縄文余話(クリ供養)
クリ供養(巨大柱)
今から訳5500年前から4000年くらい前まで。(縄文中期)
縄文時代で、クリで有名なのが 青森県三内丸山遺跡です。日本最大級の縄文集落跡です。
三内丸山遺跡からたくさんのクリの柱と大粒のクリが出土した。
クリ林の植林のある縄文土器だと思います。
三内丸山遺跡では、クリの巨木を柱に使った建造物があり、遺跡の周辺の森は大半がクリの林だったことがわかっています。
三内丸山遺跡は、クリとともに栄えた定住型都市型社会だったようです。
(以上は解説文の抜粋)
ここで
石川県の真脇遺跡の環状木柱列に注目します。
なぜなら三内丸山の巨大柱と意図が関係していると考えているからです。
ここは、イルカの供養のモニュメントだと考えています。
最近までイルカの追い込み漁をしていた所です。
縄文の心は「すべてが生きる」の名目からイルカの命を頂く行為をしているのです。
そこで、イルカの供養と再生を願って十本の木柱列の柱を立てて祭祀場を作ったと想定したのです。
イルカの供養を考えている。
名残としてキリコ祭が今でも行われている。
三内丸山遺跡の巨大柱は何を供養して送るためのものかいろいろ想像しましたがクリと仮設を立てたのです。
縄文土器にもクリの栽培が見られる。
ねぶた祭りが巨大柱のクリ供養とつながっているのかもしれない。
現実味のある想像かもしれない。
意図的に墓が作られたりしていることからヒトの供養も行っただろう。
なんのために巨大柱を立てたかは縄文土器の解読で判明するだろう。
縄文楽 浄山
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