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ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

先物取引

2018-01-12 | 雑念
本日ベトナム最終日

日本に戻ると明けましておめでとうと言いながら
薄着で帰国する。

先に喉がイガイガしている。
先に風邪をひいておいた。

日本のみんなに
「極寒だ」「寒波だ」「日本に帰って来てから風邪ひかないように」と言われて
ビビって先にベトナムで風邪をひいておいた。

そこまで酷くないが咳が出る程度
日本に帰ったら寒さにまた酷くなるかもしれない。

新年会が立て続く。
帰ったら連続だ。

急に俗世に戻るような。
3週間したらまたベトナムに帰って来るから
こりゃ一時帰国だね。

ビザを取りに行かねば。
誰かベトナムに遊びに来ないかな。

2/21〜3/2は休暇なんだよね。
ベトナム合流のバイクの旅とか一緒にどうですかね?ww

水曜どうでしょうみたいでしょ?


僕がファシリテーターになった道のり

2018-01-11 | 雑念
ファシリテーターになるにはどうしたらいいですか?

こんな質問が就職活動をしている大学生から届くようになって嬉しい限り。僕のファシリテーションが少なくとも「就活の選択肢のひとつ」にカウントされているんだと思うとそういう大人の姿に見えているんだなぁ。

それにしても今までは「ファシリテーションのスキル」や「ファシリテーションとは?」などの研修の必要性を考えていたけど、大学生ニーズはそこまでたどり着いていないのかも。

ファシリテーションになるにはどんな道のりがあるのか?
ファシリテーターとして仕事をもらって生活していけるんですか?
どうやってファシリテーターになったんですか?
そんな素朴な疑問の方が知りたい情報なのではないだろうか。

そう考えて講習会なんかより
僕がファシリテーターになるまでの歴史を語った方が参考になるのかもしれないと考え始めている。

しかし

僕の歴史は果てしなく外道である。
本流でない僕の経歴が失敗をしたくない若者たちのアンテナに引っかかるわけもないと考えてしまう自分もいたりして。

それでもいいや。
僕の人生観を含めてファシリテーションの魅力を僕の語り口で語ることで、勇気付く人がたった1人でも増えれば良いだろう。自己責任で僕の歴史を耳にして取捨選択してくれる事を祈ろう。

(長くなるので悪しからず)

僕は野球少年であった。小学4年生から1日も休まず高校卒業まで部活動をこなす真面目なスポーツマンだ。女性とも話をすることもできないオボこい純情野郎は野球でしか自分を表現できなかった。その性格は少しずつ野球のポジションとリンクする。

僕は小学高学年頃から地肩の強さからピッチャーになりエースになった。背番号1番は当然の自分はいけ好かない表情で人とは違う練習内容に黙々と人との関係性を断絶していった。チームワークが大切なベースボールというスポーツは僕を徐々にチーム嫌いという性格へと導いていった。

真面目に練習に行く僕は本当に内申点も良く、持ち前の要領の良さから、ある程度の学業成績も修めた。そして指定校推薦などで受験も面接のみで進学して行く。大学に入ってもほとんど苦労せず、好成績をあげて大手企業に呆気なく就職してしまい就活氷河期なのにも関わらずたった2社の面談で内定をもらって、残りの大学生活を遊んで入社式を待った。

就職をこんな曖昧に決めた僕は正直今までの人生をなめていたし自分の人生は「誰かに褒められるために生きている」と感じていた。

僕のこんなモヤモヤした違和感を感じたのは通勤電車に揺られている自分の身体が自分のものではないような感覚を覚えた何気ない朝だった。僕は退社を決意した。両親や同僚や知り合いなんかに一切相談もせずに僕は社会から自らを断絶させた。

離島に興味があった僕は会社を辞めて沖縄に行きます、という訳の分からない理由を人事の人に主張した。とても良い会社だったのだろう、半年くらい会社に行かない僕にその分のボーナスをくれた。新入社員の12月末には僕は旅人になった。23歳のクリスマスはどんな気持ちだったのだろう。

社会保険、年金、携帯電話、全てを失った。
社会との断絶がこれほど簡単で不安が襲ってくるとは思っていなかったが考えないようにした。沖縄の美しい海や空が、胸を締め付ける苦しみから解放してくれた。

考えてもしょうがない

生活基盤と引き換えに僕は世界に色があることを初めて知る。今までモノトーンのように白黒の世界に見えて興味も湧かなかった周囲が、社会と断絶した途端に世界はカラフルに色づき始めた。今までに感じたことのない感動で世界の美しさが心に染み込んできた。世界が僕の空虚でカサカサの心の中に一気になだれ込んできたのだ。

人生で初めて自分の足で人生を歩いている感覚


ただ本物の孤独を感じるのに1ヶ月もかからなかった。美しい夕日を見ても、海を眺めても、感動が全てひとりぼっち。社会と断絶するとはこういう事を意味する。誰かにLINEでコンタクトをとることもない。写真を撮ってSNSにアップしてイイねとかも一切ない。そもそもその仕組みもない。

人見知りで誰とも話をしなかった自分が心の底から湧き上がる衝動「誰かと話がしたい」が究極に高まった時、エメラルドグリーンの沖縄の海をバックに真っ白い海岸線を1人の女性がこちらに歩いてきた。僕は初めて女性に声をかけた。

彼女は笑顔で「星の砂を集めています」と言った。僕の心にまた新しい風が吹いて世界に香りがある事を知った。少しずつ人との関係作りも嫌じゃなくなっていく。

様々な旅人と会っては別れた。焚き火を囲んで将来を語り合った。若い僕は「感動を人と共感できる場所で働きたい」と呟いた。

それは30歳を迎えようとする日まで炎となって僕の心に燃え続けていた。旅の資金といえば実家に帰り、バイトをして溜まったら次の旅へ出発した。

そのバイト先がたまたま県の教育施設でチームビルディングをプログラムとして行っていた。僕はそのプログラムのアシスタントをすることになった。

目の前で初めて体験学習を見た。教育という分野の仕事も初めてだった。10名程度のグループで身体を動かしながら課題を解決し、「振り返り」をして日常の学びに変えていく。感動すれば共感を生み、学びも深くなる。

そんなプログラムを見た瞬間に旅人の時に呟いた将来の夢の仕事に出会ったと確信した。それが僕とチームビルディングとの出会いだった。何故か旅に行くことを忘れてもっとチームビルディングを学びたくなった。

興味を持った僕は持ち前の要領の良さと集中力で瞬く間にファシリテーションの虜になっていった。本で調べ実践して悩んで先輩に質問してまた実践してまた相談する。

もう仕事としてではなく人として生き方として在り方を問われるその仕事に益々責任と楽しさを感じた。

ひとつの答えを教え評価する学校教育とは違う学び。参加者が学びを掴み取る。そしてそんな空間を作り出す仕事がファシリテーターとしての役割だと思う。

あれほど人嫌いだった自分が人を育てる仕事に興味を持つなんて信じられなかった。正直今でも人嫌いが発症してひとりぼっちでいる事を心地いいと感じることもあるのだが。

かくしてたまたま出会ったバイト先で体験学習プログラムの指導者がファシリテーションを行なっていた!という何とも不思議な経緯により旅人出身の自然派ファシリテーターが誕生した。

しかしファシリテーターに必要な事は人の成長を促す為の空間づくりであって、コントロールするスキルは健全な魂の上に必要なのだと思う。魂を養わず知識ばかりを詰め込んだら人を育てる仕事なんか出来ない。

僕の旅人自然派Fの強みはその魂の資質にのみ光ると考えている。その魂が養われたのは確実に旅人の期間に「感動する自分自身を大切にする」「その感動を他人と共感したい」「また新しい自分を発見する為に前に進む」「好奇心を持って豊かに生きる」これらは僕の生きる指針となっている。

生きる意味

それを考えて掴む。それが生まれてきた理由なんだと思う。そんな哲学的な空間作りが出来たら嬉しい。そしてその事が未来を築く大切な学びの場であると信じている。

世の中には多くの素晴らしいファシリテーターがいる。僕も自分のペースでファシリテーターの方々と話をさせてもらい学びを深めていきたい。

ファシリテーターを目指すみんなも多くの素晴らしい人物と好奇心を持って語り合って、自分の在り方を磨いていってほしい。いつか一緒に仕事ができる日を楽しみにしています。

ファシリテーターに興味を持ってくれてありがとうございます。



風邪ひいた。

2018-01-11 | 雑念
肌寒い。

風邪をひいた。
喉が痛い。
帰国を明日に控えて更に寒いジャパンに戻るのにベトナムで先に風邪をひいたようだ。

疲れもなかなか取れない。
ベッドでゴロゴロしたり振り返りをしたり。
恋しくなって日本食屋に足を運んだり。

今日1日もどこか遠出をする予定もない。
ノンビリランチやカフェ、ホテルで過ごそうと思う。今夜はパッキングも。

リュックに7kg以下に納める。
手にはiPadを持って荷物を軽量化する。
重くなればTシャツを何枚か捨ててやろうと。

咳が出る。

変な病気になってなければいいが。
帰国前に病気になったら入国できないかもしれないからな。

熱はない。多分。
咳だけ。

ベトナム年末振り返り③

2018-01-10 | 雑念
(昨日のつづき)

そして今回の僕の1番の悲しみは帰国者を出してしまったということである。実際その参加者との面談は数時間、複数人のスタッフを巻き込んでの帰国の原因は、体調の悪さと飛行機トラブル、異国の食事などの要因の奥に潜む「人間関係」であることが明白だった。

ここには僕自身の見立ての甘さ、受け入れられやすい環境づくりが出来なかったというシンプルにTFTの怠慢があった。もっと彼の助けになってあげるべきだった。それは後の祭りである。僕は完全なる悔し涙をターム全員の前で本気でかっこ悪いほどに流した。

参加者の変態する姿や学びに感動する以外の涙、悔しさの涙を流したのは初めてだった。本当に悔しかった。話をしたが繋がらないその参加者との心と心の距離感に僕は1mくらいの距離が100m走のゴール地点を眺めているくらいに感じた。

その事をきっかけなのか、元々内在していたのか病欠が相次ぎ、全員が揃った瞬間も数時間だけだったと記憶する。

僕は本当に心が折れかけた。自分の力不足を感じてエネルギーが落ちていくような感覚に襲われる。

そんな弱い心を持つ自分に情けなくなった。目の前には未来を見つめて人生を豊かに生きるために必死で参加した彼らがいる。僕は彼らの目を見た。少しずつゴール設定と目指すべきものが現れ、目つきが変わっていく彼らに僕は気合を入れられた。

TFTがそんな気持ちでどうするんだ!

僕は彼らに助けられた。周りのスタッフにも助けられ僕はまた気合いを入れ直した。結局僕自身も全てを1人で抱え込み責任を自分に背負い込むことで良いことなんてひとつもない事に気づかされる。

学びは彼らのそれとほぼ一緒のような。

僕は終わってベトナムに数日滞在し振り返りをする。そして参加者全員にLINE一言メッセージを送る。それは彼らへの感謝。愛する気持ち。返事がなくても構わない。

「このタームにいてくれてありがとう」

(終わり)

ベトナムの振り返り②

2018-01-09 | 雑念
(昨日のつづき)

その2週間に想いを馳せると、彼らは前半自らの心の火種を信じているのか、人間が熱を帯びた生命体であることを忘れたような目で僕を眺めているように感じた。その視線に僕は「一筋縄ではいかん」と直感する。そしてそれは現実となっていく。

俯き加減な人、キョロキョロ周りを気にする人、意気込みと期待の入り混じる複雑な表情の人、何も考えずに人任せのような人、初めての人たちに圧倒される人、他人に負けたくない虚栄心の塊のような人、中にはやる気に満ち溢れていた人もいるだろう。少数派であることは明白だった。

多くのメンバーに何かしらの注意信号が灯ることになる。あらゆる人種が好き勝手にあらぬ方向を向き、それぞれを敵対視するような警戒心に包まれている。それはアイスブレイクをするチームビルディングファシリテーター(TFT)として何度も見て、それを繋げてきた自信と実績がその不安を取り除くことができると確信していた。

しかし日を追う毎に、本質をストレートに伝えようとすればするほどに彼らはカタツムリのように殻の中に引っ込んでしまうような感覚を感じていく。本当に彼らはそんな気持ちでここに居るのだろうか?

最終日にその時を振り返って彼らは言う。「宗教団体のそれ?」「本当にPVのような涙が流せるの?」それらの本音は本当の彼らの心の中だったのだ。僕が感じた彼らの導入部は「不信感の塊」だったのだ。

その不安要素をもっと早く取り除いてシンプルに学びの場であること、自分自身が作り出す人生の素晴らしさを体験し、実践できるような場作りをしなければいけない。僕に足りなかったのはその早めのアプローチであったのだ。(前回も同じことを言っていたような)

彼らの不安要素の一部を取り除くだけで、学びや気づきが早く訪れてたのではないかという今となっては正解もわからない課題をもらった。頭脳明晰な警戒心の強い小動物のような彼らには、人を素直に信じる事が出来ないある種インターネットの世界が周りにあるような映画「マトリックス」(この例えも古いらしい)な違和感があるのかもしれない。

結果的に最終プレゼンに向かい、そこから解放された彼らのクロージングでの振り返りを聴くと前半で心配する不完全燃焼な彼らへの思いは消え、日本に帰ってからの人生を自ら切り開く程の熱い想いを感じた。

そして結果的に(なぜか)ターム全体のつながりに関しても少し難しさを感じていた僕の見立てと裏腹に妙に通じ合い、嘘じゃない本物のつながりを感じているようだった。

それが彼ららしいといえばその通りである。

続く