北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第138回 通州の胡同・悟仙観(その三) 名前の由来となった場所44号院

2017-04-25 11:26:32 | 通州・胡同散歩
9号院を後に歩き出しました。





9号院の出入口が壊されていたのはショックでしたが、歩き出して玄関に貼られている
春聯を見ると元気が回復してきて「よっしゃぁ!!」と気合が入ります。





私好みの宅門が見えます。







曲がっているところが「ちょっと」と思わないでもありませんが、これはこれでよろしいかと。



入口の戸の上に渡してある木製の横木、中国語で「門楣(menmei)」。
感触といい、模様といい、十分説得力のある細部です。



門墩。





磨り減っていて、なんの模様だか分からない状態でした。






ここは13号院。



前にも書きましたように、「悟仙観」という所番地をしめす門牌に並んで「南倉街」という
門牌が貼られているのは、私の確認したところではここ13号院まででした。

写真を撮っていると中から子犬。







普段、飼い主さんや周囲の人たちに可愛がられているためか、一見警戒心がまったくと言ってよいほど
ないように見えます。が、その実まだまだ幼く、遠くに遊びに行くのはおっかないようで、玄関の近く
を離れることができないようです。



名前が分からないので、勝手にクロと名付けました。


クロと別れ、再び歩き出しました。





上の写真のお宅玄関には何も貼られていませんでしたが、斜め前のお宅には門神。







ご覧のように、貼られている二神は「秦叔宝(しんしゅくほう)」と「尉遅恭(うつちきょう)」
です。

前にも書きましたように、唐の太宗が夜、悪鬼に悩まされて安眠できなかったとか。そこで勇名
を馳せる秦叔宝と尉遅恭の二臣を門に立たしめたところ効験があったそうです。そこで画工に命
じて彼らの像を描かせ、宮門に懸けるようになり、これが後世に受け継がれたとか。

門神は邪気の侵入を防ぐ護符ですが、それがどうして財神になったのか興味深いところです。



上のお宅の壁沿いの植え込み。



目にも鮮やかな緑が見られるようになるには、今少しかかる時期の写真撮影でしたが、その代わりに
春聯が目を楽しませてくれるのです。

斜め前のお宅玄関には、豪華にも春聯、門神、そして福の字の三種類が貼られていました。



しかも、春聯は手書き。
上手下手に関わりなく手書きの春聯には心がこもります。



各家庭の春聯の文字がそれぞれ手書きであったなら、胡同は百人百様の春聯文字の競演です。
胡同の楽しさ倍増、間違いなし!!

門神は先ほどのお宅と同じく、やはり「秦叔宝(しんしゅくほう)」と「尉遅恭(うつちきょう)」の
二神ですが、こちらは武神でありながら、厳めしいというより、親しみの持てる可愛らしさがあり、
舞台劇風なところもひと味違い、思わず京劇を観たくなってしまいます。




斜め前は公共トイレ。



その前のお宅をとくとご覧ください。



角度を変えて。



上の写真では分からないかもしれませんので、正面写真を、どうぞ。



石段の跡があります。



ここにはもと、出入口があったのですが、何らかの理由で出入口を塞いでしまった模様です。
ならばこのお宅の出入口はどこかといいますと、建物脇の路地沿いで、チャウチャウと飼い主さん
が出てきた所。





チャウチャウと飼い主さんが出てこられた玄関。



悟仙観44号院。



「第136回 通州・悟仙観(その一)」でも書きましたように、こちらがこの胡同の名前の由来となった
道観「悟仙観」のあった場所なのです。

前にも書きましたように「悟仙観」は元代の至正年間(1341~1368)の初めに建てられたそうですが、
やはり『北京胡同志』によると時代が下って新中国成立後、ここには「南倉街小学校」という学校が
あったとのこと。先ほどご覧いただいた石段の跡は、もしかしてその頃の名残りかもしれません。
なお、南倉街小学校については不明瞭な点がありましたので今回は省略し、このような小学校が一時
的にもこの場所にあったということを記録しておきたいと思います。


路地を歩いてみます。







レンガがぶら下がっていました。



「このレンガは、いったい何なの?」とつぶやくと、「わたしは知りません」とでも言いだけな
ドアの取っ手。



狭い路地の道端の植え込み。



それは、春の到来を待ち望む北京っ子、胡同っ子の心の発露、心の形。
胡同に胡同植物園が溢れる季節のやってくるのが楽しみです。





ドアの対面。



突き当りを左。



今度は右折で、行き止まり。




再び歩き出しました。











門墩。



文革期の傷痕か。



玄関の柱には春聯の文字ではなく、なにやら書かれていますが、読み取れません。








華やかな春聯と門神。





門神はやはり「秦叔宝(しんしゅくほう)」と「尉遅恭(うつちきょう)」。
その隣にも春聯。





胡同正面。
写真奥を横切っているのは「中倉路」。
あと少しで悟仙観も終点です。







西の端から東側を撮ってみました。



次の写真は南側。



中国式のお医者さんがありました。



その隣。
南側の「悟仙観」という住所はこの辺りまで。



続けて北側。



北側は、写真左の塀が白く塗られている手前までが、「悟仙観」です。




さて、それでは前回お約束したとおり9号院のその後をご覧いただきます。
9号院の出入口がきれいに改修されていました。



現時点では、今後工事が9号院の内部にまで及ぶものなのかどうか分かりませんが、それらしき
動きがあった場合にはご報告させていただきます。

なお、気になったことが一つ。

入口の戸の上の横木「門楣(menmei)」の材料が木から石へと換えられ、これでより丈夫になった
ということなのでしょうが、悟仙観9号、南倉街9号と書かれた門牌の姿がどこにも見当たりません。
いったいどこへ行ったのでしょうか。個人的には非常に貴重なものなのですが・・・。


さてさて、さらにご報告を三つほど。

前回、蓋のはずれた木製の新聞受けをご紹介しましたが、その蓋が修理されていました。





また、今回ご覧いただいた中国式のお医者さんの前の街路樹の脇には、なんと!!長ネギが。







そして、クロとの再会もありました。



まだ幼さの残るクロでしたが、前回とは違い、だいぶ大きくなり、他の犬といっしょに胡同内を
元気よく走り回っていました。







クロは今、遊び盛りのようです。



   
  にほんブログ村

  にほんブログ村 海外生活ブログへ
  にほんブログ村