齋藤信幸のロングステイ!米国・カナダ・中国・台湾・韓国・フィリピン・イタリアなどへの旅行体験やカミサンポをご紹介 

60歳を過ぎてそこそこのお金とほぼほぼ時間のある今、長期旅行に挑戦しましょう。そして大切な妻とカミサンポ。

まだ見ぬアメリカ - オクラホマ州(9)- ソウルフード - 名前に騙されるな

2024-09-27 23:19:26 | アメリカ西部
チキン・フライド・ステーキ(Chicken Fried Steak)

鳥の胸肉を叩いて平たくのばして衣を着けて揚げた米国南部お得意のフライドチキンの延長線上の料理

かと思ったが・・・・・・





さて、そのチキン・フライド・ステーキとは。

そもそも鶏肉ではなく牛肉で、その牛肉に衣をつけて揚げたもの。

レシピがフライドチキンに似ていることからそのような名前が付いたそうな。紛らわしい!!

その起源は19世紀にドイツあるいはオーストリア移民がウィンナーシュニッツェルのレシピを持ち込んだことにあるといわれている。

ウィンナーシュニッツェルは、仔牛肉をミートハンマーで叩いて薄くし、細かいパン粉を付けて揚げたもの。

確かに同じだ。

グレイビーソース(写真上)やコショウの利いたミルクグレイビー(写真下)を添えて提供される。

オクラホマ州のみならずテキサス州も含めた米国南部の料理。

最近、似たようなソースがのった冷やし中華を食べた。



BUTA KINの冷やし中華。米国南部料理ではないらしい。

これも絶品。
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まだ見ぬアメリカ - オクラホマ州(8)- あとは何がある

2024-09-21 23:09:32 | アメリカ中部
オクラホマといえば、竜巻街道、ルート66、それにまつわるスタインベックの『怒りの葡萄』、先住民族の本部・・・・・

その他、ショッピングカートを発明したといわれる地元スーパーの経営者シルヴァン・ゴールドマン。

1995年に起きたテロ、168名が犠牲になったオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件。その慰霊碑などがある公園。





オクラホマシティの国立カーボーイ&ウエスターン・ヘリテージ博物館(National Cowboy & Western Heritage Musium。

自然の雄大さはロッキー山脈以西の州にはかなわないが、オクラホマシティの南西約100マイル(160キロ)のところにあるウィチタ・マウンテンズ国立野生動物保護区(Wichita mountains wildlife refuge)は多くのYoutubeで紹介されており、アメリカンバッファローなどの野生動物に会えるそうだ。

その保護区の入り口の町メディスンパーク(Medicine Park)は、1908年、オクラホマ州上院議員になりたての若て弁護士、エルマー・トーマスによって設立されたリゾート。

2018年、エクスペディアがメディスンパークを「...アメリカで5番目に美しい町」に選出。

ただ、メディスンパークは人口410人ほどの小さな町。

Youtubeで見る限り、繁忙期に行かないと閑散としているようだ。



オクラホマには、メディスンパークのような小さが趣のある町がいくつかある。

例えば、Ada, Eufaula, Claremore, Bartleville, Sulphur, Pauls Valley, Broken Bow, Guthrie, Perry

日本で言えば小京都と呼ばれる町々。

オクラホマだけ旅行するなら、これらの町を訪ねてオクラホマ州を一周するのもよいであろう。

さて、来週はオクラホマのローカルフード。

<旅費が貯まるまでは、近隣で。『武蔵野・ロストハイウェイ』重版おめでとう>

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まだ見ぬアメリカ - オクラホマ州(7)- 「俺たちに明日はない:ボニーとクライド」

2024-09-15 23:37:07 | アメリカ中部
オクラホマシティからルート66でシカゴ方面に向かい、ミズーリ州の玄関口にあるのがジョプリン。

<写真右上の青い丸がジョプリン:Joplin>


この町のルート66沿いの古い町並みは、The National Register of Historic Places に登録された建物が沢山残る。

この街には「ボニー&クライド」のような無法者達が住み、ここを拠点にあちこちで強盗を働いていた時代があった。

車を使う彼らにとってルート66は必須の道路であった。テキサスやオクラホマ、ミズーリ、イリノイあたりで暴れまくったのであろう。

また、当時、警察は州をまたいでの捜査はできなかったため、州境の町ジョプリンは便利な町だったといえる。

先の「ボニー&クライド」は、ボニー・パーカー(1910年10月1日 ~1934年5月23日)とクライド・バロウ(1909年3月24日 ~1934年5月23日)の実在したカップル。

当時のアメリカは禁酒法と世界恐慌のもとにあり、その憂さを晴らすように犯罪を繰り返す彼等の事を凶悪犯であるにもかかわらず、新聞も含めて英雄視。

<ルイジアナ州で射殺された際の新聞記事>


死後33年たった1967年公開の映画「俺たちに明日はない(原題:Bonnie and Clyde ボニー&クライド)」で彼らの生きざまが描かれている。

<映画化されたBonnie and Clyde。ウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウェイが主演>


<日本の漫画「武蔵野 ロストハイウェイ」は日本版Bonnie。ちょっと無理がある>

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まだ見ぬアメリカ - オクラホマ州(6)- ルート66のマニアックな楽しみ方

2024-09-07 23:47:58 | アメリカ中部
ルート66も色んな楽しみ方がある。

国道66号線は、1926年に国道の1つとして創設。
https://blog.goo.ne.jp/admin/entries
英語的に言いやすく、聞きやすいという理由でゾロ目の番号66があてられた。

1927年、オクラホマ州タルサに国道66号線協会が発足、国道66号線の舗装促進、利用者増加を目指した。

同協会の働きかけにより、1938年、国道66号線は全米の国道で初めての舗装道路となった。

一方、国道66号線の衰退は、1956年、アイゼンハワー大統領が連邦補助高速道路法に調印したことにより始まった。

1953年、国道66号線の初のバイパスとなるターナー・ターンパイクがオクラホマ州タルサ~オクラホマシティ間に開通。

全長88マイル(141km)におよぶこの有料道路は国道66号線と並行し、沿道の町を迂回して走っていた。

このバイパスは1957年にウィル・ロジャース・ターンパイクとつながり、タルサ~オクラホマシティ両市とミズーリ州の州境の町ジョプリンとを結んだ。

このウィル・ロジャース・ターンパイクも、国道66号線に並行し、沿道のオクラホマ州北東部やカンザス州内の町をバイパスして走った。

映画「カーズ」で描かれたルート66の衰退の始まりだ。

<Oklahoma CityからTulsa、Joplinへとつながる緑の道路がバイパス(ターンパイク)>


<よく見るとルート66が並行して走っているのが分かる>


日本からオクラホマシティに到着し、ルート66を楽しむなら、上記のバイパスで一気にジョプリンまで北上。

そこから国道66でのんびりも戻るコースが良さそうだ。

往復するのは無駄なような気もするが、旧道と新道を使い分けることにより、ルート66の歴史を味わえる。

なんてことを考えながら地図をみて妄想旅行を楽しむ夏いや秋の夜。

そこに知人から電話。

彼女と別れ、「別の女性」と傷心旅行。それもルート66へ。くそ~!

<これはルート66ではなくニューメキシコのタオスへ向かう道。道路標識を見るだけでもアメリカを感じる>


<何もなくても良い。思いっきり走れれば>
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まだ見ぬアメリカ - オクラホマ州(5)- ルート66をのんびり楽しみたい、そして竜巻

2024-08-25 11:27:45 | アメリカ中部
映画「ツイスターズ(原題)」を見~た~。

1996年のパニック映画「ツイスター」の続編というだけあって、その内容を踏まえたううえでレベルアップ。

映画館で爆睡が得意のカミさんも今度ばかりは一睡もせず。

映画の舞台はトルネードアレイ、オクラホマ。

やはり、本物を見たい!



さて、オクラホマ州のもう一つの魅力がルート66。

同州を東西に横切っており、その距離、約350マイル(560km)。

丹念に旧道を探していけば、以下の資料のように400マイルあるようだ。



ルート66は、イリノイ州シカゴとカルフォルニア州LAのサンタモニカを結ぶかつての国道。

全長3,755km(2,347マイル)。資料によって数字が異なるのは、何回かルートが変更されたからか。

1926年指定。州間高速道路いわゆるフリーウェアの発達によりその役目を終え、1985年に廃線となった。

フリーウェアの発達により旧道にある町が衰退していく様子は、ディズニーの映画「カーズ」で描かれている。

ルート66にはいくつかの別名があった。

・グレート・ダイアゴナル・ウェイ(The Great Diagonal Way)
  ルート66が建設されたとき、シカゴ・オクラホマシティ間を斜めに結んでいたことからこの名がつけられた。
 ちなみに多くの国道は斜めではなく東西または南北を基本としており、東西を結ぶ国道は偶数、南北を結ぶ国道は奇数の番号が振られる。

・メイン・ストリート・オブ・アメリカ(The Main Street of America) - ルート66のプロモーションに使用。わかりやすい名前。

・マザー・ロード(The Mother Road)
 ジョン・スタインベックの小説、『怒りの葡萄』の中でこのように呼ばれ、ルート66の別名として定着。


・ウィル・ロジャース・ハイウェイ(The Will Rogers Highway)
 1952年に国道66号線協会(US Highway 66 Association)によって公式な別名として制定。
 しかし、スタインベックにはかなわなかったようでマザー・ロードが定着。

このルート66の約560キロがオクラホマ州内にあり、沿道には、大きなシロナガスクジラ、大きな牛乳瓶が建物、石油労働者の像(Golden Driller statue)など・・・・・

あまり研究しすぎて見慣れてしまうと、現地での感動が薄れるのでほどほどに。

沿線にはプライベートなものも含め博物館が多いが、オクラホマシティの西、エルク市にある

国立ルート 66 および交通博物館(National Route 66 & Transportation Museum)は是非行きたい。

<研究しすぎないようにと思いつつも研究中。TVドラマのルート66は、テーマソング以外、ほとんどルート66と関係なし>


<オクラホマに行けるようになるまでは近隣で散歩>
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まだ見ぬアメリカ - オクラホマ州(4)- Tornado Alley ツイッターの世界

2024-08-18 10:59:16 | アメリカ中部
オクラホマは、大好きな自然現象「竜巻」の多発地帯「Tornado Alley」。

< 藤田スケールでF5級の竜巻も発生。規模の大きな竜巻を見てみたい>


米国の南部・中部では春先から夏にかけてメキシコ湾から来る暖かい湿った空気と、カナダから降りてくる冷たい空気がぶつかり、大きな前線が形成される。

そこにスーパーセルと呼ばれる巨大な積乱雲ができ、その下に竜巻が発生する。場合によっては複数。

春先はルイジアナ州やミシシッピー州などの南部に前線が発生。季節とともに、それが段々、北上し、オクラホマ州やカンサス州、ネブラスカ州にやってくる。

2018年3月、ニューオリンズに行ったとき、アラバマ大学に竜巻が来たとのニュースを見た。

また、2015年のカナダ旅行では、雹(ひょう)が降った後、小規模な竜巻を目撃した。

現在、上映されている映画「ツイスターズ(原題)」は、1996年のパニック映画「ツイスター」の続編。

DVDを買い、何回も見たが、「ツイスター」は、竜巻を追いかける研究者グループ、いわゆる、竜巻チェイサーを主人公にしたパニック映画。

「ジュラシック・パーク」を手がけたマイケル・クライトンが脚本、スティーブン・スピルバーグ監督が製作総指揮。監督は「スピード」のヤン・デ・ボン、というそうそうたる陣容。そして、当時としては驚異的なVFX技術であった。

さて、「ツイッターズ」(「ズ」と複数になっている)はどうか。本日、見に行く。

『ザリガニの鳴くところ』のデイジー・エドガー・ジョーンズが主演女優。楽しみだ。

本物の竜巻を是非、オクラホマで見よう!多分、6月がベストシーズン。

<これは前作「ツイッター」>


< 普段の土日は武蔵野散策>
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まだ見ぬアメリカ - オクラホマ州(3)- By the time I make Oklahoma

2024-08-10 22:27:04 | アメリカ中部
以下は米国の歌手グレン・キャンベルのヒット曲「恋はフェニックス(By the timeI get to Phenix)」の歌詞。

これはYoutube
Glen Campbell - By The Time I Get To Phoenix (youtube.com)


主人公の男は彼女と別れるためにLAからアリゾナ州のフェニックス、ニューメキシコ州のアルバカーキそしてオクラホマ州へと遠ざかる。

By the time I get to Phoenix   フェニックスに着くころには
She'll be risin'  彼女は目を覚まし、
She'll find the note I left hangin' ドアのメモを見つけ
On her door
She'll laugh when she reads the part 笑うだろう
That says I'm leavin'  「出ていくよ」
'Cause I've left that girl so many times before また同じことをと。

何回か喧嘩を重ねてきた二人、男は何度となく「出ていくよ」と言い残して去るものの、
また、元のさやに戻った。でも、今度は本当に終わりだ・・・・

(LAからエニックスまでは379マイル。約6時間のドライブ)
過去を捨て去るために真っ暗な砂漠の中のインターステート10号をひたすら走る。

By the time I make Albuquerque アルバカーキに着くころには
She'll be workin'  彼女は仕事をして
She'll prob'ly stop at lunch ランチに立ち寄り
And give me a call   俺に電話をする
But she'll just hear that phone keep on ringin'  でも呼び出し音が鳴るだけ
Off the wall  
That's all  それだけ

(フェニックスからアルバカーキまでは469マイル、車で約8時間。フェニックスからフラッグスタッフへ北上し、インターステート40号線を東に向かう。ここはルート66とも重なる道筋)

そしていよいよオクラホマだ!

By the time I make Oklahoma オクラホマに着くころには
She'll be sleepin'   彼女は眠りにつき
She'll turn softly  そっと寝返りを打つ
And call my name out low  そして俺の名前をささやく
And she'll cry just to think I'd really leave her 本当に俺がいなくなったと悟り泣く
Though time and time I've tried to tell her so くりかえし彼女にそう言ったのに
She just didn't know 彼女は信じなかった
I would really go  俺が本当に出ていくなんて

別れの歌だと分かるとグレンキャンベルの元恋人だったタニア・タッカーがグレンキャンベルのフィルムの前で歌う「恋はフェニックス」はジーンとくるね。

この曲!!(Youtube)
Tanya Tucker" By the time I get to Phoenix" Live 2016 (youtube.com)

それにしても「恋はフェニックス」は的外れな題名だね。

私がオクラホマに行くとしたら、オクラホマから逆にLAに向かうことのなるであろう。ルート66の道筋をたどって。

<インターステート40号線、フラッグスタッフからアルバカーキ方面へ>
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まだ見ぬアメリカ - オクラホマ州(2)- パンハンドルとネイティブ・アメリカン

2024-07-29 08:33:50 | アメリカ中部
この州は取っ手付き鍋のような形をしている。



この取っ手の部分はパンハンドル(Panhandle)と呼ばれている。

奴隷制の賛否を分けた南北の境界に位置していたことで、細長い陸の孤島となり、所有者もいないノーマンズランドであった。

また、1830年代、白人の居住区域が拡大するにつれ、インディアンが排除され、強制移住させられた。

その行き先がオクラホマ州。

そのためオクラホマ州はインデアンが多く、39の部族が本部を置いている。

ここでオクラホマ州の基本情報を見てみる。

面積:68,597平方マイル(177,664平方キロメートル、日本の約2分の1)

人口:397万0,497人(2022年5年推計値)

構成:白人63.7%、ヒスパニック系11.6%、ネイティブ・アメリカン7.5%、黒人7.2%、アジア系2.3%(出典:US Census Bureau)

ネイティブ・アメリカンの歴史を探るなら以下の施設。
・チカソー・カルチュラル・センター(Chickasaw Cultural Center)
・ファースト・アメリカンズ・ミュージアム(First Americans Museum)
・ファイブ・シビライズド・トライブス・ミュージアム(Five Civilized Tribes Museum)
・スタンディング・ベアー・モニュメント(Standing Bear Monument)
・レッドアース・アート・センター(Red Earth Art Center)

また、先駆者の歴史とカウボーイの文化を学ぶには、オクラホマシティーにある国立カウボーイ & 西部歴史博物館(National Cowboy Western Heritage Museum)と、ダンカンにあるチザム・トレイル・ヘリテージ・センター(Chisholm Trail Heritage Center)が最適。

人口構成比でいうとニューメキシコ州では、ネイティブ・アメリカンは11.2%とオクラホマ州よりも多い。
(白人35.9%、ヒスパニック系50.1%、アフリカ系2.7%、ネイティブ・アメリカン11.2%、アジア大洋州系0.2%)

2019年の旅行ではニューメキシコ州の世界遺産タオス・プエブロ(Taos Pueblo)を訪ねた。

タオス・プエブロは1000年以上の歴史があり、実際に人が住んでいる集合住宅。
レッド・ウィロウ・クリークという清らかな川を挟んで北と南に住宅があり、北側には教会と墓地もある。






左の白いゲートが教会。




古い教会跡と墓地。住居の近くにありながら荒涼としており、被写体としては魅力的。後で、モノクロ処理してみよう。



オクラホマ州にも知らないだけで魅力的な場所が数多くありそうだ。
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米国東部の話。『ヒルビリー・エレジー』の著者ヴァンスが共和党の副大統領候補に!

2024-07-19 05:24:07 | アメリカ東部
以下は、2020年6月27日の記事。そこで紹介したJ.D.ヴァンスが共和党の副大統領候補に。昨日のスピーチでは薬物依存症だった母親も会場にきていた。白人貧困層から副大統領候補に。39歳。アメリカンドリームはまだあったのだ。

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紹介した『ヒルビリー・エレジー』の著者、J.D.ヴァンスは、2022年の中間選挙ではオハイオ州から上院選に名乗りを上げ、ドナルド・トランプの支持も得て5月3日の予備選で共和党候補になり、最終的には、民主党候補のティム・ライアンを破りオハイオ州選出の上院議員となった。

「ヒルビリー」から上院議員、これもアメリカンドリームだね。

米国西部の旅行計画だけでなく、ノースキャロライナ、サウスキャロライナやアパラチア山脈中心の旅も研究中。

*************************
アパラチア山脈を舞台にした本・映画の3部作の最後は、『ヒルビリー・エレジー』(J.D.ヴァンス著、関根光宏・山田文訳、光文社)。副題は「アメリカの繁栄から取り残された白人たち」。



私たちが映画やTV番組で見かけるアメリカは西海岸のロサンゼルスやサンフランシスコ、東海岸のニューヨークやボストン、フロリダ、たまにシカゴ。IT関係の仕事がらみであればマイクロソフトやアマゾンのあるシアトル、FacebookやGoogleなどがあるかつての半導体メーカーの拠点シリコンバレー、映画関係ならロサンゼルス。すべて西海岸の町である。東海岸は金融関係ならウォールストリートのあるニューヨーク、政治がらみならワシントンDC、アカデミズムならボストン。

著者のヴァンスは、ラストベルト(錆びついた工業地帯)と呼ばれる地域の一つオハイオ州ミドルタウンで生まれ育った。そして、アパラチア山脈の炭鉱の町、ケンタッキー州ジャクソンが、祖父母や親せきと過ごすことが多かった心の故郷とのこと。高校卒業後、海兵隊に入隊、除隊後オハイオ州立大学、イエール大学ロースクール卒業。現在はシリコンバレーで投資会社の社長を務める。サンフランシスコ在住。

<さて、ジャクソンはどこ?>


ラストベルトの製鉄所や自動車工場がある地域には1950年代、アパラチア山脈の小さな町から仕事を求めて多くの若者、家族が移住。工場労働者の中流階級の町がつくられた。ヴァンスが生まれ育った町は、シンシナティとデイトンの中間にある「ミドルタウン」。製鉄会社アームコを基幹産業にする労働者の町。かれらは「ヒルビリー(田舎者)」と呼ばれている。

<本当に中間にあるからミドルタウン>


この本は、なぜアパラチア山脈やラストベルトに白人の貧困層が生まれ、彼らがどう考え、広い意味で文化を形成していったかが分かる。その彼らがトランプを大統領にした。トランプ大統領誕生は、偶然やラッキーで誕生したのではなく必然であった。

最後にオハイオ州とケンタッキー州の旅行の話。

オハイオ州にはエリー湖の畔、クリーブランド近郊にChuyahoga Valley National Parkがある。オハイオ州に行くのなら、「エリー湖湖畔のドライブ+この国立公園」を目的に行くべき、行くしかない、他に何もない。

ケンタッキー州にはMommoth Cave National Parkがある。洞口が延々400マイル以上つながっている世界最大の洞窟。洞窟のどこまで入れるか、その手段、など事前調査が必要。

私がもっと興味があるのは、Land Between the Lakes N.R.Aだ。どうやら長年にわたるミシシッピー川の蛇行の結果生まれた土地のようで、自然が豊か。こんなところでキャンプをしながら、地元でしか手に入らないような地酒の「バーボンウィスキー」をちびりとやりたい。

<Land Between the Lakesという国立保養地>


<旅行計画に行き詰ったら武蔵野散歩。『武蔵野』(リイド社、斎藤潤一郎著)、『ダ・ヴィンチ』に載ったね。>
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まだ見ぬアメリカ - ケンタッキー州からオクラホマ州に(1)- なぜ

2024-07-14 20:29:45 | アメリカ中部
韓国の記事を掲載した5月18日以降も「まだ見ぬアメリア」へのバーチャル旅行は止まらなかった。

「まだ見ぬアメリカ」、米国50州訪問を目標にして、現在、38州達成。

残り12州は、

東からノースカロライナ、サウスカロライナ、ウエスト・バージニア、オハイオ、ケンタキー、ミシガン、インディアナ、ウイスコンシン、ミズーリ、オクラホマ、カンザス、アラスカ。

いつ行けるかは、仕事の状況次第。普段はまとめて2週間以上休みを取るのは難しいので、請負契約が切れたときがチャンス。

つまり、失業=長期旅行。

その時期が来るのに備え、すでに一度旅行計画を立てたことがあるノースカロライナとサウスカロライナは除いて、ウエストバージニアから見どころの調査。

そして、ウエストバージニア州とオハイオ州の記事を掲載。

さて、次は?

オハイオ州に隣接するのはウエストバージニア(報告済み)、ペンシルベニア州(訪問済み)、ミシガン州、ケンタッキー州そしてインディアナ州。

より人種がミックスしているケンタッキー州に決めた!

と言ったのが、韓国旅行の記事掲載までの流れ。

Youtubeを中心にケンタッキー州を調べはするものもモチベーションは上がらず、オクラホマ州に変更。

その理由は、

・大好きな自然現象「竜巻」の多発地帯「Tornado Alley」
< 藤田スケールでF5級の竜巻も発生。規模の大きな竜巻を見てみたい>


・米国のマザーロードと呼ばれるルート66が州を東西に横切る
 <地図上の右隅からタルサ(Tulsa)、オクラホマシティへ続く44号線、そこから左に向かう40号線がほぼルート66。
  隣接するカンサス州、ミズーリ州は、見どころのない州だがルート66沿線は楽しめる>
 

 ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』では、ダストボウルにより農業を諦めた人々がカリフォルニアを目指しルート66を進む。

・ロッキー山脈の東側に位置し、地形的な変化が期待できる。

といったところ。

来週はオクラホマ州の概要。

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5年ぶりの韓国ソウル(7):最終日、インチョンから成田へ。ちょっとヤバいことが。

2024-07-06 10:07:43 | 韓国・ソウル
帰国のフライトは、朝、ゆっくり過ごせるように、また、翌日からの仕事に影響が出ないよう、14時45分インチョン発、17時10分成田着の便にした。自宅に着くのは、20時くらい。そこそ自宅でこくつろげる。

朝食はホテル近くのEDIYA COFFEE。昨日と同じだ。

朝食後、近くの空港行きのバス停で時刻表をチェック。1時間に5本程度。

<日本語と英語で表記>




様子を見ていると、やはり乗れないケースが多いようだ。

高速を走るので座席数以上に人を乗せないのだ。これは以前からあったことだ。

では、ソウル駅からインチョンまで直通の電車で行こう。

ソウル駅のインチョン行きのホームは少し離れている。

東京駅の京葉線ホームのような感じ。

人間用のエスカレータは少ないが、荷物だけのベルトコンベヤーがあるのが特徴かな。



独島の領有権を主張するモニターも。



このあたりが日本との相違。日本人ももっと主張した方がよいのかもしれない。

いや、日本は政治的にも経済的にも人の土俵に乗らない方がいい。

インチョン空港までは成田エクスプレスやスカイライナーのような全席指定の特急がある。

それに乗れば・・・・・・・・え~、全部売り切れ!!!!!!!

これば長年、ソウルに来ているが初めて。想定外!

ちょっと焦ったが、バスも無理だとすると選択肢は各駅停車で行くかタクシーしかない。

タクシーが捕まらないと、また、焦るので各停に乗車。

1時間弱でインチョン空港に到着。

早々にチェックインし、出国手続きを済ませ、カミさんと一通り店を見て歩き、会社用の土産を買った。



この旅で自分用に買ったお土産はこれだけ。

この十年くらい、どこを旅行しても買いたいものがない。

カミさんは友達や長男夫婦へキムチや貝類を買っていた。

土産には興味はないが、食事は別。息子と待ち合わせ、最後の韓国料理。



4日間と短めではあったが充実したいい旅だった。

見かけではなく中身がオタクっぽい息子は韓国料理にはまり、その後、新大久保の韓国人街に通ったようだ。

しかも一人で。

来週からまた米国のバーチャルトリップに戻る予定。
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5年ぶりの韓国ソウル(6):ロッテワールドの意外な落とし穴とカンジャンケジャン

2024-06-29 18:04:01 | 韓国・ソウル
一週間前の天気予報通り、この日は雨。

まずはホテル近くのEDIYA COFFEEで朝食。日本進出も考えている模様。



雨天でも楽しめるロッテワールドに予定通り地下鉄でGO!

カミさんと私は何回も韓国に来ているが、ロッテワールドに行こうと思ったことはなかった。

今回は息子の希望で訪問。初日のスンデとロッテワールドは息子効果?

ここでの詳細計画は息子にお任せ。

チケットは息子がネットで予約。下調べしておかないとチケット受け取りの場所がわからないかもしれない。

入場するとすぐにに人気のアトラクション。

ディズニーランドのスターツアーズのようなものだそうだ。



早朝なので並んでいる人も少ない。というより一番乗り。

とそこで係員がカミさんに質問。

「おいくつですか」

「65歳」とカミさん。

「乗れません」

年齢制限があり、乗れるのは64歳までとのこと。え~上限があるの!!!!!

というわけで一発目で躓いた。

ロッテワールドの屋内施設はこんな感じ。









昼ご飯はTGI Fridays。

TGI Fridaysのファストフードはここだけではないか。



普通にうまかった。



イスラム教の祈りの場所が用意されていた。日本も海外からの観光客が増えているので大型商業施設ではこのような場所の提供が必要だ。



ここにはロッテマートやロッテデパートも併設されており、買い物にも大変便利。

晩御飯は地下街でカンジャンケジャン。





カンジャンケジャンを帰国前日に持ってきたのは、以前、食中毒になり一日無駄になったため

蠣とカンジャンケジャンは絶対、最後の晩餐にすべし。

という訳で、あとは翌日、帰るだけになった。
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5年ぶりの韓国ソウル(5):三清洞~仁寺洞~広蔵市場で「レバ刺しとユッケ」

2024-06-22 17:12:42 | 韓国・ソウル
ポッサムで満腹になった後は、三清洞から仁寺洞までカミサンポ(カミさんと散歩の意味)。



息子は我々のスローペースに疲れたのか、あるいは、どこかに電話をしたいのか先にホテルに向かって歩いて行ってしまった。

景福宮の横の通りには小さなギャラリーが並んでいたが、今は国立現代美術館ソウル館が建設されていた。
ショップだけ眺めてみたが、クオリティの高い商品が並んでいた。

<お寺は残っていた>


お寺の裏から出た仁寺洞の北側には大きな公園ができ、ちょっとしたアートも並んでいた。美術公園を目指しているのか。まだまだ試行錯誤中といった感じだった。



仁寺洞のメインストリートは人出が多いが、脇道に入ると昔ながらの店が並ぶ。その一つで伝統茶と菓子で休憩。







日本では味わえない逸品。

晩御飯は予定通りこの近くの広蔵市場(カンジャンシジャン)でレバ刺しとユッケ。息子も合流。

<意外と人が少ないな?と思ったが>


<ユッケ通りの店はどこも満員>


日本ではもう食べられないレバ刺し。センマイとの盛り合わせ。鮮度も良さそうなのでお腹を壊すことはなさそうだ。

それとユッケ。アワビのせと生タコのせがあったがアワビを注文。本当にアワビのってるの?と思ったが本当や!!

それと海苔ご飯。

いや~、この組み合わせたまりません!!!!!





広蔵市場には、このユッケで有名な「ユッケ通り」の他に、屋台グルメで有名な「うまいもん通り」がある。

飲みが中心ならこちらでしょうね。豚足やトッポギを肴に飲んでいる人が多かった。





<魚の店も>


いずれも地元の人たちで大賑わい。

乾物屋や寝具店もあるが夜は客が少ない。

<ドライイチゴの店。こんなにたくさん。多分、日本には持ち込めないかもしれません>




言葉が通じなくて大変ではと思うかもしれませんが、なんとかなる。

いや~、食べ物が美味しいと旅の満足度も上がるね!!!


翌日の天気予報が雨だったので屋内で楽しめるロッテワールドに。それとカンジャンケジャン(ワタリガニの醬油漬け)。
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5年ぶりの韓国ソウル(4):南大門~景福宮~三清洞でポッサム

2024-06-16 12:05:25 | 韓国・ソウル
二日目のソウル。太刀魚定食で満腹になった三人はいよいよ観光に。

初めての韓国になる息子のためにお決まりのコース(南大門~景福宮~三清洞~仁寺洞)でソウル見学。

まずは。朝食を食べた南大門市場近くの南大門へ。

韓国の国宝第一号「崇礼門」、通称、南大門が焼失したのは2008年。2013年、このとおり復旧された。



ここから景福宮の入り口、光化門までは時間を節約するためにタクシーで。

タクシー運転手のマナーが悪かったころ30年くらい前、若干料金が高いがサービス・マナーがよい「安全タクシー」という黒塗りのタクシーがあったが、今はどれでも大丈夫だ。あとはバスの運転が良くなれば・・・・・・



光化門や景福宮では歴史的行事を見せるイベントを開催中。結構な人出。





景福宮の裏手に回ると人は少なくなり美しい韓国様式の建物をゆっくり見られる。



景福宮の北側は大統領が執務する青瓦台。

一度、歩いて行ったことがあるが、警備が厳しく、写真を撮ろうとしたら注意された。逮捕されないように要注意。ここは外国。

さて、景福宮の北東には国立民俗博物館がある。

今回は入らなかったが前庭はこのような風景。一休みするのはよい場所。





北村でカニの醬油漬け、カンジャン・ケジャンを食べようと思ったが、1時間以上待ちそうだったので、三清洞の裏道を散策。

ポッサムの店に入ってみた。まったくの行き当たりばったりだったが、これが大正解。





これと麺を注文。冷麺の麺とは全く異なる歯ごたえ。どちらかというと弾力のある平打ち面。もっというと、異論があると思うが、次郎系BUTAKINの麺が一番近い。これも旨い麺であった。





帰国後、ポッサムを再現。エゴマのキムチなどが手に入り大成功。だからといって韓国に行く必要はない、という訳ではない。



昼食後・・・・・・・
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5年ぶりの韓国ソウル(3):南大門市場の朝食、太刀魚の煮つけ

2024-06-01 17:29:15 | 韓国・ソウル
韓国出張の時も宿泊先はほぼ市庁舎近くになるので、朝食は南大門市場に一人で出かけトックのスープというのが続いていた。

これはネットで探した写真だが、こんこんな感じで南大門市場のトックも、餅と野菜、豚肉少々、卵、韓国のりが入った美味なスープ。


しかし、今回はカミさんの強いご要望があり、南大門市場の太刀魚の煮つけ定食を食べることになった。

朝の市場は人通りも少ない。



それほど広い市場ではないがわかりにくい場所で、2回ほど聞いてようやく到着。

観光客はおらず地元の人ばかり。



これが太刀魚の煮物。ネギや厚切りの大根と煮込んである。太刀魚の素揚げもついていた。

息子はサバ焼きを注文したが、なぜか巨大なホッケが。ビニールの袋に入っているのは海苔。



初めて太刀魚の煮つけを食べ完食。



太刀魚通りと呼ばれているらしく、どの店も厨房は通路にあり、こんな感じ。





食事を終えて通りにでると市場の店も開き始め、人通りも増していた。



さて、観光開始!
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