ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

辛坊さん達のチャレンジに

2013-06-22 | 雑念
ブラインドセーリング

ニュースキャスター辛坊治郎さんと全盲セーラー岩本光弘さんが太平洋横断チャレンジ

TVでレギュラーを何本も抱え、歯にものきせぬ口振りで自分の考えを発信する辛坊さんは私の好きなテレビに出てる人の1人。

その彼が全てのレギュラー番組を休んでチャレンジしたのが、長年の夢であったというヨット太平洋横断チャレンジである。

全盲セーラの手助けという形での夢の実現も素敵だし、自らの病気を克服してのチャレンジも本当に勇気をもらった。

そして昨日のニュース。
遭難による救援で会見。
その謝罪とコメントが今日の感動ポイント!

辛坊さんは多くの関係者に迷惑をかけたことへの謝罪を述べた。テレビ人である彼がどれだけの人数がこのチャレンジに関わり、金銭面での援助もあった裏事情を知らない訳が無い。

そして同時に感謝。

それが彼の涙の会見となったのであろう。しかしシビれる感動のコメントはこの後。


この国の国民で良かった


それは悪天候で難航する救助活動において多くの自衛隊員・海上保安官たちへの感謝もあるだろうが、本当に「死」を覚悟した人間が助けを求めた母国から助け出された心の奥からの叫びだったのだろう。


実は恥ずかしながら大学生時代に私も海上保安庁に救援された(実際には基地を出たまで)1人である。

これは自慢ではなく、恥ずべき「テヘヘ」な体験である。

当時ウインドサーフィンにはまっていた。その日は千葉の富津海岸で大会があり、風は最高のコンディションだった。大会が終わった後も夕方近くまで海に出て何度も風を楽しんでいた。

しかし自然とはこうも残酷に若者の笑顔を打ち砕くのだろうか?プレーニングという最高に気持ちいい滑走状態を楽しんでいた瞬間!突如水面に叩きつけられた。

一瞬の痛みと日常の軽いアクシデントだと再び立ち上がり走り出そうとしたら、なんとボードとセールをつなぐジョイント部分が外れているのに気づいた。

その時は焦りもなかった。しかし海上でうねる波間で大きな二つをドッキングさせ金具を留めることが出来ず、私は流され始めた。

夕方になりオンの風は逆のオフに変わっていた(オンは沖から陸への風)。

戸惑い、徐々に流され気づいた時には日も落ち暗い海原にひとり。陸を見ると遠くに車のヘッドライトで海を探している。恐らく仲間が私が帰還していないのを察知し探してくれていたのだろう。

しかしその光は4m上下する波に見え隠れしていた。寂しさが暗い海と共に包み込んできた。

死んだ、と思った。

助かる方法は今考えるとたくさんあった。まず自分の道具を全て捨て、泳いで帰れば陸まではたどり着けた。しかし高級な道具をどうして捨てられよう。

結局様々な奇跡が起こり、自力でセーリングして帰還する。本当に最後の力を振り絞りセーリングしたのを覚えている。その後、自分で車を運転することが出来なかった。アクセルが押せないほど脚が疲労していた。

短い時間だったが生きる希望を忘れなかった事が助かった理由だと今でも思っている。

人は「孤独や絶望で死ぬ」と実感した。

それが今回の辛坊さんたちの心理状況だったのだと思う。

本人は昨日の今日だから「またチャレンジしたいとは言えない」とコメントしているが、数年したら是非再チャレンジして欲しいし、応援したい。


この国の国民で良かった


それはチャレンジ出来る国。
失敗できる国。
チャレンジを応援してくれる国。
失敗しても再チャレンジ出来る国。

そんな国に生まれたい。
そんな国にしていかねばならない。

辛坊さん!ナイスチャレンジです!