兵頭新児の女災対策的読書

「女災」とは「女性災害」の略、女性がそのジェンダーを濫用することで男性が被る厄災を指します。

ズッコケ三人組シリーズ補遺

2015-02-13 21:21:07 | レビュー



 半月ほど前、『ズッコケ(秘)大作戦』について語りました。
 が、その時には専ら、子供の頃の記憶に頼って記事を書いておりました。
 これがきっかけで、ここしばらくものすごい勢いで本シリーズを再読しております。
 いや、何としたこと、この半月足らずで本シリーズを出版順に『ズッコケ山賊修行中』まで十冊読んでしまいました。
 ムツカシイ本だと一冊読むにも大変な時間がかかるのですが、児童書ならば結構なスピードで読めるようです
 さて、そんなわけで本シリーズについてちょっとまとめめいた文章を残しておきたいと思います。読みたい人がどれだけいるかわかりませんが、一応、作者の那須正幹センセの女性観を中心に、『ズッコケ三人組』シリーズについて、何度かに分けて語って行きましょう。
 今回は各作品について簡単にコメントすると同時に、前回記事の訂正、補遺をしていきます。
 後、以下は平気でネタバレが書かれていますので、知りたくない方は読まれませんよう。

『ぼくらはズッコケ三人組』
 ●メインヒロイン:荒井陽子、榎本由美子

 前回、


第一作『ぼくらはズッコケ三人組』で「美少女二人組が事件をきっかけに三人組とつるむようになった」との記述があるのですが、まさに記述だけで実際につるむ場面は描かれませんでした。


 と書きましたが、これは間違いでした。
『ズッコケ』は基本長編小説ですが、第一作目だけは例外で五本の中編のオムニバス。
 その三作目で三人組と美少女二人組(上にある陽子と由美子です)との間にフラグが立ち、四作目では五人で自由研究をする姿が描かれます。
 ただしこの四作目も「ハチベエの危機に際し、女子二人は呑気に構えて心配もせず、普段は冷静なハカセを切れさせる」といった役どころであり、五作目、そして以降のシリーズではやはりつるむことはなくなります。
 ブログなどでちらちら見る限りでは、シリーズ中盤辺りからは女子キャラの登場頻度も上がるようなのですが、しかしいずれにせよ現段階(初期十作を読み返した段階)では女子キャラは存在感が薄く、しかもどいつもこいつも「気が強く口うるさい」といったキャラづけばかりがなされていて区別がつかない、といった印象を持ちます。
 やはり那須センセ、女性がお嫌いなのかも知れません。

『それ行けズッコケ探偵団』
 ●メインヒロイン:細野久美

 前回、本作において、ハカセがホームルームで女子を論破するシークエンスがある、と書きました。
 ここはいざ読み返すと、男子(ハチベエ)側がバットを振り回して女子が怖がらせた、というのが経緯で、さすがに男子側が悪いように感じられました。もっとも、ハカセは「ハチベエはちょっとふざけただけ」と主張し、ホームルームでは「女子は男子をむやみに怖がらないよう」との結論が出されました。そう、「男子は乱暴を振るうな」だけでなく、「女子もむやみに怖がるな」とジェンダーの両価性(どっちもどっちさ)にまで、それもここまでわかりやすい言葉で、このホームルームは言及しているのです。那須正幹先生は間違いなく、日本のジェンダー論の最先端を走っていたと言えましょう。
 と言っても、以上はあくまでマクラ。本筋は殺人事件のお話であり、女性の存在感は希薄。今回のゲストキャラ、久美は一応、内面描写があり、それによって作品に深みを与えてもいるのですが。

『ズッコケ(秘)大作戦』 
 ●メインヒロイン:北里真智子(マコ)

 先のブログで単独で取り扱いました。その記述に大きな間違いはありませんでしたが、細かいことを言えば、スキー場で美少女(マコ)に助けられたのはモーちゃんではなくハチベエでした。
 また、頭からすっかり抜け落ちていたエピソードに、このマコがクラスメートの歓心を買うため、下級生を言い含めて川で溺れさせ自作自演で助ける、というものがありました。この自演がバレ、中盤以降のマコはクラスの中で腫れ物扱いになります。何というか、読んでいて気持ちのいい場面ではなく、必ずしも必要もないのにわざわざマコを悪者にするため(貧しい生活を偽って金持ちを装うだけでは、あまり責める気にはなれません)、そしてまたウソがバレるや彼女から離反していく女子たちの心の冷たさを描写したいがためだけに挿入されたかのようなエピソードで、著者の心の闇を垣間見るかのようです。

『危うしズッコケ探検隊』
 ●メインヒロイン:なし

 初見時、小学生男子の身としては、後半があんまり好きではありませんでした。
 本作は三人組が孤島でサバイバルをする話。
 小学生的にはそうしたロビンソン状況は何物にも勝るロマンを感じるものなのですが、ところが再読してみるとそのシチュエーションは中盤戦で早々に終わり、後半の「孤島に何故か生息するライオン、そして老人」の話に移っていきます。
 老人は戦後三十五年、ずっと島で一人暮らしをしていると語られます。その理由は明示されません(し、子供にとってはどうでもいいことです)が、最後に彼が家族を空襲で失っていることがちらっとだけ書かれ、要するに戦後から背を向けた老人の孤独な戦い、その終焉がこの作品の裏テーマであることがわかるわけです。
 老人はおとなしく老人ホームに入って終わりなのですが、その後のことはやはり明示されません。
『ズッコケ』シリーズには結構じいさんが登場し、子供心に作者もよほどのじいさんなのかと思っていたんですが(実際には四十ちょいくらいだったでしょうか)、本作では「大人側の事情」が極めてストイックに暗示されるのみで終わっており、好印象です。

『ズッコケ心霊学入門』
 ●メインヒロイン:ミス・グリーン、浩介の母親

 タイトル通り、幽霊話。
 どういうわけかハチベエに懐く下級生、浩介が全編において活躍し、シリーズにおいては珍しいショタキャラとして印象を残します。
 ミス・グリーンは霊媒。浩介の母親と共に「冷たい大人の女」の典型として描かれます。
 当初は怪しい洋館に悪霊が取り憑いている――というお話だったのですが、それが実は浩介の起こしているポルターガイストでは、との展開になり、そこからお話は、母子家庭で母親が仕事に出ている、浩介の寂しい心へと焦点が絞られていきます。
 オカルトの世界では「ポルターガイストは思春期の子供の不安定な心が引き起こす」とされ、それを材に当時はやった「鍵っ子」のお話が展開されているわけです。

『ズッコケ時間漂流記』
 ●メインヒロイン:若林雪子

 那須センセは歴史物もお好きなようで、本作は「三人組が平賀源内に会う話」。しかしどこぞの悪の組織のように「源内に秘密兵器を作らせる」といったストーリーではなく、筆はかなり抑揚的。直接の登場はないものの田沼意次について再三言及され、田沼を進歩的政治家として描く視点は当時としては先進的だったの何の、といったことがこの本についてのお定まりの評価のようですが、読んでいくと源内についてのエピソードは三章でやや唐突にフェードアウトし、四章(最終章)では若林先生が主役を務めます。
 若林先生は三人組の小学校に赴任してきた若い美人の音楽教師であり、その正体はタイムトラベラーでした。つまり、本作は源内の活躍する二、三章を若林先生の活躍する一、四章でサンドイッチしているかのような構造になっているわけです。この若林先生の設定も「お約束」を一ひねりも二ひねりもした興味深いものではあるのですが、同時に「少年主人公を異界に誘う美女」というこの時期のSFの「お約束」を忠実に踏襲している存在でもあります。NHKの少年向けSF番組的とでも、或いは「何かアレだろ、SFって美女がキーマンで出てくるんだろ?」感とでも言いますか。
 そう、この時期のSFは青少年向けの文化であり、「女性の聖化」と「異世界への憧憬」がパラレルで描かれているかのような、そんな童貞的な感性が濃厚であり、それが本作にも影響を与えているように思われるのです。
 これはまた、オタク第一世代の連中がフェミニズムをうっかり鵜呑みにしていまだ夢から覚めていないこととも、やはりパラレルでしょう。
 もっとも、とは言え、本シリーズが今まで、「クラスの女子」といった俗な存在はイヤな女として描いてきたことと対置させると、やはりオタク的な厭世観が、そこには濃厚に漂っているとは思うのですが。
 美女が常に異界からやってくる、そして地球人の女、しのぶが嫉妬深く気の強い女であった『うる星』を考えれば、それはわかるのではないでしょうか。

『とびたぜズッコケ事件記者』
 ●メインヒロイン:探偵ばあさん、宅和めぐみ

 テーマは「ジャーナリズムの否定」でしょうか。
 お話としては「三人組が学級新聞の記者となり奮闘」という現実的なものです。
 モーちゃんは「町内一美味しいケーキ屋はどこか」の取材でケーキを食い過ぎ、腹痛を起こします。取材のためだったにもかかわらず「デブが大食い記録を更新し、腹痛」という面白おかしい記事のネタにされ、ご立腹。言ってみれば飛ばし記事の犠牲者になってしまうわけです。
 ハカセは偽札事件をきっかけに「お金とはなんぞや。国が胴元のフィクションである」と考えます。が、結局その学術的な記事(というより論文?)が没られたことにフンガイし、代わりに掲載された(モーちゃんについての飛ばし)記事に対して「こんなのが面白いのかよ」と嘆きます(最初の面白記事に興味を失い、学術的な記事を書こうとする下りでも「あんな記事はどこぞの三文児童文学者が書いていればいい」などと言っており、笑わせます)。
 ハチベエは体育教師と担任の娘、めぐみのデート現場を粘り強く張り込むも(この子、単細胞のクセにこういう行動力には秀でています)、めぐみに妙に正々堂々とした態度に出られ、困惑します。あたふたする体育教師を尻目に、めぐみは終始冷静で、「記事を書くのは全然構わない、しかし本当の真実だけを書いてほしい」と念を押し、「自分で自分の気持ちについて整理がつかない」と答えます。そうなると「熱愛中!」とも書けず、ハチベエはここでジャーナリズムとは何か、との問いにぶつかるわけです。
 もう一人のゲストキャラ、探偵ばあさんについては、どちらかと言えば狂言回しに終始していた印象です。例えば『探検隊』のじいさんなどに比べ、遙かにキャラは薄い。
 通例ならば変人として描かれ、主人公たちをさんざん振り回した後、「寂しさを紛らわせるために警官の相手になってもらおうと探偵ごっこをしている婆さん」といった真実が明らかに……みたいな展開になるところでしょうが、そうなっては悪目立ちしすぎるでしょうし、まあ、こんなところだったのかも知れません。
 いずれにせよ「さわやかで清廉な美人」「壮健で気も若い老女」と、珍しく魅力的な女性が二人も登場する作品でもあります。

『ズッコケ探偵事務所』
 ●メインヒロイン:ハカセ(?)

 宝石偽造団とのバトル。
 活劇調で面白い反面、作品としての深みという意味ではかなり低い。
 一応、偽造団のメンバーに女性団員がいるのですが、今回のヒロインはハカセと言えるでしょう。敵の目を騙すためにハカセとモーちゃんが女装するところが、本作のクライマックスであり、最後にハチベエがハカセの女装は可愛かった、などと言って終わるのですから。子供心に「何がやりたかったんだ」と思ったオチでした。

『ズッコケ財宝調査隊』
 ●メインヒロイン:熊谷美由紀

 旧日本軍の隠し財宝を探し当てたと思ったら、北京原人の骨だったでござる、といった社会派ミステリ。
 戦時中の描写が極めて詳細だったり、骨がまさか北京原人のモノだと思わないハカセが、軍が隠蔽しようとした戦争犯罪の被害者の骨ではないかと推理する辺りがいかにも那須センセ。
 お話の中盤で熊谷美由紀がキーマンとして登場します。
 彼女は五十過ぎにも関わらず独身で、話し方は若々しく、外見も以前は美人だったことを連想させる。痩せてメガネをかけており、いかにもインテリ風の学校の先生を思わせるといったなかなかリアリティ溢れる人物造詣がなされていますが、意外にも好人物として描かれています。中学生時代の彼女の過失がモーちゃんの伯父の死につながったがため、独身を貫いているとの恋愛話が心に残り、本作のヘソとしての機能を果たしています。

 ――さて、簡単に見て参りましたが、以上のような感じです。
 実はこの後、シリーズ最高傑作とも言われる『ズッコケ山賊修行中』が構えているのですが、これについては少々字数を取って語りたいと思いますので、今回はこんなところで。