北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第12回 通州の胡同・劉菜園 (その二・広場の憂鬱)

2014-10-10 09:22:52 | 通州・胡同散歩
スッキリした顔でトイレをあとにした私は、ゆとりを持って自分の立っていた場所を振り返ると
こんな眺めです。




さぁ、歩くかと、爽やかな気持ちで広場の方を振り返ると、


ガーン!!!

出たあぁぁ◎◎!!!


胡同歩きは、たしかに楽しい。

からだ全身にじわぁーっと染み渡るような喜びと楽しさに満ちた出遭いがあるのです。


以前にもご紹介したのですが、胡同を歩いていると、たとえば、

こんな人間大好きなワンちゃんや・・・



散歩中のYaYaや・・・



こんな素敵な電動三輪車などに出遭うことがあるのです。


(もっといろいろ素敵な出遭いがあるのですが・・・、
お見せするのは勿体ないので私だけの秘密にして写真紹介はこの位にしておきます。)


でも、胡同を歩いていると、そんな喜びや楽しさに満ちた出遭いばかりがあるわけではありません。
困惑に満ちた出遭いもあるのです。


トイレの後、緊張感のまったくなくなった私の目の前に不意打ちのように立ちはだかったのは、これ。



広場にドデンと置かれた石。

なぜこの石がここに置かれているかは、いくらノー天気な私でも分っています。
この石は、クルマ除けです。

ここで前回ご紹介した写真をもう一度・・・



この写真をご覧になるとお分かりのように、この広場、クルマを置くには絶好の場所ではないでしょうか。
ちなみに、写真奥左は回民胡同に通じる道で、さらに行くと幹線道路の新華東街に通じています。

以前、この広場を駐車場替りに使った輩がいたに違いありません。

もちろん、広場周辺にお住まいの人たちにとって、そんなことをされては困ります。交通の邪魔。迷惑千万なのです。
そこで、自衛手段、苦肉の策として考え出されたのが、この石というわけなのです。

ですから、私がこの石を見て困惑したのはなぜこの石がここに置かれているのかという理由が
分らなかったからではありません。

写真をご覧ください。



写真左側に見える丸っこい石は、以前にもご紹介した門dun(土偏に敦・mendun)です。
よく四合院住宅の玄関に見受けられるもので、単なる装飾品ではなく、玄関の門を支えるための重要な建築部材なのです。
この門dunに関しては、何の問題もないのです。本来の使いみちが分っていますから・・・。


私が困惑してしまったのは、写真右に見える四角い箱状のもの。
これは、いったいなんなんでしょうか!!!




この箱状の石を目の前にして、私はつくづく思いました。

ここ通州はかつて運河の街として、南方から運ばれてきた物資の集積地であったわけですが、
こんな石ひとつのことが分らない私という人間は、まるで分らないことの集積地だと。

そして、さらに・・・

「年の功より、亀の甲だな」と、心の中でつぶやいたのでした。

こんなことを考え、ノー天気なくせに柄にもなく目の前の石の箱のように心が重くなってしまった私。
でも、次の瞬間、こんなことを考えていました。

分らないことがあるから、その分らないことを分る楽しさもあるんだな・・・。
分らないことが多ければ多いほど、分る楽しさや喜びも多くなるわけだ・・・。

そして、

「亀は万年、鶴は千年。人間はせいぜい百年ちょっとでしょ! 亀さんは、やっぱり、すごいや! 私も亀さんを
見習わなくては・・・。亀さん、好き!!」と、意味不明なことを心の中でつぶやくノー天気な私でした。


石の前に立ってこんなことを考えていると、背中から首筋にかけて何かすうーっと私の後ろを通ったような
気配があったのでゆっくりと振り返ると、こんな女性がニコニコしながら立っていました。



気さくで、その笑顔同様、穏やかな話し方をする女性でした。

この女性、なぜか私が劉菜園を見て歩いていることを察していたようで、女性の後ろの回民胡同とは反対の方角を
指差しながら、
「あちらも、劉菜園ですよ。行ってごらんなさい」


女性が教えてくれた方角に行くと、私の目に留まったのは門柱とそれに続く塀に囲まれた一区域でした。



この門より中は、いったいなんでしょう。この周辺の住宅とは、ちょっと趣が違うようです。これから中に入ってみようと思うのですが、
その前に、この写真を見ていて今年の6月、北京の某胡同でこれと似た光景を見たことがあるのを思い出したので、そのときの写真をご紹介いたしましょう。



正面をご覧ください。



いかがでしょうか? ちょっと似ているでしょ。

門柱に「文明居民区」と見えますが、北京で見たこのエリア内は特別な場所なのです。
ということは、これはあくまで憶測なのですが劉菜園で私が訪れた門柱のある区域もある種特別な区域と考えてもよいかもしれません。

まあ、こんなことを考えるよりも、早速入ってみたいと思います。

中に入り、右側にはこんな平屋のおウチが並んでいました。




この光景を見て、私は回民胡同の通州供電の社宅内で見たやはり平屋住宅をすぐに思い出しました。確認のため写真をご覧ください。



よく似ている、というよりは、そっくりといった方がよいかもしれません。

ということは、この門柱の中にある住宅は、通州供電と関係があるのかどうかは別にして、通州供電の社宅で見た平屋住宅同様、ひょっとしてどこかの会社の社宅なのではないでしょうか。
しかも、通州供電成立が新中国成立後の1950年代も終わり頃ですから、この建物が造られたのは1960年前後かそれ以降だと考えてよいかも・・・。
以上のことはもちろん私の憶測に過ぎません。より確かなことは今後調べてみることとし、ここではとりあえず一つの記録としてあえて同じ建物を見たことをここでご報告しておきたいと思います。


それでは、この平屋住宅の並ぶ中に入ってみましょう。


中に足を進めると、こんなドア。



新年までまだひと月ほどあったのですが、正月を迎えるための飾り付けがしてありました。
と、書いたものの、これはひょっとして前年のものかもしれません。

中国では1912年に中華民国と改元して以来、新暦を国暦としているわけですが、旧来の行事習俗は、依然、ほとんど、
旧暦によって行なわれているのです。たとえば、新暦では正月は1月なわけですが、一般民衆の生活感情では旧暦に依拠しているため、少し遅れて正月がやってくるわけなのです。とすると、旧正月までにはちょっと間があるわけで、正月用の飾り付けをするには早いのです。
それに、新しい飾り付けにしては、少し傷んでいるようでもあります。



先に進むと・・・



やはり、正月用の飾り付けが。

正面から見ると・・・



これは、新しい正月用の飾りつけのようです。

お目出度い文字が躍っています。
そんな中でもドアに貼られた「福」の金字がひと際大きく光っています。
時にこの「福」の字が逆さまになっている時があります。これを初めて見たとき、不思議に思ったものですが・・・。
「福倒了」(fudaole・フーダオラ・福を逆さまにする)と「福到了」(福が着いた)という言葉が同じ発音で、両者を掛けている訳ですね。

ちなみに、入口両脇に貼られているのは、吉祥文字を書いた「春聯」です。


さらに先に行くと・・・



前のおウチの飾り付けに比べると、ずいぶん疲れています。やはり去年のものかもしれません。

ドアに貼られているのは、「福」の一字ではなく「門神」です。一名「桃符」とも。
昔、神ト(草冠に余・しんと)と鬱塁(うつるい)という神様がいてよく悪鬼を捕らえたので、桃の板にこの二神の像を描いて
門戸に掛けたのがはじまりだそうです。


ドアの紹介はこの位にして・・・



これは、各おウチの玄関脇にある物置です。
ご覧のように練炭が貯蔵されています。といっても、現在は煉炭で冬の寒さを凌いでいるわけではありません。
暖房器具は他にあるわけで、私の知るかぎりでは、いわば暖房やちょっとしたものを温めたりするための補助手段のようにお使いになっているようです。


次は、屋根の壁面です。




これは、この平屋住宅の並ぶ奥からの写真。南から北に向かっての撮影です。




そして、元に戻って再び門柱です。



この門柱にたどり着くまでの間、新年の飾り付けを見て、

「今年ももうすく終わり、新しい年が始まるんだな」

と、柄にもなく身の引き締まるような思いを抱いていた私。

でも、門をあとにした私の目に映ったものは、


門柱近くの壁の一部でした。

この壁の一部を見た私は、ハッとしました。

たしかに、3333×1000は30000ではありません。

これを見たとたん、私は前にご紹介したあの広場に関してとんでもない過ちを犯してしまったような気がしました。
石の箱状のものがドデンと置かれていたあの広場になにか大切な忘れ物をしてしまったような気がしました。

次の瞬間、私は大急ぎで広場に引き返したのです。


   にほんブログ村 海外生活ブログ 北京情報へ