北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第201回 北京・治国胡同(前) ここにも三元庵という名のお寺があった!?

2018-08-22 15:42:38 | 北京・胡同散策
今回は、前回ご紹介した三源胡同の南側にある治国胡同(ZhiguoHutong/ヂーグオフートン)
を散策してみました。



次の地図の緑色に塗った部分が治国胡同。


上の地図は本年2018年1月に印刷、中国地図出版社より発行された『2018年北京地図 大城区詳図』
の一部ですが、胡同の実際の形状とはやや違っていることをお断りしておきます。

この胡同が、「治国胡同」と呼ばれるようになったのは1965年からですが、ぐっと時代をさかのぼっ
て、明の時代には「姚鋳鍋胡同(ヤオヂューグオ フートン)」という名前でした(『北京地名典』王彬/
徐秀珊主編、中国文聯出版社、修訂版)。

時代が下って次の清の時代には、「三元庵胡同」。
この地に「三元庵」というお寺があったことに由来しているそうです(同上)。


緑色で塗ってあるのが当時の三元庵胡同。赤い矢印が指しています。この地図は『北京胡同志』
(主編段柄仁/北京出版社)所収の「清北京城街巷胡同図 乾隆十五年(公元1750年)」の一部。

なお、『古都北京デジタルマップ』所収の「乾隆京城全図」(vol.10/4ページ、カラー高解像度)
で「三元庵」というお寺のあった場所を探してみたのですが、わたしの不注意で残念ながら見つけ
ることができませんでした。

ちなみに、「乾隆京城全図」(vol.10/4ページ)の地名リストには「三元庵」という寺名が二つ記
されており、このうちの一つは前回ご紹介した「三源胡同」にあった「三元庵」を指していると思
われます。

また、この「三元庵胡同」という地名は、やはり『古都北京デジタルマップ』所収の「乾隆京城全図」
(vol.11/5ページ)の地図上ならびに同ページの地名リストにも記されています。


さて、この胡同は、次の民国期には「堯治国胡同(ヤオヂーグオ フートン)」と改名され、1965年
に現在名へ。


上にこの胡同の名称の移り変わりを書きました。

明の時代。
「姚鋳鍋胡同(ヤオヂューグオ フートン)」。
「姚」というのは人名に使われる漢字ですが、この時代に「姚」さんという鍋づくりの名人が
この胡同で暮らしていた。そんな風に考えると、楽しい。

清の時代。
「三元庵胡同」。「三元庵」という寺名に由来。

民国期。
「堯治国胡同(ヤオヂーグオ フートン)」。
「堯」(ヤオ。日本語でギョウ)。

この「堯」という漢字を中国古代の伝説上の優れた帝王の名前と捉えてみると、近代化の波が
どっとおしよせた民国期に、古代の、しかも伝説上の帝王が蘇ったのかと思われ、不思議とい
う気持ちとともに興味津々たるものがありました。

なお、「堯治国」(ヤオヂーグオ)の音が前の清の時代を飛び越えて、明の時代の「姚鋳鍋」
(ヤオヂューグオ)に似ている点にそこはかとない笑いがこみ上げてきて、可笑しい。


当日は、赤い矢印の所(西入口)から歩き出しました。
今回ご紹介するのは、緑色の部分です。




入口のお粥屋さん。


このお店は、食事時間にしか開店しておりません。



超市(スーパーマーケット)がありました。



烟酒超市と書いてありますが、ジュース、アイスクリーム、お菓子の類なども扱っています。


お店の名前が書かれていないのは、お客さんがほとんどご近所さんばかりなので、書く必要など
まったくないからなのです。

無人コンビニの姿を見かけるようになった昨今ですが、上のようなスーパーの行く末をこれからも
写真に撮っておくだけですが、記録しておきたい。



次の写真正面に洗濯物が写っていますが、この辺りで道が二手にわかれています。



当日は、左方向、北方向へ行ってみました。







雨風に傷んだ横批。
向かって左の字は不明。残りは「星高照」と書かれています。
一般的には「吉星高照」と書かれていることが多いのですが、「吉」の部分は「福」という字
にも見えます。



この横批の貼られた家の前を過ぎると突き当たりになり、そこを右折。



ここ数年、中国では“シェア自転車路上アート”が大流行り。
それは、胡同でも例外ではありません。


原則的に乗り捨て自由なシェア自転車。おりしも中国二大シェア自転車が山を築いていました。
イエローが「ofo」、オレンジとシルバーが「Mobike」。

“シェア自転車路上アート”は、利用者と企業家とが仲良く手を結んでつくり出した、時代の
尖端を行く笑えないモダンアートの傑作です。

吉星高照。
どうか、吉星が胡同をこの路上アートからお守りくださいますように!!











上の写真は、治国胡同41号院。
ここに写っていないものも含め、玄関上には20台ほどの電気メーターがありました。
このメーターの台数はこの敷地内の戸数を表しています。



鳥籠と小鳥。


小鳥の可憐な姿が目を楽しませてくれました。ありがとう。


41号院から少し行くと、



「賓館」とだけ書かれた看板。



「おおらかな看板だなぁ」
と思いながら、看板の裏側に回ってみると、
なんと、「慶興賓館」と書かれているではありませんか!!



この「慶興賓館」は、前回ご紹介した三源胡同でも見かけた旅館。


上の写真は前回ご紹介したものですが、三源胡同の「慶興賓館」とこの胡同のそれとは、
つながっていたというわけなのです。

慶興賓館の前を少し行くと、またまた賓館。





「天賜賓館」。

この賓館についてはさておき、写真奥で道が二手に分かれています。
そこで、向かって左手の細い路地を覗いてみると・・・


路地の奥に「京哈招待所」という看板があり、しかも道が左右に走っている
のが、お分かりになるでしょうか。

この道は前回ご紹介した「三源胡同」。

この細い路地は、「治国胡同」と「三源胡同」とを結ぶ路地、というわけなので、
ここは、「三源胡同」に通じる方向とは反対方向に歩いていかなくては。



さて前へ、と思っていると、可愛らしい電動三輪車がやってきました。



「京哈招待所」という看板の下を進むと、左手には、赤い提灯の列。



ここは「五豊福院」という四合院ホテルでした。






このホテル、正式名称は「北京五丰(豊)福院四合院酒店」。お値段は450元から900元。
けっこう評判の良いホテルのようです。

宿泊客の撮った写真が、楽しい。ご興味をお持ちの方はご覧ください。
(http://www.meituan.com/jiudian/110880231)

なお、上の写真右手に路地が見えますが、この路地を行くと、前回ご紹介した三源胡同2号院。


さて、お次の写真は、上のホテルの正面。



正面左手。



正面右手。



湿度も高く、気温30℃から35℃の間を上下する暑い日が日常化してしまった今年の北京の夏。
室内温度の上昇を少しでもおさえるためにあみだされた生活術。








上の写真奥を横切っているのは、やはり「治国胡同」の一部ですが、まずは左手方向へ、
つづけて右手方向を歩きます。



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