「入江貝塚に人が住み始めたのは、縄文前期の終りころ(約5千年前)です。
このころの土器は大きな筒の形をしていて縄を押し当てたり、棒に巻き付けて転がしたりして紋様をつけています。
中期に入ると土器に粘土紐を巻き付ける紋様が現れたり大きな突起をつけるなど変化しています。入江式土器は縄文時代後期(約3500年前)のはじめころに使われていた土器です。」と解説されている。
古い土器から見ていきます。「縄文前期」の土器です。
特に変わった変化は無いよう。有珠山も落ち着き噴火もなく平穏に過ごしていたと想像できる。土器の縄文も波が静かに思える。土器から感じることです。
縄文中期の土器は、口縁部が飛び出している。
山が隆起したか特別な意味があると思える。有珠山が隆起したと感じる。
下の画像は、異なる土器の突起(隆起)の部分ですが、隆起した山を現していると思える。実は、突起した形が「北黄金貝塚のすり石と似ている。
意味のある事項である。地殻変動があったことだろう。
下の土器は、驚いたことに「赤く」塗られている印がある。「火口」と思える。
これは「噴火口」ということかもしれない。
泥流か火砕流が流れている。この時期に火山があったと予想できる。
縄文中期の事だ。ホントかな?
縄文後期の土器には、山が生活の場になっていないのだろうか。
入江式紋様がつけられる。この紋様は有珠山の地殻が変動したり海上にも影響して津波のような現象が起こっているとも考えられる。
有珠山が山体崩壊したので、山がなくなったとも解釈できそう。今後とも土器紋様の事実を確かめ噴火との関連を求めたいものだ。
今後とも入江貝塚の土器をよく観察して「有珠山の山体崩壊との関連」があるかを確かめることが必要だ。善光寺泥流の発生した時期も関連する。
縄文楽 浄山
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