりにも「ポップ屋」になりすぎたポールが、はっきりいって僕は嫌いでした。
 だから、ポールの新譜を聴いたあとに、ストーンズやジミヘンやスライなんかを聴きなおして、まあ口なおしみたいなことをいつもやってたんですよ。
 そうそう、ブルーズなんか聴きはじめたのも、ちょうどこのころのことでした。
 でも、2、3時間の音楽遍歴のあともどってくるのは、いつだってジョンでした。
 「イマジン」
 「平和の祈りをこめて-トロント・ライヴ-」
 「マインド・ゲームス」
 そして、なんといっても重厚な鐘の音ではじまる、あの「ジョン魂(たま)」…。



 
 あれ聴いたらもうね---ジョン・レノンという幹から切れ離されたポールが、糸の切れた凧みたいに、北北東のからっ風に巻かれて塵まじりの俗界の地に運ばれて失速していった気持ち、分かりましたね。
 そう、ビートルズ後期のポールの実験と飛翔は、ジョン・レノンという幹があればこそ可能なものだったんですよ。
 安心して頼りきれる、ジョン・レノンという重心があったから、ポールは安心しきって、さまざまな枝葉を思う存分伸ばせたってわけ。
 ひょっとしたら、それは甘えの感情の入りまざった、全面的なもたれかかりに近い、子供が母親に抱くような、魔法じみた、ほぼ無意識の、無条件・全面的な信頼だったかもしれない。
 ビートルズのCDを聴くたびに、僕は、ジョン以外のメンバー---ポールはもちろんジョージからも、リンゴからも、これを感じないときはありません。
 ジョン・レノンの「存在感」っていうのは、それくらい凄い---ええ、異国の東洋の未熟な一少年がレコードの音越しにぴりりと感知できるほどに。

 「印度放浪」の藤原新也氏によると、印度では表現者なんてものはまったく尊敬されないそうです。(いまの印度は知らないよ、でも、あれだけ巨大な国だから、根本のとこはやっぱ変わってないと思う)
 芸術家の地位がこれほど高くなったのは、僕はヨーロッパ文化の影響だと思うんだけど、こと印度に関していうなら、このヨーロッパ流の瀟洒な美学は印度ではどうやらいまだ通用しない通貨のようです。
 じゃあ、印度では誰が尊敬されるのか? といえば、これが「存在者」だっていうんだから面白い。

----こう書いてしまうと、ぼくはヒッピーたちと対等に出会ったように見えてしまうが、彼との場合もそうだが、ぼくは、インドでヒッピーたちと出会うたびに、劣等感に悩まされ続けたのである。インドのようなところで<生>の行為のみをよりどころとする人間の前に立てば、行為をいつも表現に結びつけようとする者は、まことにぶざまである。ぼくに関して具体的にいうなら、ヒッピーに向ってカメラを向けるときの耐えがたい屈辱感がそれを示す。しかしそれがぼくのいつわらざる旅だった。
   (中略)
 そして、インドという土地は、すぐ人の嘘を暴いて見せる。何しろ、自分の体を左右半分に割って、どちらが高貴でどちらが愚劣であるというような、不可能に近い潔癖を示そうとしている人々のいる土地だ。右があれば左もあるといった二次元的な宇宙感覚や生活感覚を持ってこの土地にはいった者は、自分がさらに潔癖であらねばならぬことを強いられて、嘘がなくとも白状しなければならない、本当のように見えることも嘘になってしまうのだから。ひょっとするとこれは嘘ではないか、と自分でうすうす気づいているような嘘は、たちどころに根っからの嘘になってしまう‥。(藤原新也「印度放浪」より)


 だとすると、ジョン・レノンっていうのは、もの凄ーく印度的な存在だったってことになる。
 一時期ヨーロッパ的な視座で印度と関わったジョージ・ハリソンよりずっと。
 うん、そういった意味でここで僕がカメラのアングルを向けたいのは、「存在者・ジョン・レノン」なんですよ。
 僕は、ジョンには会ったことがなくて、せいぜいのとこ声と映像くらいしか知らないから、これはなんともいえないんだけど、ジョンと接触のあったひとからいわせると、やっぱりジョンの存在感っていうのは相当のもんだったようです。

「ぬぼーっとしてて、あんまり喋らないんだるけど、なんかそこにいるって感じがすごくするの。それと、凄い客観的。撃たれたときも、<撃たれた>っていったって聴いて、ああ、ジョンらしいな、と思ったわ」とか---

「ジョンのそばにいって瞳を覗きこめば、それだけでジョンが深い心を持った聡明な人間だってことは誰でも分かります」とか…。

 ほかにもジョンの存在感について語った発言はいっぱいあります。
 でも、あえてこれ以上似たような発言を集めなくても、僕がこの記事冒頭にUPした写真を見れば、あと、ジョンに寄りそうように座る、下のミック・ジャガーの風情を見てもらえれば、僕のいいたいことはだいたい飲みこんでもらえるんじゃないかな?


                  

 このロックンロールサーカスのミックの写真は、たまたま目がクスリで翔んでる感じですが、ロックンロールサーカスの実映像のほうを見ていただければ、ミックがジョンに頼りきって、ほとんど甘えるような口調で喋っているのを誰でも見ることができます。
 ポールを含めたビートルズのメンバーも、このときのミックとおなじような心理状態にたえずいて、それがほとんど日常化していたんじゃないか、というのが僕の推測。
 
----ジョンがリーダーさ。そう、彼が、チーフ・ビートルだよ…!(P・マッカートニー)

 でも、それはあくまで前期か中期までのことであって、A HardDay's Night の絶頂期のころを過ぎると、だんだんとビートルズのハンドルは、相棒のポールが握ることが多くなっていきました。
 解散間際の「レット・イット・ビー」なんか観てると、あまりにもあれポール中心に撮られてるんで、レノン・フリークの僕としては、いつも不愉快な思いに駆られてしまう。
 ただ、あの映画でいちばん印象的なシーンはというと、やっぱりジョン絡みになっちゃうんですよ---元気に「ゲットバック」を歌う、出番の多いポールのほうじゃなくて。
 たとえば、ジョージの弾く「アイ・ミー・マイン」にあわせて、ふっとジョンが立ちあがって、脇のヨーコの手をとり、閑散としたスタジオ内を悲しげに踊りだすとこ。
 あと、屋上ライヴの最後にジョンの口にするあの白茶けたジョーク、

----これでオーディションには受かったかな…?

 有名なあのセリフを投げ、くるりと背を向けるジョンが、やっぱり僕のなかではいちばんに印象的ですね。
 というか、ポールは最初から最後までほとんど出ずっぱりに出てるんだけど、彼の存在感ってなぜだか希薄なんですよ、僕にとって。
 「レット・イット・ビー」の映画のポールは、崩壊寸前のビートルズを建てなおそうとしてもう懸命、けれども、なんか「やり手部長」だとか「部長のこれほどのがんばり」だとか、そのような役職しか見えてこない。
 そのひと独自の強い存在感っていうのは、僕は、ほとんど感じない。
 だから、「レット・イット・ビー」の映画のいちばんのキモは、ジョージの弾くワルツのギター・リズムにあわせて、ジョンがヨーコと一緒に閑散としたスタジオ内をくるくると舞う---あのシーンに尽きる、と思う。
 あれが、ビートルズって稀代のバンドから「魂」が抜けていく歴史的瞬間なんです---。

                   
                         ×            ×            ×

 ジョン・レノンってふしぎです。
 よくいう「器の広いひと」ってイメージじゃぜんぜんない。
 勝新みたいに豪放磊落じゃまったくないし、頼れるマッチョな親分って感じでもない。
 幾星霜がすぎ、いまや僕はジョンの年齢をこえちゃいましたけど、いまだに僕はジョンのことを憧れの兄貴、みたいな視点で見上げてる。
 ちょっとばかりブランクの時期はありましたけど、こうしてまた僕はジョン・レノンの引力圏に引きもどされてきた。
 これが、いいことなのかわるいことなのか、進歩なのか退行なのかは、よくわかりません。
 ただ、ひとつだけいえるのは、僕がこの圏内にいるときの居心地がとてもいいってこと。
 ええ、ほかのどんな場所にいるよりもずっと…。

 ジョンの誕生日の10.9に間にあわせようと思ってコレ書いてたんだけど、なんか、締め切りすぎちゃいましたね--- w
 でも、まあ遅ればせながらいいませうか---Happy Birthday,Jhon---!
 いまも世界は騒然として、貴方の「イマジン」にはぜんぜん近づいてません。
 むしろ、貴方の逝った80年よりずっとエゴに、野蛮になっている。
 爆弾の雨は今日も降ってるし、飢えている子供も、難民も、苦しんいるひともいっぱいいる。
 けどね、貴方のいったように、僕等、なんとかやっていきますよ---。
 ときどきメゲそうになることもそりゃああるけど、それはそれ、行く道はたったひとつ---極めてシンプル--- Love & Piece それだけなんだから。

 長い便りになりました---今夜はこのへんで筆を置きたく思います---お休みなさい……。(^o-y☆





 
 
 
 


 


 
 
 
 



 
  

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3 コメント

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こんばんは。 (プロフィア乗り)
2015-10-12 21:07:23
ジョン・レノン「イマジン」は思い出深い横浜ジャックモールでよく流れていましたね♪(現在は閉鎖して全く別の施設になってるとか…)

印度といえば、出張に行った台湾でろくに読めもしない中国語のメニューに印度華哩と書いてあったので注文してみたところ、喉元が火事になった記憶があります。

「K美姉と東池袋バンド」を我がガラケーからアクセスしようと試みてみましたが、どうやら不通の御様子ですm(_ _)m

生演奏聴ける日を、とても楽しみにしてますね(^O^)

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プロフィアさんへ (イーダちゃん)
2015-10-14 00:19:41
プロフィアさん、毎度どうもです!

台湾に行かれたことあるんですか。いいなあ。

僕は、アジアはほとんど知らないんで、そーゆー話は羨ましいです。

「RKブギ!」
機会があればぜひご視聴ください!(^。-y☆
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RKブギ! (プロフィア乗り)
2015-10-23 18:56:21
動画見ました(^O^)

ギターとサックス&姉さんナイスですね。

K兄貴のブログにコメ入れようとしたら、ガラケー規制掛かったみたいなのでよろしくです。

月末は職場で請求書バトルが激しく鎌倉に行けませんが、また集まってホッピー啜りたいですね。

櫻井BBA裁判長からつまらない手紙来ましたけど、またよろしくですm(_ _)m

※竹内文書も近々購入してみます(^O^)

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