北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第226回 北京・喜慶胡同 カササギと一本のエンジュの木

2019-05-09 11:10:06 | 北京・胡同散策
北京を旅する人は、かならず槐(エンジュ)の木を見かけるはずだ。

明治42年の『北京誌』(清国駐屯軍司令部)には「城内に成長する喬木はほとんど
槐(エンジュ)と楡(ニレ)というも過言にあらず」とあり、昭和の日中戦争下の
北京に在留した日本人は「北京の街路樹は、中国歴代の為政者が、幹を切る者は
首を、枝を折る者は腕を、切るとの峻厳な施策を以て、苦心惨憺の結果今日の大
木に生育したものである」(『北支那開発株式会社之回顧』槐樹会刊行会)と書い
ている。大切に育てられた街路の樹とは、槐の木を指す。

また、幸運な旅人は街路の樹を飛び交う鹊(カササギ)の美しい姿に眼をみはる
にちがいない。

鹊(カササギ)とは、七夕の夜、牽牛、織姫の逢瀬のために、その翼で橋をつくる
といわれる、人々に喜びをもたらす御目出度い鳥。

昔、一本の老いた槐の木があり、その樹上に常に鹊が巣を作っていたという。今回
とりあげる胡同が、明の時代「喜鹊胡同(XiqueHutong/シーチュエフートン)と呼
ばれた由来なのだそうだ。

地図を見ると、前回ご覧いただいた「麻线胡同」の東口から現在の「北京站街」まで
あったことが判る。


地図は、『北京胡同志』(主編段柄仁、北京出版社)所収のものを使用。


時代が下り、清の時代「喜雀胡同(XiqueHutong/シーチュエフートン)」と改名。


地図、同上。


次の中華民国では、なぜか「喜鹊胡同」という名称が復活しているのが興味深い。

ちなみに、日本との関連で書いておけば、日本占領時、この胡同内には日本の医院
があった。

名前は、「坂口医院」。
住所は、喜鹊胡同二号
(『北京案内記』昭和十六年一月発行、新民印書館より)。


『最新北京市街地図』(東京アトラス社編纂、昭和十三年四月五日発行、複製)を
使用。


そして、復活した「喜鹊胡同」は1965年に「喜慶胡同(XiqingHutong/シーチンフートン)」
となる。しかし、この「喜慶胡同」は25年後の1990年に取り壊しの憂き目に遭遇。その跡地
には、北京市邮区中心局や天元大厦などが建てられた。天元大厦は、現在、湖南大厦(HUNAN
HOTEL)となっている。

決して正確とはいえないが、「喜慶胡同」があったのは次の地図のオレンジ色の
点線部分。

地図は百度地図。

もし、北京を旅する旅人に北京站近くに立ち寄る時間があったならば、昔、喜慶胡同
があった辺りをぜひ訪れてほしい。きっと、樹上に鹊の巣のある一本の老いた槐の木
を幻視するにちがいない。



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