北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第130回 通州・周倉庵胡同(その一) “突き上げ戸”を見つけたのは良いけれど・・・

2017-01-26 10:41:06 | 通州・胡同散歩
周倉庵胡同。
旧通州城・南大街の西側に今も残る胡同。



慎ましい胡同口。測ると約90センチメートル。

西方向に少し進むと大人二人が通れる幅になる。



電信柱の蔭にあって、初めてこの胡同を訪れる人は見逃してしまうかもしれない、
奥床しい表示板。





右側には、古色を帯びた壁。銘『蓑虫』が脳裏をよぎる。



それに対して左側の壁は、磁器のコーヒーカップのようにツルツルだ。



南大街をはじめ、この界隈の胡同は保存・保護されることになった。しかし、具体的に
どのように保存されるのかは不明。
通州城は、多くの時・歴史が堆積した街である。出来うることなら、取って付けたようなテーマ
パーク化、過剰に観光地化した場所にだけはならないで欲しい。落ち着きと深み、風格ある街で
あって欲しい。歴史が息づき、生活感の溢れる街であって欲しい。


左右のお宅の窓の大きさの違いが印象的だ。



寒さ厳しい北京。北向きの窓は小さく、南向きは大きい。
気候が生活の一部に影響を与えた結果の現れである。




前にご紹介したお宅の壁もそうだが、少し進んだところのお宅の壁も気の毒というほかはない。
心無いある種の業者が黒の油性ペンで書いた電話番号などを消したあとが、痛々しい。



消しても消しても書かれてしまうそうだ。いたちごっこだ。
日本もそうだが、この国も文化財保護や保存など出来るのだろうか。正確には前途多難と
いうべきかも知れない。日本人の私を含め、人々の心にその余裕がないのだ。

思えば、立派な美術館や博物館はある。私も美術館や博物館に行く。
しかし、美術館や博物館の展示品とそれらを見る私という人間との関係はどうなって
いるのか。展示された“文化”と見る私の日常生活とは地続きに繋がっているのか。
“文化なるもの”がはたしてどこまで血肉化しているのか。その辺のことを省みると
心もとなく、実に疑わしいのだ。

上の壁沿いを歩くと、右側に路地があった。



奥まで歩き、来た方向を写してみた。



路地を出て、西方向。



胡同を歩いていて、「細い路地だなぁ」と思って歩いていると不意にぽっかりとした空き地のよ
うな場所に出ることがある。ひょっとして火災など災害時のための緊急避難場所になっているの
かも知れない。



写真を撮っていると、西方向から散歩中のイヌがやって来た。



ワンコ先生の進行方向はこの胡同の南側出入り口。



まずはワンコ先生がやって来た西方向の路地を歩いてみた。





おそらく糸瓜だろうが、前方に蔓巻き用の棚が。
「夏に来ればよかったかな・・・」と思う。
目を十分に楽しませてくれるからだ。



棚の手前右側に路地。行ってみたい。



写真左側や奥に見えるのはアパート。これらアパート群を「周倉庵胡同小区」と呼ぶ。



突き上げ戸(窓)があった。



北京の胡同を含め、突き上げ戸が胡同で使用されるようになったのは、いつ頃のことか。
たとえば、明や清の時代の絵や文書を探せば出てくるのかも知れない。その場合、当時の
人々の暮らしぶりの一端を知ることができ実に楽しいのだが、日頃の勉強不足が祟って
分からない。情けない話だ。しかし、通州の胡同では初見である。貴重な体験だった。


 
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