北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第210回 北京・侯位胡同(後) 住んでいたのは“祥泰義”という老字号の老板だった!?

2018-11-06 10:54:41 | 北京・胡同散策
福の字の貼られた玄関のある建物の屋根越しに見える華風洋館を早く見たい。
そんな気持ちを抑えて侯位胡同を歩き出しました。





提灯(灯籠)がさげられ、国旗が掲揚されているこちらは侯位胡同11号院。



この11号院のところでこの胡同は北方向に折れています。



隅きりされた角地の様子。




北方向を撮ってみました。


写真奥に見える大きな建物は北京日報北京晩報社の社屋。住所は東城区建国門内大街20号。

左手手前は9号院。



その斜め前に8号院。



問題の洋館のあるのは、この8号院の中。
早速おじゃましてみました。





上の写真の突き当りを右へ。

本来ならば、ここで右へ曲がったときの写真をご覧いただくわけですが、どうしたわけか
撮り忘れてしまいました。そこで右へ曲がって正面にわたしが見たものを書いておきますと、
それは玄関とその上にあった小さな円形の二枚の鏡。

次は、この二枚の鏡のある玄関の前を左折。



そして、今度は奥の突き当たりを左折。



上の細道を抜けると次のような光景が目に飛び込んできました。



興奮気味の心を抑えて周囲を見ると、ここには、東、北、西の三方向に三棟の洋館が
建っていました。

次に各棟の一部をご覧いただきます。


まずは、東棟の一部。







こちらが東棟の出入口。
昔は、左右に見える建物がなかったことはいうまでもありません。



次は北棟の一部。





次の写真二枚は、上の北棟の北側を東西に走る麻线胡同から撮ったもの。





次は西棟の一部をご覧ください。





出入口。



さて、この洋館、建てられたのは民国期のようなのですが、この8号院の住民のお一人が
教えてくださったことには、この洋館には“祥泰義”というお店の老板、すなわち店主、
経営者が住んでいたとのこと。

と、書いたものの、せっかく住民の方が教えてくれたにもかかわらず、恥ずかしながら
わたしには肝心の「祥泰義」がいったいどういう商店なのかさっぱりわからない。

このお店が北京の人たちには有名な老字号(老舗)にちがいないことは、教えてくださった
住民の様子から察することは出来たのですが。

そこで帰宅後に調べてみて知りえたこともあったのですが、不明瞭な点、曖昧な点が多いため、
只今調査中ということで、今回は書くのを控えさせていただくことにいたしましたと書きたい
ところなのですが、次の二点についてだけはご参考になるかもしれないと思い、あえて書いて
おくことにしました。

一つは、このお店のあった場所。
出発点は1900年代初めの天津で、その時義和団事件に巻き込まれたり、フランス租界で洋酒
や輸入食品を扱っていたり、その後、北京で暮らす中国人や日本人で知らない人のいない北京
の東単交差点の東南角に店を構えたり、新中国成立後の1950年代にはせっかく出した店も営業
停止になったり、一時期「東単食品店」と改名していたこともあったようです。

もう一つは、店名の由来。
創始者の韓邦泰さんとその兄弟である韓邦祥、韓邦義三人の名前からそれぞれ一字をとって
店名が作られたとのこと。


侯位胡同を歩いていて偶然知った老字号(老舗)“祥泰義”。その歴史は、まるでNHKの朝ドラ
や大河ドラマを見るようで興味津々たるものがあり、今後も調べていきたいと思っております。


さて、住民の方にお礼を言って8号院をあとに。
次は7号院。



7号院の前の6号院。



6号院の玄関。



6号院のところまで行ったら左折。これ以上北方向には進めません。
次の写真は6号院の玄関前から西方向を撮ったもの。


写真右手のフェンスの向こう側の手前に見えるのは北京日報社、北京晩報社。

この6号院で侯位胡同も終点かなと思いながら、西方向にとぼとぼと歩いて行くと
左手に公共トイレがありました。



そこで、「ここはいったいどこだろう」と思ってトイレの外壁に貼られたプレートを見たところ、
その名称のところに「侯位胡同1号旁」と書かれていました。



お断りするまでもなく、このトイレの「そば、わき」に1号院がある、というわけなのです。
そこで、トイレ周辺をキョロキョロ。トイレのまわりでそんなことをしている自分が実に
怪しく思われたのですが、「この際そんなことはどうでもよろしい」「トイレなんだから、
そんな自意識はきれいに水に流してしまえ」とばかりに、1号院探しに熱中。

今回の結びにかえて。
たしかに周囲には古い建物はありました。しかし、残念なことに1号院と書かれた門牌が
貼られていなかったため、そこがはたして1号院なのかどうか不明というのが今回の中途
半端な結論。しかし、嬉しかったのは、とにかくこのトイレの辺りまでが“侯位胡同”で
あることを自分の目と脚ではっきりと分かったこと。トイレの名称のお蔭でスッキリとし
ました。




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