気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

雲龍釜に代え筒釜にて

2017-03-21 18:43:55 | お稽古
久しぶりの本降りの雨・・・気が滅入りますね。
でも、東京の靖国神社のソメイヨシノ桜に5輪以上の花が
平年より5日早く開花したと、嬉しい知らせになります。
昨日の大和郡山城の桜は、蕾が膨らみつつありますが?

奈良は3月31日頃だそうで楽しみです。

今日、朝は小間での釣り釜で誰ヶ袖棚の扱い
昼すぎから広間での立礼での自宅稽古の予定で、
今月は釣り釜、揺れる雲龍釜でも不慣れなのに、
蓋の摘(つまみ)は搔立釻[鐶](かきたてかん)
でもこの扱いがまた・・・

ということで・・・
釜を普段使いの筒釜に替えさせていただき、お稽古の
準備を始め、どうでしょうか? 
  
床は、『春』と
ぼんぼり香合、花は黒文字に紅白の椿を
 
主菓子は「引千切(ひちぎり)」を

あと少しで、お雛様も仕舞わなくては。

椿餅をクロモジの花のもとで

2017-03-20 10:05:25 | 主菓子とお干菓子
この土日と、茶飯釜の点前をさせて頂きました。
なかなか慣れないと、揺れて大変だったようなのですが?
こんな問いかけをしております。
土曜日来られた高校生、今年から始めたばかりなのですが
毎週稽古に励まれ、上達めざましく、
”次の茶事で「薄茶点前」をしてみませんか?”と
日曜日の方々には
”来月は透き釜になるのですが、茶飯釜のお稽古を続け、
 来月下旬から五月中にのどこかで『茶飯釜の茶事』を
 してみたいので、いつがよろしいですか?”っと

さて、どうなることでしょうか?
床のしつらえは、軸は先日紹介した『春』
香合は「ぼんぼり」

花は、紅白の有楽椿と初嵐椿に、新葉の緑が混ざり、
黄色い小さな花の咲く『クロモジ(黒文字)』を。
雌しべがなく、雄しべのみの9個ある雄花でしょうか?
 
クロモジは樹皮に黒い斑点がありクロキと呼ばれ、
皮目を文字に見立てて名付けられたという牧野説や、
古く宮中の女房詞では「~モジ」をつける風習があり、
この木の名をクロモジと呼んだとされ、現在でも
高級な楊枝として使われております。

今日の主菓子『椿餅』をクロモジの楊枝で頂きましょう。
今回は、黒米の代わりに、赤米を使うと、漬け置き時間
不足のためか、粘り気がなくブツブツ感の残った餅に、
それはそれで、この感触もいいものです。
 
また若い方々は、何事も吸収し覚えてくれます。
返答に困ることもありますが、今回は
「この椿餅の葉も食べられますか?」と聞かれ、
”お茶の樹と同種ですから害はないのでしょうが、
 硬くて食べれないのでは”と
若い方の柔軟な発想力に感心しますね。

ウグイスカグラ(鶯神楽)を玄関に

2017-03-19 14:03:57 | 季節の花々
今朝から自宅稽古中、台所の火災報知器が鳴りだしました。
炭からの一酸化炭素に敏感に反応したのです。
隣のLDKの換気扇の付け忘れ、小間の窓を少し開けますと
近くの林から少し音程の変な鳴き声が・・・ウグイス「鶯」だ
気象台からの発表はないが、奈良でも初鳴き日を迎えました。
春ですルンルン気分でお稽古が進んでいきます。

ウグイスと言えば昨晩、食事会のお店の庭に咲く花を
頂いており、その花の名も『ウグイスカグラ(鶯神楽)』です。
紅色で先端が5つに開いたラッパ状の小さな花が咲いており、
ぽつちりと紅き鶯神楽かな
          矢島渚男

花は、有楽椿と初嵐椿に、この『ウグイスカズラ・鶯神楽』で、
名前の由来は、ウグイスの鳴くころに花が咲くことと、
ウグイスが隠れるようなヤブになることからだそうで、
古名のウグイスカグレ(鶯隠れ)が変化したとも
さらに、六月頃に出来る甘くて赤い実をウグイスがついばむ姿が
神楽を踊っているように見えることが名前の由来ともいわれます。
 
ウグイスカグラを玄関に飾ったその日に奈良で鶯が初鳴きし、
なにかしら不思議な縁を感じました。

茶飯釜でご飯を炊いてみました。

2017-03-18 12:56:21 | お稽古
朝から春の陽ざしを浴びて、自宅稽古の準備をと・・・、
ところが続けてキャンセルの連絡で、朝はフリーになり、
昼過ぎのお稽古に向け、気持ちを切り替え、
頂いた時間を楽しみましょう。
実は月末に二年前以来の茶飯釜の茶事に誘っていただいており、
三回目になりますが、本を読んでもなかなかです。

今日は、使ったことのなかった茶飯釜での薄茶をと
思っており、空いた時間でご飯を炊いてみました。

釜には「自在菴宗徳」両面に[飢来飯]‣[渇来茶]と鋳出され
”[飢来飯]は、腹が減ったら飯を食べに来て下さい
 [渇来茶]は、のどが渇いたら、茶を飲みに来て下さい”と
「くつろぎの茶事」と云われる由縁なのですね。
準備・準備
玄米(今回は一合)を精米し、研ぎ、洗い米を
麻袋を用意しなくては、

間に合いました。釜にお米の量に応じて水を入れ、
そして麻袋に入った洗い米を釜へサラサラと

釜の米をならして、釜を掛けます。

しばらくすると、ぐつぐつと蒸気とともに釜が揺れます。

何とも言えぬご飯の香りがしだすと
15分程度で炊きあがり、10分位蒸らしますと、
きれいなおこげのご飯が出来上がりました。

美味しく炊けており、私にも出来そうです。
「茶事知らずして茶を語る勿れ」といわれておりますから
幻の茶事ともいわれる『茶飯釜』ですが、こんな楽しい
寛ぎの茶事でしたら、気楽に足を運んで頂けそうで、
本当に何事もやってみなくてはなりませんね。

お昼過ぎの稽古の準備、そうでした「椿餅」の椿の葉を
準備しなくてはいけません。 

月ヶ瀬梅渓と烏梅(ウバイ)

2017-03-17 14:45:36 | 散策
烏梅(ウバイ)』ってご存知ですか?
私も「月ヶ瀬梅渓と富岡鉄斎」の講座で初めて知りました。
梅の果実を薫製にし、烏(カラス)様の黒い色が由来で、
中国では、後魏で著作された実用農書『斉民要術』に
実梅の製法が記載され、日本には遣唐使により樹木より先に、
漢方薬「wu mei」ウメイとしての持ち帰られてたそうです。
漢方薬としては鎮痛・解毒作用があるため、煎じて風邪薬や
胃腸薬として用いられ、中世になり梅には「クエン酸」が
多く含まれ、紅花から「紅」の色素を取り出す時、天然の
クエン酸を染色の「媒染剤」として利用したのです。
特権階級の人々が愛用した「紅花染め」や明治時代まで
日本女性を彩った口紅・頬紅の媒染剤として『烏梅』は、
欠くことのできない貴重な物だったそうです。
月ケ瀬梅林はこの烏梅を作るために植えられた梅林なんです。
月ヶ瀬の名は渓谷を流れる川面の漣に月光が輝くさまからで、
烏梅が作られるようになったのは、こんな謂れからなんです。
”後醍醐天皇の笠木落城(1331年9月)時に「園生側女」が月ヶ瀬
 尾山に逃げ延び、村人達に助けられたことで「烏梅(墨梅)」の
 作り方を教えた。この烏梅が高値で売れるので、村人こぞって
 白梅の木を植えたと”
この白梅の木は野梅といわれる原種に近く、梅干しには不適で、
6月下旬から7月初旬にかけ、赤く実が熟し落下するまで放置され
落ちた実をザルに拾い集め、竈や煙突からの煤を入れて、ゆすり
ながらまんべんにまぶします。

風呂桶大の土穴で、もみ殻に火をつけて、
くすぶらせた煙りの上にまぶした実を竹蓆を並べ置き、

水を少し撒き丸一日燻煙し続けます。

この黒く燻した実を筵に並べ、二週間天日に干すと

真黒く皺のよったカラカラの烏梅ができます。


明治に入ると、化学染料の導入により月ヶ瀬は変貌をとげ、
梅樹を切り倒し、炭を焼いたり、茶畑・桑畑へ転作され、
10万本から1万本へと数を減らし、烏梅に携わる家も一軒また
一軒と減り、現在、月ヶ瀬いや全国で作ることのできる人は
ただ一人、国選定文化保存技術者の中西喜久夫妻だけ、

帆浦梅林・祝谷に「梅古庵」というお店を出されております。
 

また東大寺の修二会(お水取り)の『のりこぼし造花』とも
『烏梅』は縁があることを知りました。
昨年の修二会を案内していただけた宝珠院さんでお会いした
染色家の吉岡幸雄の名前が。

まず紅花染めの方法は、「日本の色辞典」吉岡幸雄によると
『紅花染め』は寒の紅ともいわれ、2月頃に染めるのが最適、
春色の紅梅の色を出すには、オレンジ色の紅花がアルカリ性の
灰汁で紅色を分離するため、紅花をたっぷり使い、何日も
繰り返し染めると赤く濃く染まり、韓紅色に染め上ります。
この次に烏梅が紅色を引き出す仕上げの決め手に使われます。
まずこの『烏梅』に熱湯を注ぎ入れ数日放置すると、成分が
溶け出し良質な果実酸が出来上がり、これを薄め、先ほどの
韓紅の布を手繰ると、より透明で鮮やかな紅梅色になります。      

『のりこぼし造花』の紅色も『烏梅』を使った「紅花染め」で
作られております。

『烏梅』を作る技術が絶えると修二会も出来なくなりますね。

月ヶ瀬梅渓へ

2017-03-16 11:43:53 | 散策
昨日は冷たい風が吹き、時折小雨も振る寒ーい一日。朝早くから
下校時の「子供見守り」当番のため9時40分から待っていると、
低学年生がわいわいとしゃべりながら帰ってきます。
”お帰り”というと「ただいま」と返してくれます。
半袖半ズボン姿の子に、”寒くないのー”「ぜんぜん」と
”さよなら、真っ直ぐ帰りなさいね”の声で「さようなら」と。
そして大きな数人の小学生は小さくなったランドセルを背に担ぎ
手には何か広げ、笑いながら帰ってまいります。そういえば
明日は小学校の卒業式、覗き込むと『卒業アルバム』でした。
”小雨が降っているから、大事にしなさいよ”「判りました」
”卒業おめでとう”と言うと「ありがとうございます」と返事が
私の初孫も小学校卒業で、成長が楽しみですが・・・、実は
心に決めた部活のため、部活の強いこの地区の中学へ通うため、
下宿をお願いされており、嬉しいのですが、爺婆が出来ることは
二食とそっと見守るぐらいしかできませんね。

見守ると言えば、この火曜日に、月ヶ瀬梅渓へ観梅に。
奈良市中心部よりも半月ほど遅く3月中旬が見頃となり、
江戸時代後期10万本の梅樹が、現在は1300本にまで漸減したが、
明治中ごろから保勝会が設立され、維持されており、
五月側沿いから斜面に広がる梅林は、一見する価値があります。
梅見期間中は奈良から定期バス(片道1360円、75分)以外に
臨時バスも出ており、車では50分ほどで到着します。
五月川の下流には高山ダムがあり、水を湛えて湖面に
赤い月ヶ瀬橋が映え、下流と上流を眺めます。
下流 上流
橋を渡り、そのあたり、対岸の一目万本を撮ります。

橋のたもとに、梅の資料館が佇んでおり、(後述します)
月ヶ瀬マップを頂き、観梅へ向いました。

代官坂入り口に、名勝指定碑(日本で最初1922年)があり、

急坂を少し上ると五月川が
下流 上流
途中にお地蔵様がほほえんで見守ってくれております。
あともう少しで、なだらかになりますよ。

途中、今年初めての鶯の声を聞きました。ウレシイ
でも気象庁の初鳴日は奈良ではまだ観測されておりません。
探しますが、メジロやスズメと鳶が
 
梅のトンネルを抜け、天神梅林や帆浦梅林から眺めます。
下流
  上流
樹齢二百年の古梅「城州白」も

五月川沿いは7分咲き、梅渓梅林は見頃を迎えており、
この三連休は、最高の梅見日和になりますね。

故郷から紅ズワイガニが

2017-03-15 13:56:08 | グルメ
寒さで目覚めラジヲから流れる今日の花・花言葉は
『ラッパスイセン』で尊敬だそうです。
小庭でも一週間前から咲きだしております。

奈良は朝の最低気温は氷点下1.2℃と北海道以外で
一番寒い県庁所在地で寒いはずです。
練行衆の方々もこの寒さをものともされず(尊敬)
満行を迎えられ、「お水取り」も終わりました。(感謝)

終わりと言えば蟹の旬も3月まで、今日は蟹のお話を。
”茶道では「蟹」といえば、蓋置七種のひとつの蟹蓋置、
 火舎・五徳・一閑人・三つ人形・栄螺・三つ葉です。
 さらに利休三十五条嫌忌の一つ「蟹ばさみ」、
 茶巾をつまむ指以外の形や茶杓を取りに行く手に
 注意することを忘れてはいけません。”
話は、3月初めのお昼過ぎ、故郷富山からの電話があり
”明日蟹を送りますが、浜に揚がった蟹が少なく
大3匹、中4匹で我慢してください”と
翌日の午前中にはもう届き、雛祭りに間に合いました。
物流の早さに驚きとともに、従事される方々の労働環境の
悪化の原因は、サービス過多にあるのではないでしょうか。

長男・次男家族を含め三軒で分け、我が家分です。

滑川港では紅ズワイは水揚げ直後に浜で茹でられており
茹でられて36時間、奈良ではお目に掛れない新鮮な身は、
身離れはよく、ズワイよりもやや水分が多い割には、
上品な甘さが、香りとともに口いっぱいに広がり、
二人は黙々とあっという間に頂きました。
『紅ズワイ故郷の香運べけり』
           愚句 
甲羅のミソも絶品なので、今回甲羅の中に蟹身を少しと
卵を溶き入れオーブンで焼くと、また違った美味しさに。

紅ズワイカニ』(大1500円まで)は「ズワイガニ」に比べ、
ブランド力が無いので、大で1500円、中で1000円までと、
品質の割にお安く買えるとのこと。
漁期は9月から5月までと長いのですが、
旬は寒い時期3月までとのことで、間に合いましたね。
でも冬場は海があれ、二週間に一回の漁になりますので、
なかなか手に入らなく1月予定が3月に延びたそうです。
でも懐かしい故郷の味を楽しめ、御馳走様(感謝)。

参考)紅ズワイガニはズワイガニに似ていますが、
全体に赤みが強く、雄は長い脚が特徴になり、
生息域はさらに深海の水深450~2,500メートルで、
両種は元は同種の蟹で、1万年前日本海に閉じ込められた時
深海に逃げることで進化適合し、固有種になったそうです。
時には交雑種も揚がり、いったいどんな味なのでしょう。

誰ケ袖棚にて

2017-03-14 19:05:31 | お稽古
修二会も今日で本行14日目、最後の松明は18時半に上堂し
各行の後、15日0時過ぎに練行衆の方々は一度下堂されます。
午前1時には再度結願のため上堂後破壇に、
午前2時には涅槃講等を済まされ、
午前3時45分までには満行下堂と相成ります。少時休憩後
午前9時から荷運び、午後1時礼堂にて涅槃講を済まし、
二月堂下の開山堂を御礼参拝され、解散になります。

修二会の行が14日に渉るのでしょうか?
二月堂の本尊さんは、秘仏の十一面観世音菩薩さんですが、
堂内には実は、二体の観音像が安置されており
通称大観音さんと小観音さんと呼ばれております。
行は通常7日程度ですので、前半7日は大観音さんの行に、
そして3月7日の日没後小観音さんは内陣から出御、
礼堂に安置され、後半の行が行われるためです。
なお15日のだったん帽戴きは午前9時~午後3時までです。

 
お水取りが済みましたら、奈良に春がやってまいります。
弥生月は大和郡山や高取・土佐では各家でお雛様がお出まし、
我家広間の床にもお雛様を飾っておりますが、小間には・・
お雛様をイメージして『誰ケ袖(たがそで)』をと考え
探しますが・・・どこへ仕舞ったのでしょうか?
見当たらず、糸巻き棚で代用し、
 
釣り釜で、初炭、糸巻き棚薄茶のお稽古を終えましたが・・・
  
なんとなくしっくりきませんので、再度探すと、
ありました。
 
『誰ヶ袖棚』とは、茶道大辞典(淡交社)によれば
裏千家十四代無限斎(淡々斎)好み。
もとは法隆寺古材で好まれた。
天板は、表は古材のままで、裏と小口は溜塗、
客付手前が丸く切り落とされ、衣服の片袖形となっている。
地板と三本の柱は溜塗で、柱には黒で蔓の漆絵が施される。

炉の時季にのみ用いられ、同形の玄々斎好は
大仏殿の古材を用いられております。
点前の展開は、利休好の山里棚と同じで、
茶入(棗)と茶筅は流さず、水指正面に置き合せます。

参考)『誰袖』とは、大辞泉によれば
色よりも香こそあはれと思ほゆれ
       誰が袖ふれし宿の梅ぞも

古今集の春上33、読人知らずからで、
1.匂袋  の名。衣服の袖の形に作った袋を二つひもで結び、
たもと落としのようにして携帯した。
2.細長い楊枝  さし。
3.桃山時代から江戸時代にかけて流行した種々の豪華な
婦人の衣装を衣桁 にかけた図。屏風  などに描かれた。
4.衣服の片袖の形や文様を意匠に取り入れた器物。
  誰袖模様の茶碗・水指・向付、誰袖形香合  などがある。

修二会に間に合った良弁椿の一番花

2017-03-13 16:15:08 | 散策
奈良は暖かな朝を迎え、昼前から一雨ありましたが、
朝の自宅稽古を終え、急いで片付けも済ませ
昼から奈良の町へ行かなくてはなりません。

実は今日含め残り三日となった確定申告がまだだったのです。
流石に混んでおり、来年は早くしなければと反省を・・・
ここまで来たのですから、12日の「お水取り」も終わり、
修二会満行・解散の15日14時前まであと50時間を切り、
二月堂へと雨も止んだ曇り空のもと足を進めました。
知事公舎から別火坊の戒壇院を通り、二月堂へは
石畳と土塀の小路の裏参道からのルートを取ります。
  
お水取りの行われた若狭井のある閼伽井屋です。
 
二月堂への階段には今日13日に上堂される松明が10本
堂司さんが、階段を掃除されております。
 
昨日の籠松明の燃え残りのスギの葉を頂き、
家に持ち帰り、祀りました。
 
各局はお参りの方々で大変ですが、練行衆の行の様子を
しばし聞き入らせていただきました。(撮影禁止!)
来年は、是非とも夜に伺いたいものです。
 
階段を降り、もう一つの目当て
千手観音菩薩立像さんのおられる三昧堂(四月堂)横に
良弁椿の花が置かれているのです。
今年 昨年
修二会に一番花が間に合いましたとのこと、
開山堂の庭に咲く良弁椿(のりこぼし椿)は・・・
花が見当たらず、葉の一部に黄色味がかり、
どうしたのでしょうか、心配です。
 昨年
でも開山堂のなかに、良く似た絞りの椿の蕾が?

開山堂の正面に廻いますと、松明が大小二本あります。
(なお奈良の登大路ホテルの玄関先にも)
 
大きい籠松明ということは、昨日上堂に使われた松明の残り、
80Kgの籠松明がこんなに小さくなるのですね。
 
もう一度振り返り、二月堂さんにお辞儀をして帰りの途に

もうすぐ、奈良にも春がやってまいりますね。

大学入試後期試験とお水取りの日

2017-03-12 15:20:53 | お稽古
今日は朝からお稽古に伺う途中、奈良女子大学正門では
大学入試の後期試験日でいつもと違う張り詰めた雰囲気・・・
全力を出してくださいね。
  
そして二月堂では、クライマックスの「お水取り」の日に。
今日の修二会は、19時半に11本の大松明(籠松明)道明りとして

練行衆が上堂され、3月12日深夜(13日の午前1時半頃)二月堂下の
若狭井(閼伽井)から観音さまにお供えする「お香水(こうずい)」を
汲み上げる儀式、「お水取り」が行われます。

こんな故事が由来です。実忠和尚が六時の行法を始められた当時、
毎夜の神明帳の奉読に応じて諸国の神々が祝福のため来られたが、
若狭の遠敷(おにゅう)明神だけは釣りが好きで遅れ、終わり頃に
やっと間に合い、お詫びに閼伽(あか)水を献納しようと云われると
白と黒の鵜が磐石を割って地中から飛び出し、その後から甘泉が
湧き出すと香水が充満し、石で囲ったのが閼伽井になりました。
若狭井伝説(二月堂縁起絵巻)
そして、午前3時頃には火の行法「噠陀(だったん)」、
対の火天役と水天役が鈴、錫杖や法螺貝の音に合わせて踊り、
特に、火天役が大松明を堂内で人々の煩悩を焼き尽くさんとばかり
打ち振り引き廻され、最後には松明を礼堂に出され三度上下し、
ドンとばかりに床板に打ち据えられると、飛び散る火の粉は

すさまじく、幻想的な行になります。なお「噠陀」は
サンスクリット語の音写語でダダダ「焼き(滅し)尽くされる」の
地方語ダッタから派生したとする説が妥当とされます。
その後「走り」の行法での五体投地も行われ、堂司から
お香水を頂かれ(東西南北・各局の参拝客にも振る舞われる)、

晨朝のあと、午前3時半頃には練行衆の方々は下堂にて、
クライマックスの長い一日が終わりになります。

*出典は東大寺二月堂修二会お水取りのパンフレットより