この土器を見た時に解読不能と思い、模様を見て「なんだ・・」と驚きました。
だが、次のような解説が参考になりました。
「境A遺跡は、富山県の東端の朝日町にあります。 北アルプスから続く山地が背後に迫る海岸段丘にあり、目の前には日本海が広がっています。 眼下の宮崎・境海岸は、別名「ヒスイ海岸」と呼ばれ、ヒスイ(硬玉)の転石が打ち寄せられ、 今でもヒスイを拾うことができます。」と解説されています。
縄文時代中期から晩期 (約4800~2500年前)の遺跡です。
つまり、「玉作りのムラ」境A遺跡 は「日本のヒスイ文化のふるさと」と言えます。
「おらの世界を土器に表す」
この土器の世界は、模様として「山.川.道」を模しているのが特徴と感じます。
「山の峰」は、北アルプス(山岳地帯)で、山の頂は「天空」への道と感じます。
「川」 ヒスイが海岸にあるということは、川にヒスイが流れてくるのでしょうか。
この川は、ヒスイを運んできてくれる貴重な川で、近くには「ヒスイ工房」があったかもしれません。
「山道」 「ヒスイ街道」ともいわれた道かも知れません。つづら折の山道かも・・。
「海」 縄文を表す波の模様はありません。それは、海が生活の主とした場でなかったからかもしれません。
「丸い輪」がたくさんありますが「橋」「谷間」等でしょうが未解決です。
ヒスイの産地に谷川伝いに山道を歩いて行ったと考えます。
「北黄金貝塚」にも、糸魚川産というヒスイが展示されています。
縄文楽 浄山
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