北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第168回 北京の胡同・大喇叭胡同(後) ソウルフルな音の響きは静かに流れる

2017-11-27 10:28:32 | 北京・胡同散策
この胡同が、いつ、北京の外城に出現したのか、わたしにはわからない。
清の朱一新(1846年ー1894年)撰『京師坊巷志稿』には、この胡同も東隣の“小喇叭胡同”
も載っている。『京師坊巷志稿』は1880年代の中ごろには出来上がっているから、どんな
に短く見積もっても130年ほどが経つわけだ。





強い陽射しや激しい雨風、そして過剰な乾燥で傷めつけられたこの門扉、傷んではいるが、
冬でも触れると温かさを指先に伝えたこの門扉も今回が見納めとなるかもしれない。








南側出入口から北方向に進むと道幅が次第に狭くなる。その形状からラッパと名づけられた。








左手に置かれている袋の中身は改修のための材料の一部だ。

この胡同には、その距離が短いにもかかわらず、胡同名の書かれたプレートが
三枚貼られている。





ここが1号院。


北側出入口。




出入口を出ると、街角アートが目に飛び込んできた。
一つはスーパーマーケットの看板。


もう一つは、36歳の若さで謎の死を遂げたマリリン・モンロー。



中国語で「玛丽莲·梦露(瑪麗蓮・夢露)」と書く。


“she is always our best love/forever ever ever ever ever”

マリリン・モンローが生まれたのは、1926年の6月1日。
1926年といえば、中国は民国15年だ。
この胡同は民国期に“大腊八胡同”と書かれていたこともあった。

「喇叭」は「ラーバ」、「腊八」は「ラーバー」と読む。音が似ているので、そうなった。
「腊八」とは、陰暦の12月8日のこと。中国では釈迦の成道の日だ。



わたしは、胡同を歩くとジュルジュ・サンドの言葉を思い出す。
“道ほど美しいものがあろうか、これは活発な多様な生の象徴であり、映像である”
そして、わたしは思う。“多様な生”の鼓動の響きが静かに流れるところ、それが
胡同なのだと。

次に会う時は変わっているだろう。しかし、大喇叭胡同の新たな門出前に再び会うこと
はできた。デジカメの電池の残量を確認して東隣の“小喇叭胡同”へと向かう。




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