北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第68回 夢の中で本を読んだ。S.I.ハヤカワ著『思考と行動における言語』

2015-12-05 09:28:14 | 【本棚より】
夢の中で本を読んだのは初めてだ。

目が覚めてからも、右手の親指と人差し指の先には
ページを繰ったときの感触や紙の擦れる音が耳の底に残っていた。

読んでいたのは、S.I.ハヤカワさんの『思考と行動における言語』(大久保忠利訳)
だった。



読んでいたページには「意味のない言葉に私たちは動かされやすい」といったことが
書かれていた。夢の中でその箇所を読んでいる私は、「今の人間もあまり変わっちゃ
いないな」などとつぶやいている。そして、続けて「仕方がないよ」などとつぶやいた
時に目が覚めた。


あまりに生々しい夢だったこととなぜこんな夢を見たのか不思議だったので、その日の
午後に『思考と行動における言語』を本棚から引っ張り出して読み返してみた。「意味の
ない言葉」がキーワードだ。幸いすぐに見つかった。私が夢の中で読んでいたのは、
1951年11月に書かれた日本語版のための「序」で、そこには次のようにあった。

“意味のないコトバに影響をうけやすいこと、雄弁に熱をこめて言われた事を信じ易い
 傾向、事実で考えるよりも標語のようなもので考え易いこと、などは、英語国民や
 西洋人たちだけに特有の欠点ではなくて、人類の大部分の弱点であります。コトバに
 よる自己陶酔の可能性は、言語のあるところ、常に存在します。万人が文字を読み
 書きできること、新聞の大量購読、それとラジオとは、何百万の人々を一挙に、時には
 意味のないコトバで一さらいにし得ることは、現代のコミュ二ケーション技術の影響
 を受ける、あらゆる国々であり得ることです。”

夢の中で読んでいた箇所が分ったのは嬉しかった。しかし、どうしてこの箇所を読んで
いたのかは、いくら考えても、今もって分らない。


今朝、先日の雪の塊が残る中庭を犬と散歩している時、書かれていた内容と夢の中で
「今の人間も変わっちゃいない」とつぶやいた言葉が不意に思い出された。なぜこんな
夢を見たのかやはり気になっていたからだろう。

私が読んだS.I.ハヤカワさんによる序が書かれたのは前にも書いたように1951年で今から
もう60年以上が経っている。もし本当に60年も経った後の私を含め情報発信者や受信者たち
が「あまり変わっちゃいない」としたらあまりに寂しい。犬と散歩しながらこんな事を考え
ていると心の中が寒くなった。飼い犬のスースーが得意げに私を先導しながら、時に振り
返り、目を輝かせ尻尾を振りふり、私が追い着くのを待っていてくれていたのは嬉しくも
あり、無性にありがたかった。「スースー、行くぞ!」。私が声をかけると頭をしゃんと上げ、
いっそう得意げに尻尾を振りながら歩き出した。いつも悪戯ばかりして私を手こずらせて
いるスースーに救われたような冬の朝の散歩だった。


  
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