ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

ゾンビとは実在している。

2017-01-19 | 雑念
USJも誰も一緒に行ってくれないから
三宮にやって来てキングコング西野の絵本の展覧会『えんとつ町のプペル展』に来てみました。



結構、西野の絵が嫌いじゃなくて
1作目の『Dr.インクの星空シネマ』は購入した。
あの緻密な独創的な画風が好きだ。

何のために絵を観るのか

心に響かせるため

映画も書籍も絵画も旅も

心を動かさないと人は死ぬ。

笑ったでしょ?

自分が生きていると思っているんでしょ?

ゾンビです!

もしくはAIです!

心を動かし続けておかないと人間であり続けることができません。

人間で居続けることには努力が必要だと思います。

僕は人間であり続けたい。

そしてさらに、豊かな人間になりたい。

僕の行動の全てが豊かな人間になるためのもがき苦しみながら楽しんでいることを祈ります。

たまに本当にゾンビな人に出会う。
こちらの言い分は全く伝わらない。
ゾンビがタチが悪いのは話が通じないに加えて
噛み付いて周りの人間もゾンビに変えてしまう。
そしてさらにタチが悪いのは本人がゾンビであることの自覚がないこと。

もしかしたら僕も噛まれてしまっているかもしれない。早めにワクチンを打ちたいものだ。

それが心を震わせること

ゾンビ化しないためのワクチンなのだ。

僕は昔からその“違和感”を察知できる。
人と会った瞬間や少し話すればその異様さは90%見分けられる。

たまに人間の皮を被ったゾンビもいる。

それを察知する能力を備えるための心を鍛錬する必要も感じる。

とにかくもゾンビを弾き返すほどの感動。
その感動の大きさを重ねるべきだと思う。

僕はそんな感動できるプログラムを提供できる人間になりたい。

そんなチャンスをもらった。

心を震わせることができるプログラムの提供。

それには1人では無理だ。
賛同してくれる強力なチャレンジャーたちを集める。

よろしくお願いします。

幸福論

2017-01-19 | 雑念
幸福は積み立て方式ではない

良いことすれば幸福が訪れるという考え方もある。

昔話なんかはそう言ってくる。

でも僕は良いことをするやましさがどうしても拭えないので幸福が訪れる気がしない。

だから幸福はつかみとることにしている。

幸福の鷲掴み

自ら掴み取りに行く。

だから自分が思う幸福を探しに行く。

その青い鳥は「探しに行く」という行為そのもの。

確かに自分では予期せぬことが起こる。
それは他人から見たら不幸なのかもしれない。

でもコントロールできないことが起こることで
自分がつかみ取ろうとするモチベーションが湧いてくる。

そのつかみとろうとする行為そのものが幸福なのだから、
幸福のモチベーションが湧いてくるには
予期せぬ事が必要。

行為そのものが幸福だと思える人が何人いるだろう。

神頼みで幸福を願うことは
神違いならぬ、勘違いだと気づくだろうか。

神の前は自分の行動を宣言すべき場所である。

幸福を神が与えてくれるお告げのように思っている事自体が不幸である。

他人が与えてくれるのは幸福ではない。
それは試練である。

深呼吸をする。

その試練に落ち着いて対処するために。

深呼吸を

心臓の音を確認する。

深く

大気を噛みしめる。

全てとつながる。

それだけでもう幸福なのだ。

摑み取ろう!

自分がつかみ取りたいその青い鳥を!

握りつぶさぬよう、優しく

Bluebirdは走り出す。

結構足が速い。
低空飛行し手が届きそうな高さ
ワザとその高さなの?

行き過ぎたら止まって休んでいる。
見えなくなる事はない。

いつも視界の中にロックオン

だから生きていける。