北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第189回 北京・鋪陳市胡同(後) 地名の由来など

2018-05-08 10:22:04 | 北京・胡同散策
右手塀越しにプレハブ。



これは、現在建設中の地下鉄八号線工事関係者用の施設。



地下鉄八号線は、2008年に開催された北京オリンピックに合わせてつくられた路線で
すが、現在、北は昌平区の朱辛庄駅と南は南羅鼓巷の間を走っています。
2018年末から2020年にかけて、南羅鼓巷から大興区の五福堂駅まで開通予定。

ご参考に八号線の路線図の一部を貼っておきました。
この胡同のすぐ近くには「天橋駅」もできるんですよ。







少し行くと左手に路地がありました。





前に、1965年以前、この胡同内には、天匯夾道、十八寓、小眼鏡、任家頭といった小胡同があり、
1965年の地名整理の折、鋪陳市胡同に編入されたことを書きました。

断定はできないので保留としておきますが、この路地はひょっとすると「小眼鏡」という胡同では
なかったかと考えています。







あまりに画一的とも思える改装後の胡同のなかにあって、玄関脇に何気なく置かれた腰掛けが
不思議にわたしの胸に迫ってきました。



少し歩くと貼り紙。







さらに行くと門墩(mendun/メンドン)がありました。











路地を出て、ふたたび歩き出すと、



看板に「天尚粮油供应站」と書かれたお宅。



天尚はメーカー名。粮油は、日本語で書きますと糧油で、穀類と食用油。
供应站は、供應所で、提供するところ。



実は、アヒルのヤヤを見つけたのは、このお宅の玄関でした。



「今回も会えるかな」。
そんな期待を胸にここまでやってきたのはよいものの、残念なことに今回はアヒルのヤヤに会う
という期待を実現することはできませんでした。でも、今回はダメでも次の機会もあるんじゃな
いかな、そう自分に言い聞かせて先へ。

隣はちょっとした本屋さん。





少し行くと、薬屋さん。





「天天平価」。毎日廉価なのです。





左手前の建物のこちら側は、以前にご紹介した「九湾胡同」の出入口です。

糧油取扱店、本屋、クスリ屋、洗濯屋さんと、お店が続きます。





お次は、理髪店。





さて、この胡同名に「鋪陳(ブーチェン)」という漢語が使われ始めたのは民国期(1912年)に
入ってからですが、旧時この胡同は、棉織物などの使わなくなった布キレや布くずの集散地で
もあったようです。

もちろんここに集められた布キレや布くずは購買者によって加工されて使われるわけで、たと
えば、布靴の靴底などに利用されていたとのこと。そして肝心の鋪陳という言葉ですが、これ
はこの布キレや布くずのことを指す言葉であったそうです。

現在この言葉は名詞としては枕や布団など寝具を意味する言葉として使用されていますが、こ
の「鋪陳」という言葉は、こんな意味にも使われていたんですね。布製の靴がごくごく一般的
であり、生活必需品であった昔、靴底を作るための布キレなどを求めて、たくさんの人たちが
この胡同に集まったのではないでしょうか。ここは、多くの庶民の生活に密着した胡同でした。







あと少しで、この胡同も終点です。
写真奥に見える高い建物は、北京市基督教会珠市口堂です。



キリスト教のプロテスタント諸教派のひとつ、メソジスト派の教会です。
修繕されているのはもちろんですが、建てられたのは、一般的に反キリスト教、排外主義運動
といわれている義和団事件(中国では義和団運動)が起こった1900年から4年後の1904年でした。
中国にとっても、中国に進出した西洋にとっても重い歴史を担った教会です。



レトロな看板のかかったお店。
こちらは、国営鋪陳市副食店。



思わず自宅に持って帰りたくなってしまう、ぜひ雨児胡同の古物件博物館に収蔵していただきたい
看板です。



新中国成立後の歴史が堆積した味わいのある看板をあとにすると、いよいよこの胡同の
北端。



右手にレンガ塀が見えますが、民国期の地図によりますと、この塀のあちら側に北から南にかけて
1965年にこの胡同に編入された天匯夾道、十八寓という二つの胡同が並んでいた模様です。



北端を左折すると見えてきますのは、東西に走る“校尉営胡同”です。



北端からもと来た道を戻っていくと、わたしは目が点になりました。
行く手前方に今回は会えそうもないと決め込んでいたアヒルのヤヤが、おしりをフリフリ歩いている
姿を見つけたからです。

「えっ・・・ヤヤだ」

世の中には不思議なことがいっぱいありますが、やはりそういう不思議なことに出会ってしまうと、
ある種の驚きととまどいを禁じ得ません。

「こういうことって、ありますよね」
誰にいうともなく心の中で言いながら、自然と急ぎ足になって、でも、ヤヤを驚かさないように
気をつけながら、ヤヤに近づいてみました。

ヤヤは、泥んこ遊びに興じたあとだったらしく、その美しい羽には泥がついていました。





ヤヤは、わたしがカメラを持って近づいても、近くを道行く人が通りかかっても、まったく物怖じ
せず自宅前の道路をおしりをフリフリ歩いています。その散歩姿は、すっかりこの胡同になじんで
いるようでした。



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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ヤヤさん (koh)
2018-05-08 11:59:18
何して遊んでたんでしょうね(^^♪
奇遇でしたね、ちょっとのことで会う会えない、決まるんですね!

舗陳市副食点、食べ物屋さんですよね?
服飾店のことではないですよね(^_^;)

いつかのブログにも、「義和団事件」のことを書いておられましたね。
昔、これは日本のフォークソングになると思うのですが、
義和団事件の概要を歌ったものありました。
うろ覚えですが、歌詞を覚えているのです。
”時は一千九百年、連合軍を向こうに回し、
決戦挑む 暴徒のやから 
フランスイギリスイタリーロシア
更に加えて ケイセイ?日本
花の北京今や死の町”

力強く、アップテンポで歌っておられました。
歌手の名前が出てきません、男性でしたが…

戦火の中、堅牢な建物の並ぶ胡同は助かったのですか?
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間違えました (koh)
2018-05-08 12:01:43
副食店でした、すみません<m(__)m>
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Re.ヤヤさん (胡同窯変)
2018-05-08 14:04:29
Kohさん、コメントありがとうございます。

胡同の具体的な被害状況は不明なのですが、全体的には、想像するほどのことはなかったのでは、という印象をもっています。

ただ、胡同に住んでいたり、胡同の知人の家にかくまわれていた中国人キリスト教徒が義和団のひとたちによって殺害されたりしているようです。
また、北京には現在も東堂、西堂、南堂、北堂という大きな教会があるのですが、その内の北堂が多少の損傷ですんだのにたいして、その他の教会はことごとく焼かれてしまいました。現在あるのは事件後に再建されたりしたもののようです。

その義和団の多くの人たちも連合軍の兵士によって
殺害されています。

今もそうですが、この事件を調べてみると、異文化同士の付き合いの難しさと異文化を理解することの大切さなど、さまざまなことを改めて考えさせられますね。

Kohさんがブログでとり上げていらっしゃる「西郷さん」の生きた時代と共通点がありますが、こういう問題って
至って現代的なのでは、と思っています。

義和団の歌があるというのを、初めて知りました。
ありがとうございます。

そうそう、副食という漢語は日本と同じく「おかず」、主食ではないものを意味しています。説明不足で申し訳ありませんでした。

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歌手は克美しげる、歌の題名は「北京の55日」です (Yozakura)
2018-06-23 19:38:47
北京・胡同窯変さま
 初めまして。ブログ伝いに漂着した者です。

 先達の投稿者が質問しておられた「フォークソング調の勇壮な歌」ですが、その歌の身元は、出自は既に掌握しておりますので、勝手ながら以下に紹介します。

歌手:克美しげる
翻訳された邦題:北京の55日
日本語盤の発売元:東芝音楽工業

原曲の歌手:The Brothers Four
原題:55 Days at Peking
英語盤の発売元:CBS Records
原曲が歌われた映画:"55 Days at Peking"

つまり、日本語で歌唱された曲はアメリカ映画の主題歌を日本語に吹き替えた「日本語版であった」のです。
 猶、その勇壮な訳詩を歌っている歌手は、「異色の経歴を歩んだ人」としても知られています。

 ブログ主の胡同窯変さま、この件に就いてご関心をお持ちであれば、英語の題名から検索しますと、ネット上に陳列された種々の情報が浮上してきます。
 確か、原作の映画は1963年に公開されたもので、既に50年以上も経ています。映画そのものも、動画共有サイトなどに陳列されているやも知れません。
 大きなお世話、失礼しました。お元気で。
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ペキンの55日 (胡同窯変)
2018-06-24 02:23:47
Yozakuraさん
コメントありがとうございます。

克美しげるさんでしたか。『霧の中のジョニー』懐かしい。
『ペキンの55日』も映画館ではなかったですが、観ました。

克美さんと『ペキンの55日』の二つが結びついていたなんて
思いもよらず、驚いています。

お蔭さまで大変勉強になりました。ありがとうございました。
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画面下に登場する広告の抹消方法をご存知ですか? (Yozakura)
2018-06-25 01:51:59
胡同窯変さま
 返信を拝見しました。私の投稿も、少しはお役に立った模様で、何よりです。

 そうです、あの「霧の中のジョニー」を歌っていた歌手です。その曲も、英語盤の "Johnny, Remember me" を日本語に吹き替えた歌でした。

 ところで、貴ブログの記事を過去に遡及して、順次読もうとしますと、要求しても居ないのに、このブログ画面の最下段に、欲しくも無い無用の長物を売りつけようとする帯状の広告が、勝手に出現します。
 この広告の消し方が分からず、困っております。何かご存知でしたら、ご連絡下さい。ご教示下さると助かります。
 お元気で。
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広告の抹消方法 (胡同窯変)
2018-06-30 13:47:17
遅くなり、申し訳ありません。
パソコンで見ている分には帯状の広告は
出てこないようです。
残念ながら抹消方法は不明です。
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PCの基本ソフトを更新・修正して消滅に成功 (Yozakura)
2018-10-01 19:00:32
北京・胡同窯変さま
 返信を拝見しました。連絡、有難うございます。

 その後の状況ですが、利用しているPCの基本ソフトに更新や修正を何度も掛けたところ、何とか、その「余計な広告の出現」は阻止出来るように成りました。お世話様でした。

 でも、最近は、この種の、余計で迷惑な広告が各地・各所のブログで頻繁に出現しますね。ブログの主催者で困っている人もいる模様です。
 お元気で。 
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そう書き込むんだ端から、余計な広告がサイド出現!皮肉です (Yozakura)
2018-10-01 19:07:52
胡同窯変さま
 先ほど投稿した者です。余計な広告の消滅を報告した途端に、何と、その邪魔者が再度出現しました。向こうも、読み取っているのやも知れません。

 インターネットも、良いことばかりではないですね。お元気で。
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余計な広告 (胡同窯変)
2018-10-03 15:52:28
コメントをありがとうございます。

>余計な広告の消滅を報告した途端に、何と、その邪魔者が再度出現しました。

お疲れさまです。

わたしとしては、いまは様子を見ている状態です。
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