車が汚ったねぇ
虫やらドロやらがへばりついて
汚れている。
洗車をしたい。
休みの日にするべき。
でも掃除や洗車や片付けなどに
休日を使うのに“億劫”を感じてしまう。
まだまだ“おこちゃま”な考え方である。
今度の休みには必ず洗車したい。
絶対天気良くあれ!
今日なんて最高の秋晴れなんだけど……
先日、親の怠惰の話を誰かとした。
危ない所に立っている子供を注意しない親に
「何も注意しない!」と怒っている人がいたのだ。
僕はその状況を詳しく耳に挟んで判断するに
それなら放っておいて問題ない!と判断した。
その怒れる人は、親の怠惰をまだグチグチ言っている。
確かに「キチンと叱る大人」は少ない。
だが逆に「無駄に怒る大人」が多いのも問題だ。
僕は、躾けや叱りは「他人の価値への侵害」と「罪と罰」を伝えるべきだと考えている。
だから「本人が怪我をする(例外あり)」や「わがままをいう」などの出来事には一々反応しないのが、正しい在り方なのではないかと思う。
ま、「わがままをいう」には、後に「他人の価値への侵害」へつながる可能性もあるため、長くグズっているようなら一喝もありだが……
どうしても「危険から遠ざけたいならば……」別の方法を好む。
例えば、現在子供が危なそうな場所で遊んでいたら、「そこは危ないよ!」「危ない!」とか言うのではなく、
「ほらっ、こっちにこんな虫がいるよ」とか「コレ見て!」と興味を安全な場所に向かせてコントロール出来る人になりたい。
つまり
「指導者(保護者)がプラスの方向を指し示しているのがミソ」
なのである。
『ピンクの象を想像するな!何が浮かんだ?』
『ピンクの象』
(映画「インセプション」より)
なのである。
自転車を運転していて、よそ見をすると勝手にそっちの方向にそれている
のである。
「いじめをするな」
メディアで取り上げる。
「僕も……」
である。
また別の日
4歳以上の有料施設で保護者が
「大人2人と3歳1人」
と言ったら、子供が「えっ、わたし4歳の誕生日した」と言っているのを制して、「3歳なのっ!」と怒っている。
もう子育て放棄である。
そこまでして200円の入場料をケチって、払う代償の大きさは計り知れない。
まともな考え方ではない。
僕はよく「ひねくれてるねぇ」と言われることが多い。
素直に物事を見られない。
「裏があるのでは?」とか「別の思惑があるのか?」と疑ってしまうし、感じてしまう。
大抵、後々になって僕が正しかったとなるのだが、僕にひねくれてると評した人はその場にいないので、「あなたの見解が間違っていましたね」という機会もない。
この教育論にも、
僕の偏見とひねくれも加わって
正論ではなく、独自の見解として捉えてもらって結構。
子育てに関しては、
結局、「子供もいないくせに……」と壁を作られておしまいなのだろう。
ただ目につく横柄な態度には辟易することが多い。
僕はこんなことに、少ない脳のメモリーを使う余裕はないのだ。
スペックも宜しくないのだし。
あいも変わらず
薄っすら血のつながりのある甥っ子姪っ子にも何の可愛さも感じないし。
それなら血のつながりのないクロネコの方がよっぽど情が入っている。
あっ、行かねば
虫やらドロやらがへばりついて
汚れている。
洗車をしたい。
休みの日にするべき。
でも掃除や洗車や片付けなどに
休日を使うのに“億劫”を感じてしまう。
まだまだ“おこちゃま”な考え方である。
今度の休みには必ず洗車したい。
絶対天気良くあれ!
今日なんて最高の秋晴れなんだけど……
先日、親の怠惰の話を誰かとした。
危ない所に立っている子供を注意しない親に
「何も注意しない!」と怒っている人がいたのだ。
僕はその状況を詳しく耳に挟んで判断するに
それなら放っておいて問題ない!と判断した。
その怒れる人は、親の怠惰をまだグチグチ言っている。
確かに「キチンと叱る大人」は少ない。
だが逆に「無駄に怒る大人」が多いのも問題だ。
僕は、躾けや叱りは「他人の価値への侵害」と「罪と罰」を伝えるべきだと考えている。
だから「本人が怪我をする(例外あり)」や「わがままをいう」などの出来事には一々反応しないのが、正しい在り方なのではないかと思う。
ま、「わがままをいう」には、後に「他人の価値への侵害」へつながる可能性もあるため、長くグズっているようなら一喝もありだが……
どうしても「危険から遠ざけたいならば……」別の方法を好む。
例えば、現在子供が危なそうな場所で遊んでいたら、「そこは危ないよ!」「危ない!」とか言うのではなく、
「ほらっ、こっちにこんな虫がいるよ」とか「コレ見て!」と興味を安全な場所に向かせてコントロール出来る人になりたい。
つまり
「指導者(保護者)がプラスの方向を指し示しているのがミソ」
なのである。
『ピンクの象を想像するな!何が浮かんだ?』
『ピンクの象』
(映画「インセプション」より)
なのである。
自転車を運転していて、よそ見をすると勝手にそっちの方向にそれている
のである。
「いじめをするな」
メディアで取り上げる。
「僕も……」
である。
また別の日
4歳以上の有料施設で保護者が
「大人2人と3歳1人」
と言ったら、子供が「えっ、わたし4歳の誕生日した」と言っているのを制して、「3歳なのっ!」と怒っている。
もう子育て放棄である。
そこまでして200円の入場料をケチって、払う代償の大きさは計り知れない。
まともな考え方ではない。
僕はよく「ひねくれてるねぇ」と言われることが多い。
素直に物事を見られない。
「裏があるのでは?」とか「別の思惑があるのか?」と疑ってしまうし、感じてしまう。
大抵、後々になって僕が正しかったとなるのだが、僕にひねくれてると評した人はその場にいないので、「あなたの見解が間違っていましたね」という機会もない。
この教育論にも、
僕の偏見とひねくれも加わって
正論ではなく、独自の見解として捉えてもらって結構。
子育てに関しては、
結局、「子供もいないくせに……」と壁を作られておしまいなのだろう。
ただ目につく横柄な態度には辟易することが多い。
僕はこんなことに、少ない脳のメモリーを使う余裕はないのだ。
スペックも宜しくないのだし。
あいも変わらず
薄っすら血のつながりのある甥っ子姪っ子にも何の可愛さも感じないし。
それなら血のつながりのないクロネコの方がよっぽど情が入っている。
あっ、行かねば