齋藤信幸のロングステイ!米国・カナダ・中国・台湾・韓国・フィリピン・イタリアなどへの旅行体験やカミサンポをご紹介 

60歳を過ぎてそこそこのお金とほぼほぼ時間のある今、長期旅行に挑戦しましょう。そして大切な妻とカミサンポ。

二度目のベトナム - 首都ハノイのショートステイ:ホーチミン廟と

2019-05-26 12:43:50 | その他の国々
かなりダークなコーヒーとチョコレートケーキで一休みしながら次の目的地、ホーチミン廟への行き方を検討。



歩けない距離ではないが、体力を温存するためにタクシーに。ぼられるかな。



ぼられませんでした。しかも、安い。

旅行中、タクシーに5回乗りましたが、ぼられたのは1回。若い運転手でメーターが付いているから大丈夫と言っていましたが、メーターそのものの桁数が少なく、ドンを全桁表示できるものではありませんでした。支払いの段になって表示されている桁にゼロを1個余分に付けて請求してきました。しかも、目つきも変わって。日本円でいうと150円が1500円になるような話ですので払いましたが、これがぼる手口の一つのようです。

さて、ホーチミンが眠るホーチミン廟に到着。手前の広場は、独立宣言を読み上げたバーディン広場。ホーチミン廟には衛兵が立っており、進入禁止ラインよりも中に入ると叱られます。





この周辺は、政府機関が集まっているようでした。写真撮影すると怒られることも。穏やかですが社会主義国なので要注意。







30分くらい歩いたでしょうか。タイロン遺跡に到着。この遺跡は、2010年に世界遺産に登録されましたが、発見されたのは2002年とつい最近。つまり、地上にある建物ではなくその地下に眠る遺跡が世界遺産ということらしいです。今も発掘中で、出土品の一部が展示されていました。ちなみに、2006年出版のガイドブックには、なんの表示もなし。



時期は11月でしたが卒業記念写真でしょうか。









まだ、工事中。



蓮の花の照明を修理中。左側に落ちると大けがではすまないかもしれませんが、平気なようです。



水上人形劇の練習風景。監督が激を飛ばしていました。





左側の建物に出土品が展示されていましたが、我々以外の見学者なし。





パラソルが鮮やかな式典場。日本の旭日旗から取ったデザインかと思いました。





このあたりの建物は、軍の施設として使われていたようです。写真左の墓石のようなものは、地下室への入り口。



遺跡の一番奥のゲート。



戦闘機の展示。



世界遺産としてはまだまだ無名に近く、提示物の量も展示方法もいま一。私のように世界遺産を漏れなく行きたい人には、行く価値はあるが、そうでない人は20年後に行くべし。

ディナーはホテル近くの湖、ホアンキエム湖の畔にあるレストランでなまず料理。なまずはアメリカではフィッシュバーガーなどに使われており、たんぱくなものと思っていました。しかし、ここのなまずはどっこいかなり脂がのっていました。空心菜いためと揚げ春巻き、ベトナムのビールで乾杯。そういえば、昼抜きでした。



亀の塔にも明かりが入りました。湖の周りは、市民の憩いの場、友達や恋人と語り合う人、犬と散歩する人、夜釣りを楽しむ人でいっぱいでした。





さて、明日は旧市街です。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二度目のベトナム - 首都ハノイにショートステイ

2019-05-19 11:42:04 | その他の国々
5月のベトナムは、一年で一番暑い。前回は5月の連休を利用してベトナムの南、ホーチミンからスタートし、ベトナム中部のフエ、ダナン、ホイアンを旅しました。歴史的遺産とビーチの美しさ、工芸品のレベルの高さに感動しました。

今回は、ベトナムの政治の中心地であるハノイ。時期は昨年の11月。貯めていたマイルが12月で無効になるので急遽、どこかに行かなければと、カミさんが選んだのがハノイでした。直行便が取れずタイのバンコク経由の移動。しかし、2か国訪問できるのは、それはそれでVery Good。

という訳で、タイ経由のメリットを活かして、バンコクの空港でタイ料理をがっつり。



近代的な空港に見えますが、エアコンの効きが今一。でも、料理はGOOD。





さて、ベトナム旅行の問題点の一つが、タクシー。ボルことで有名。ハノイの空港から市内までの移動手段はミニバスやホテルの送迎バス、それとタクシーしかない。乗り場には他の客はおらず、やたらと愛想のいいドライバーが寄ってきてきました。「メーターが付いているから大丈夫、大丈夫」と言っているようでした。しかたなしに、乗車。結論を言うと問題ありませんでしたが、ホテルにお迎えを手配してもらうべきでした。それと、明るいうちに来るべきでした。



さて、ホテルはハノイ市民の憩いの場所の一つホアンキエム湖のほとりにあるアプリコットホテル、地元の5つ星ホテルでした。ホテル内に多くの絵画や美術品を飾ってあるのが特徴とか。確かに落ち着いて品のあるホテルでした。













朝食も絵画のあるダイニングで、上質な中華やベトナム料理、果物をいただきました。贅沢な朝食でした。











朝食後、ホテルの前のホアンキエム湖をちょっとだけ散歩。写真はこの湖のシンボル、亀塔。この湖では、ガメラほどではないが、巨大な亀が捕獲され剥製に。写真は後日。

さて、この日のコースは、ホテル近くの教会、ホーチミン廟、そして世界遺産のタンロン遺跡。では、Hitomi Go。

ホテル近くの商店、お寺。





これが大教会。フランス植民地時代に建てられたネオゴシック建築の教会。私はシンプルな天井が気に入りました。











周辺の商店街やお寺。こじゃれたコーヒーショップも多いエリアなようでした。日本の100円ショップに近い店もありました。また、昔ながらのたまご屋らしきものも。









ホーチミン廟に移動する前に一休み。けーくのクオリティも高い。さすがベトナム。



ブログも一休み。次回はホーチミン廟から。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飽きたはずのカリフォルニアに行ってきました:サンフランシスコとその周辺・ヨセミテ国立公園(8)モンテレイ & カーメル

2019-05-12 01:27:06 | アメリカ西部
今日が実質最終日になると思うとちょっと寂しい。単純な長男と私は、不機嫌に。

HolliterのホテルFair Fields Inn & Suites by Marriottの朝食の特徴は、サルサのようなサラダがあること。スパイスは使われていないが、玉ねぎがピリ辛。朝から野菜が食べられるのはいいね!



最終日のコースは、ヒッチコックの映画「めまい」の舞台となったミッションを見て、スタインベックの家のあるサリナスを経由しジャズフェスで有名なモンテレイ、昔、クリント・イーストウッドが市長を務めたカーメルを訪問。その後、1号線を北上して、初日に泊まったパシフィカのホテルに宿泊、です。

ホテルの周囲は、このとおり畑。



ホテルから数マイルの町、Saan Juan Bautistaに1797年からあるミッション、カリフォルニアの歴史あるミッションの一つで、「めまい」のロケ地。社会見学で訪れる子供たちも多いようです。









この土地と裏の畑の間には段差があり、これがサンフランシスコからロスまで続くサンアンドレア断層。時々大きな地震を引き起こしています。





「怒りの葡萄」の著者スタインベックの家のあるサリナス(寄りたい町でしたが時間がないので)を経由してモンテレイのフィッシャーマンズワーフへ。このあたりは、ジェフリー・ディーヴァーの推理小説キャサリン・ダンス・シリーズに登場する地域。モンテレイに最後に来たのは10数年以上前の営業会議。当時と比べると、人の流れが大きく変わったようです。観光客の行先はフィッシャーマンズワーフ付近からキャナリーロウに移っていました。

まずは、フィッシャーマンズワーフ。10数年前と全く変わっていません。海はきれいですが、サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフの後では、物足りなさを感じます。



キャナリーローにはインターコンチネンタルホテルを核に、洒落た土産物屋やレストランが並んでいます。



ニューオリンズに沢山あったスパイス屋も。



ショッピング街裏の海も美しい。



ランチはインド料理で食べ放題。カリフォルニアもIT関係にインド人が多いので、本格的なインド料理が食べられます。



昼食後、海岸沿いをパシフィック・グロウブ~17マイルドライブ~カーメルと移動しました。







ちょっと有名な「Lone Pine」と呼ばれる木で、会社のロゴやワインのラベルなどに使われることがあります。



カーメルの海岸。相変わらず白い砂が美しいのですが、昔よりも砂の量が減ったようです。



カーメルの町は、昔、芸術家の町と言われ工芸品を見るのが楽しみでしたが、最近は一般的な衣料品店などが増え、魅力が半減しました。

海岸で一休みいた後、一号線を北に進みました。進行方向の左側はずっと海、美しい海岸線が見られます。



パシフィカのSafe Wayで晩御飯を買い、ホテルで最後の晩餐。



おやすみ。

翌朝は6時の飛行機なので3時に起きて、3時半出発し、3時30分にレンタカーを返却。移動の電車が止まっており、バスで振り替え輸送とのこと。スムースに行かないことは織り込み済み。

空港でのチェックインはUAの職員が親切であったこともあり、順調に完了。空港も奇麗になった。



6時のUAでLAに向かって出発。8時前にLA到着。出国審査も何もなく、UAの国内線・国際線がミックスで離着陸するターミナル7で3時間強、暇つぶし。



Wolfgang Packで朝食を食べました。米国、最後の朝食だ。



機内の食事は、行きと同じでベジタリアンの食事を予約。他の人より早く出てきて、さっさと済ませ、映画鑑賞。快適な旅でした。



成田到着。リムジンバスの時間まで1時間以上あったので、成田空港で食事。私はタイ料理、カミさんたちはラーメンなどを食べました。

これにてサンフランシスコとその周辺の旅は終了。この話は3月、雨期でしたが、幸い天気には恵まれました。今はもう乾季。天気の心配は無用です。皆さんもいってやっしゃい。

次回は昨年、11月に行ったベトナム・ハノイの旅行記です。では、また。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飽きたはずのカリフォルニアに行ってきました:サンフランシスコとその周辺・ヨセミテ国立公園(7)‐ こんな絶景が!!

2019-05-06 20:14:26 | アメリカ西部
さて。今日(旅行は3月中旬でした)の訪問は、ヨセミテ国立公園。最初にヨセミテに行ったのは1980年、最初の米国出張のときでした。

以来、何回かヨセミテは訪問していますが、出張先のサンノゼから行くので、すべて140号線でMerced川を上るコースでした。

今回、初めて120号線で入りました。宿泊したOakdaleから120号線で道なりに進めばよいのですが、108号線との分岐点が少し分かりにくいかもしれません。

特にオフシーズンのため他の車はなく、しばらくは本当にこの道でよいのか心配しました。

また、道の両側に雪が積もっているところもあり、あまりに雪が深い場合は、諦めて引き返すことも考えました。

二時間ほど走ると急に視界が開けてきました。ヨセミテの渓谷です。遠くに滝が見えます。あのあたりがヨセミテ・ヴィレッジでしょう。



40年近く、このような絶景があることを知りませんでした。大昔、氷河が削り取った渓谷です。

公園入口で35ドル払い入場。すぐにトイレ。清潔なトイレでした。

しばらく進むと渓谷下の平地に出ます。ちょっと上高地に似ているかもしれません。



ヨセミテの名峰の一つエル・キャプタン。



そしてハーフドーム。我が家ではブックエンドと呼んでいます。







ヨセミテ・ヴィレッジの中には、お土産物屋やちょっとしたスーパー、レストラン、ホテルもあります。
昔、金のない頃は、ホテルに泊まらず、車の中で眠ったこともありましたっけ。

私がもっとも大好きな写真家アンセル・アダムスの写真ミュージアムが出来ていました。
すでに写真集は何冊か持っているので買い物はしませんでしたが、モノクロームの素晴らしい写真を見学できました。

思ったよりも見どころが豊富で、次の宿泊地、Hollisterへの出発が2時間ほど遅れてしまいました。

Hollisterは、サンノゼの南に位置する田舎町ですが、シリコンバレーの発展とともに少しあか抜けてきたようです。

ホテルもFairfield Inn & Suitesというマリオット系のホテル(三ツ星で、常宿のHoliday Inn Expressは、二つ星)ができ、そこに泊まることになりました。

ここを宿泊地に選んだ理由は、翌日、ヒッチコックの映画「めまい」の舞台となった教会に行くためです。

夕食は、Taco Bellでタコスとタコサラダ。安く済みました。このTaco Bellも物凄く美味し訳ではありませんが、カリフォルニアに来たら一度は食べたいジャンクフードですね。



明日は、実質的な最終日。では、また。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする