北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第197回 北京・曉順胡同 小さな胡同にて

2018-07-17 10:16:24 | 北京・胡同散策
第192回でご紹介した北京基督教会崇文門堂(亜斯立堂)、その正門対面に「こんなところにも!?」
と思わずつぶやいてしまいそうな一本の小さな胡同があります。



その北側の門牌(住所表示板)は1号から4号まで。











南側には、門牌の見当たらない中華風の屋根を持つ二層の大きな建物が一棟あるだけ。



名前は曉順胡同(XiaoshunHutong/シアオシュンフートン)。



名づけられたのは今から四十四年前の1974年とそれほど古い話ではありません。しかし、それは
あくまで名前のことで、『北京胡同志』所収の地図を見ると、すでに明の時代にはこの胡同があった
ことが分かります。

ただし、その時の名前は「孝順牌胡同」、しかもその長さも現在の何倍もの長さがありました。
青色とオレンジ色の矢印の部分が当時の「孝順牌胡同」。現在は青色の部分の三分の二くらいの長さ
になっています。


『明北京城街巷胡同図 万暦ー崇禎年間(公元1573ー1644)』(『北京胡同志』主編段柄仁より)

以下、現在分かっている範囲でこの胡同の名前の変遷をたどってみました。

清の乾隆帝の時代。
名前が記されていません。
上図と同じく、青色とオレンジ色の矢印の部分が当時の胡同。


『清北京城街巷胡同図 乾隆十五年(公元1750年)』(同上)

清末の朱一新(1846-1894)によって光緒年間に書かれた『京師坊巷志稿』。
名前は「孝順胡同」。残念ながら、地図はありません。

民国三十年代(1941-1949)に作られた地図。
名前は「孝順胡同」。

この地図を見ると当時の胡同が現在のように短くなっていることが分かります。


『北平市全図』(蘇甲榮編製、日新輿地学社出版)複製より。

では、いったい、いつ頃からこのようにその長さが短くなってしまったのか。
断定はできないものの、とりあえず結論めいたことを書いておきますと次の通り。

直前地図中「耶蘇教堂」とあるのは、「北京基督教会崇文門堂(亜斯立堂)」のことを指しています。
「亜斯立堂」の説明板によればこの教会がアメリカの「衛理公会(美以美会)」(英語名「Methodist
Episcopal Mission」)によって建てられたのは清の同治九年(1870)ですから、この年以降、教会
並びにその関係施設が設立されていく過程で、徐々に直前の地図のように短くなっていったのでは、と
思われます。なお、地図の右に「滙文学校」とありますが、この学校も「衛理公会(美以美会)」が設立
した学校でした。

次の写真は、この胡同の西端から東方向を撮ったもの。
写真正面奥に見えますのが「北京基督教会崇文門堂(亜斯立堂)」の正門。



ここで再び今回の記事冒頭に掲げた写真をご覧いただきます。



写真奥に見える大きな建物、これは北京で知らない人は皆無と言ってよいほど有名な“北京同仁
医院”の東院、写真に写っているのはその裏側です。

次の写真が玄関のあるおもて。


(ちなみに、ここは、もと「金朗大酒店」というホテル。今世紀の初めごろに医院が購入、病院施設と
して改造したものです。同仁医院に関しては「北京同仁医院」のホームページを参照、以下同じ)


さて、今回、この小さな胡同を訪れることによって、多くの驚き(収穫)がありました。
その内の主なものを二点書き出してみると以下の通りです。

一つは、この同仁医院の始まりが、清の光緒十二年(1886)に「亜斯立堂)」と同じくアメリカの「衛理
公会(美以美会)」が開いた中国名「同仁医院」という眼科診療所であり、しかも、その診療所の置かれ
た場所が、なんと、今回ご紹介した「曉順胡同」の前身である「孝順胡同」内であったことでした。そ
れまでのわたしには「キリスト教系の病院“北京同仁医院”が初めて開かれたのは、旧使館区の東交民
巷の中だろう」という思い込みがあったのですが、今回の「曉順胡同」訪問がその思い込みをありがた
いことに見事なまでに粉々に打ち砕いてくれました。

二つ目は、あの悪名高きアヘン戦争、より具体的には第二次アヘン戦争(アロー戦争/1856-1858)以
降の北京の変動のあり様の一端をこの目でリアルなかたちで確認することが出来たことでした。

さてさて、この小さな胡同とその周辺の様子は、たとえていえば、まるで西洋渡来のパンの間に中華
料理をはさんだサンドイッチのようなもの。どうやら、これからもこの複雑でデリケートな味わいを
持ち、しかも栄養たっぷりなサンドイッチをじっくりと味わっていく必要がありそうです。

今回訪れた小さな胡同、それは小さくなってしまった胡同でした。


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