齋藤信幸のロングステイ!米国・カナダ・中国・台湾・韓国・フィリピン・イタリアなどへの旅行体験やカミサンポをご紹介 

60歳を過ぎてそこそこのお金とほぼほぼ時間のある今、長期旅行に挑戦しましょう。そして大切な妻とカミサンポ。

まだ見ぬアメリカ - ウエスト・バージニア州(5)- 代表的な食べ物

2024-01-27 23:45:30 | アメリカ東部
この二週間、刑務所とお墓(遺跡)の話が続いたので、食べ物の話をして気分転換。

アメリカの食べ物と言えば、ハンバーガー、ホットドッグ、ステーキ、BBQなどが思い浮かぶ。ハムがたっぷり入ったサンドイッチや具沢山のピザもうまい。



カリフォルニアであれば隣接するメキシコの料理をはじめ、アジアからの移民が多いので中華料理や韓国料理、日本食、タイ料理、ベトナム料理、インド料理、中近東の料理、アフリカ料理などなど何でもござれ状態。

ちなみに、カリフォルニアの人種の構成は、40.1%が非ヒスパニック系白人、ヒスパニック系が37.6%、アフリカ系アメリカ人は5.8%、アジア系アメリカ人は12.8%、アメリカ・インディアンは0.4%、混血は2.6%となっている。 まさに人種のるつぼ。これが食文化にも影響を与えている。

では、アパラチア山脈にあるウエスト・バージニア州の人種構成はどうか。

非ヒスパニック系白人約93%、アフリカ系アメリカ人約3%、ヒスパニック約1%、アジア系約1%。ほぼ非ヒスパニック系白人の州。

自己申告による祖先構成比は、イギリス系 (35.2%)、ドイツ系 (17.2%)、アイルランド系 (8%)、スコットランド・アイルランド系 (5%)、およびイタリア系 (4.8%)。

こうなるとウエスト・バージニア州ではアジア系の料理は期待できない。

が、ウエスト・バージニア州の名物料理(Signature Foods)を調べてみた。サイトにより若干、差異はあるが必ず出てくるのがペパロニロール。

1930年頃にイタリア人のパン屋が作り、炭鉱作業員たちがランチ用に持ち込み、現在、人気のスナックとなったもので、この州の公式ステートフード(State Food)。
いかにも炭鉱で栄えた州らしいエピソードの食べ物だ。「元祖、ペパロニ・ロール」なる店がありそうだ。

でも、あまり美味そうには見えない。



我が家の近所にペパロニ・ロール(ベーグルですが)を売っている店があるが、もっと出来見栄えは良く、もちろん旨い。

アメリカの食べ物でもっとセンス良くしてほしいものの一つがパン。パンは、味、種類、見栄え、すべて日本の方が上だ。
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まだ見ぬアメリカ - ウエスト・バージニア州(4)- アデナ文化遺跡って?

2024-01-21 00:33:08 | アメリカ東部
マウンド(Mound)という盛り土をした墓を目にしたのは2018年の米国南部旅行の計画を立てていたときであった。マウンドは、盛り土、円丘、塚の意味で、野球で言えばピッチャーがキャッチャーに向かって投げる少し高くなっている場所である。

先週紹介した元刑務所がある町、マウンズビル(Moundsville)の町名になっているマウンドは古代の墓である。高さ62フィート(19メータ)、直径240フィート(72メータ)の、米国で最大の円錐形の古墳の1つである。



アデナ文化時代である紀元前250年から150年の間に作られたとされる。アデナ文化(Adena)は、オハイオ州を中心に紀元前1000頃から紀元前後に栄えた文化だそうだ。

アデナ文化遺跡は、オハイオ州南部を中心にインディアナ州のオハイオ州との隣接地、ケンタッキー州北部、ペンシルベニア州の南西部、ウェストヴァージニア州の北西部に分布しているとのこと。

米国にこのような遺跡があることは、日本ではあまり知られていないが、考えてみれば北米大陸に古代から人が住んでいても不思議はない。ただ、このような遺跡が発見されたのは1838年と歴史は浅い。

マウンズビルのマウンドは「The Grave Creek Mound」と呼ばれ、州立公園となっている。場所は先週紹介した元刑務所の前。元刑務所と合わせて行けば良い。

ちなみに、コロラド州にあるメサヴェルデ国立公園の岩窟住居(世界文化遺産)は、プエブロ文化の遺跡であり12世紀ごろのものである。

<2000メートルを超える高地にあり広さは210.4平方キロ、2日必要>
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まだ見ぬアメリカ - ウエスト・バージニア州(3)- 「羊たちの沈黙」を思い起こさせる「West Virginia Penitentiary」って何?

2024-01-14 00:39:39 | アメリカ西部
今回の下調べでもっとも行きたい場所となったのが、「West Virginia Penitentiary」。1886年に建設され1995年まで使われていた刑務所だ。

刑務所跡として有名なのはサンフランシスコ湾に浮かぶアルカトラズ島。

「アルカトラズからの脱出」など数々の映画の舞台になっており、あのギャング、アル・カポネも収監されていた。

今は完全に観光地化されており、カリフォルニアの青い空のせいか暗さは全くない。







一方、ウエスト・バージニア元刑務所は、ゴシック様式の造りと気候のせいか、収監されていた囚人たちの怨念がまだ残っているような雰囲気を醸し出している。



現在はマウンズビル経済開発評議会(Moundsville Economic Development Council)の本部として一部使われているようだが、このおどろおどろしさを活かしたツアー・催しが設けられている。

具体的には、Guided Day Tours、Photography Tour、Public Ghost Hunt(お化け狩り)、ESCAPE THE PEN、Thriller Thursday(木曜日のスリラーツアー)、Twilight Tour(夕暮れツアー)、Private Paranormal Investigations(個人的超常現象調査)。

物足りない方用には、一晩、ここで過ごすプランもあるそうだ。

詳細を知りたい方は、下記、ホームページをどうぞ・・・・
https://wvpentours.com/

なんとなく「羊たちの沈黙」のハンニバル・レクター博士が例のマスクを着けて出てきそうである。

ここはウエスト・バージニア州最高の見どころだ。

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まだ見ぬアメリカ - ウエスト・バージニア州(2)- 南北戦争最激戦の場所ハーパーズ・フェリー

2024-01-07 10:22:55 | アメリカ東部
2024年の最初の記事は、米国最貧州ウエスト・バージニア州のハーパーズ・フェリー(Harpers Ferry)という町の話からスタート。

まだ見ぬ米国12州の中からウエスト・バージニア州を最初に選んだ理由は、最も行く気にならない州だからであった。しかし、調べてみると、最貧州ではなるが治安は全米平均よりも良く、国立公園ができ、歴史的に重要な町もあり、モチベーションは少し上がってきた。

その歴史的に重要な町の一つがハーパーズ・フェリー。一部が国立歴史公園(NHP)に指定されており、街並みがきれいでカミさんも喜んでくれそうだ。

Harpers Ferry National Historical Park (U.S. National Park Service)

ハーパーズ・フェリーは、ワシントンD.C.から北西へ約100km、ウェストバージニア州の最東端の町で、メリーランド州とバージニア州との境となっているポトマック川とシェナンドー川との合流点に位置する。人口は約300人。







ハーパーズ・フェリーは南北戦争における激戦地「ハーパーズ・フェリーの戦い」として知られ、1733年に入植者によって渡し船(フェリー)が設けられ、1747年にこれを買い取ったロバート・ハーパーが自分の名を付けて「ハーパーズ・フェリー」と呼ばれるようになった。山に囲まれた土地で、日本の関ケ原をイメージするとよいかも。

1859年10月16日には過激派の奴隷制度廃止運動家であったジョン・ブラウンらが、この町の武器庫を襲撃したが失敗に終わり、ブラウンは捕らえられて、同年12月2日絞首刑に処せられた。この事件は南部の独立、南北戦争開戦の一因になったとされる。

『アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書』(J.M.バーダマン著、村田薫訳、㈱ジャパンブック)にも、この顛末が記述されている。

ハーパーズ・フェリーの戦い(Battle of Harpers Ferry)は、南北戦争のメリーランド方面作戦の一部として1862年9月12日から9月15日にかけて行われた戦い。ロバート・E・リー将軍の南軍がメリーランド州に侵攻したとき、その一部であるストーンウォール・ジャクソンの軍団がハーパーズ・フェリーの北軍守備隊を包囲して砲撃し、降伏させた。南北戦争の中で北軍最大の降伏となった。

南北戦争は、1861年4月12日から1865年4月9日にかけて、北部のアメリカ合衆国と合衆国から分離した南部のアメリカ連合国の間で行われた内戦。奴隷制存続を主張するミシシッピ州など南部11州が合衆国を脱退してアメリカ連合国を結成。合衆国にとどまった北部23州との間で戦争となった。

日本語で「南北戦争」と言われる戦争だが、米国のWeb Siteではそれに相当する言葉、例えば、War between south and north statesと言った言葉は見当たらない。ほとんどがThe Civil Warという言葉で「内戦」の意味である。

その他には、州間戦争(War Between the States)、反逆の戦争 (War of the Rebellion)、南部独立戦争(War for Southern Independence)、第二次米国革命(Second American Revolution)、 北部侵略の戦争 (War of Northern Aggression)といったネーミングがあるそうだ。

南北戦争は、1861年4月12日から1865年4月9日にかけて、北部のアメリカ合衆国と合衆国から分離した南部のアメリカ連合国の間で行われた内戦。奴隷制存続を主張するミシシッピ州など南部11州が合衆国を脱退してアメリカ連合国を結成。合衆国にとどまった北部23州との間で戦争となった。

中国語や日本語、および朝鮮語では北部と南部の間の戦争という意味の言葉「南北戦争」が広く使われている。1867年にアメリカ留学中だった新島襄が書簡に「南北戦争」という言葉を用いているほか、岩倉使節団の『特命全権大使米欧回覧実記』(1873年)や『福翁自伝』(1897年頃)に「南北戦争」の名称が登場しており、軍事史学者の友清雄士は日本史や中国史における南北朝時代の表現が下地になったと想定しているとのこと。

さて、次回はウエスト・バージニア州でもっともおどろおどろしい陰気な場所を紹介。そこは休み中の調査で一番興味をひかれた場所だが2024年最初の記事にはふさわしくないと思いハーパーズ・フェリーにした訳。
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