北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第218回 北京・蘇州胡同(6) 日本占領下の臨時政府とその要人ノート(その一)

2019-01-14 10:57:24 | 北京・胡同散策
【現在のこと】

前回ご覧いただいた飲食店の東側に、北方向にのびる一本の路地がありました。





出入口のところに「此路不通、請勿穿行」(この先行き止まり)と書かれた貼り紙。






少し歩くと97号院。





と、いうことは前回ご覧いただいた飲食店は99号院ということのようです。

97号院の向かい側。



何気なく民国風。





次は95号院。





だいぶ手が加えられていますが、奥に洋館らしき建物が見えたのでおじゃましてみました。





この建物は、ひょっとして前回ご覧いただいた次の大きな建物の一部なのでは、と思われます。




【今から80年ほど前のこと】

“今や六十四才、五尺足らずの短身痩躯、その上、片眼がつぶれていつも黒い色眼鏡を
かけている。一見、不気味な妖気が漂ようが如き人物である。”(梨本祐平『中国のな
かの日本人』1969年、同成社より)

名前は、王克敏(Wan kemin、ワンクゥミン)。

1937年7月7日に起こった蘆溝橋事件(中国では七·七事变)のほぼ5ヶ月後の12月14日に北京に
成立した中華民国臨時政府の行政委員長、3年後の1940年3月に組織された汪兆銘を首班とする
南京国民政府に臨時政府が吸収され、そのかわりとして成立した華北政務委員会の委員長などを
つとめた人物。

お断りするまでもなく、中華民国臨時政府、華北政務委員会という二つの組織は、その主要メン
バーのほとんどが中国人ばかりであったにもかかわらず、日本の息がかかっており、まるで自分
の意志(意思)など持たないあやつり人形のように日本にあやつられてしまった政権でした。


【現在のこと】





こちらは93号院。



奥に先にご覧いただいた洋館と同じ建物。



手前の住居部分は、昔は奥に見える洋館の庭だったのでは、と思われます。





もともとはベランダだったのではないかと思われるところに取り付けられた木枠の窓。
現在は部屋として活用していらっしゃるようです。



もともとはどんな方たちがこの階段を行き来したのでしょうか。
石段に足をかけると足もとから当時の人々の靴音やささやきが聞こえてきそうです。





半地下室の窓。
そういえば、前回ご覧いただいた洋館にもありました。



93号院の出入口に戻り、出入口越しに見える洋館の姿を撮ってみました。



屋上やベランダに建増ししている様子がわかります。
住宅や経済などもろもろの事情はさておいて、合法と非合法のあわいにぴーんと張られた
一本の綱の上を渡る危うさを秘めたこんな光景に出遭うと、その発散するある種の逞しさ
や強靭さに圧倒されてしまう。


【今から80年ほど前のこと】

ところで、上掲書によりますと、著者である梨本祐平さんが初めて王克敏さんに会ったのは、王さんが
臨時政府を設立するために、それまで暮らしていた上海から北京にやって来た1937年12月7日の夕方。
場所は、驚いたことには北京の胡同。

“自動車は東城の閑雅な胡同(胡同とは日本の横町の意味であるが事実は自動車の出入の
自由な小通路)の「王宅」と標札に書いた朱塗りの大きな門の前に停った。自動車の警
笛が鳴ると、門は内側から開けられて、ボーイが二人先頭に立って、美しい庭樹に蔽わ
れた豪奢な応接間に案内した。
 間もなく王克敏が痩躯をあらわした。黒い色眼鏡をかけ、大掛児(たあかある)を着て
いる。”

上の記事を目にした時には、胸はワクワク、眼はキラキラッと。
なにしろ舞台となっているのが胡同なもので。

「朱塗りの大きな門」とあるので王さんがいらっしゃったのが四合院住宅であったことは判るのですが、
しかし「閑雅な胡同」って、具体的にいったいどこの胡同なのか。

それが判明するのは、梨本さんが二回目に王克敏さんのいる「王宅」を訪れる次の場面。

“12日の朝、王克敏が泊っている王希清の家から、朱華(著者の知人で王克敏の協力者。
引用者)と私に直ぐに来てほしいという電話があった。
私たちは直ぐ仕度をして洋車(人力車のこと。引用者)で蘇州胡同の奥深い王氏の家に
行った。先日の豪奢な応接室で再び王克敏に会った。”

閑雅な胡同、それがなんと蘇州胡同であるという不意打ちを喰らったこの時ばかりはさすがに言葉を
失ってしまった始末。たとえ日本のあやつり人形だったとしても、かりそめにも中華民国臨時政府の
行政委員長や華北政務委員会の委員長という重責を担った人物が今から80年ほど前の蘇州胡同で起臥
していたなんて。


【現在のこと】

93号院をあとにさらに前へ。



外壁の白い部分はタイル。
今は自転車置き場になっていますが、ここは以前、その用途は不明ですが、部屋になっていたようです。
違法建築であるため撤去されてしまった模様。



少し行くと大きな玄関。



さらに歩き、こちらは89号院。



やはり奥に洋館が見えますので、おじゃましてみました。





右下に地下室の窓が見えます。



出入口越しに撮ってみました。



さらに行くと、



大きなゲート。







庭の一画には、廃材を寄せ集めて作ったような、決して立派とはいえない、
それでいて逞しい力を秘めた小屋がありました。




さて、この蘇州胡同に日本旅館やみやげ物屋のあったことは前に書きましたが、今回から数回に分けて、
現在の胡同の様子をご覧いただきながら、やはり日本占領下の蘇州胡同で起臥していた、日本にゆかり
ある王克敏という中国人政客や中華民国臨時政府、あわせて王克敏さんや臨時政府の内部やその周りに
群がった魑魅魍魎たちの生息振りの一端を上掲の『中国のなかの日本人』に基いて覗いてみたいと思い
ます。



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