羅針盤
2010-12-06 | 雑念
究極の休養日。
奥様は東京の友人と会うとのことで後日帰宅する。その間、1人の鹿児島。
ダラダラと1日中寝て過ごしたのだ。
疲れが溜まっていたんでしょう。
こたつから出たのはトイレとご飯と食事を買いに出ただけ。
後は「水曜どうでしょうclassic」を#001から順番にYouTubeを観るという究極のぐうたらを楽しんだ。
たまに身体を動かすとマメ爆発事件の筋肉痛が長引いていたり、寝不足だった疲れから目が重たーい時があったり。
ルパンのカリオストロ城の傷ついたルパンの様に、食って寝た。そして復活する。
そして妹の結婚式を思い出したり、先月の友人の結婚式を思い出したりした。
そして、東京では大学の友人と呑んだりして、彼の交友関係の話は私の大学時代の知り合いに及び、懐かしいやら覚えてないやら不思議な感覚を覚えたりした。
そして東京の心残りの1つ、旅人の旅人による旅人のための店。旅で知り合った人たちと手作りでBARを作った。そして9年間続いたその店はつい数年前閉店をしたのだが。
その店はまず奥様との出会いの場所。そして手作りした後、店のホールとして働いていた私は固定客の少なかったオープン当初に明治通沿いを歩いていた奥様と友人を客引きしたのが出会いなのだ。
そして旅で知り合った彼がオーナーだったその店と1年程に別れを告げ、彼ともそれ以来。
奥様と友人を客引きした時に一緒にいたのは大学の友人、今回東京で呑んだ彼は、私がその店と縁を切ってからも呑みに行き、オーナーとも付かず離れず呑んでいた。
その後、オーナーとも懇意になった彼は「マンションをやる」と言われたが断ったり、一回りも上のオーナーに「そんなだから、若いもんに受け入れられないんだ」と説教なんかをしていたらしい。
そして共通の知り合いで、壮絶な生き方をするオーナーの話題をしないはずはなかった。
10年以上経った今、大学の友人は「今なら話しても面白いんじゃない?」と言いながらオーナーに電話をした。
私は半ば諦めて「まぁ繋がらなかったら縁がなかったんだろう」と話してもいいかもという気持ちにもなっていた。
しかし繋がらなかった。
やっぱりその程度の縁だったのだと、また話題は違う話に進んで行った。
明日も仕事で朝早く起きるという友人と、そろそろお別れかと思っていた頃に携帯に電話が帰って来た。彼の。
そしてそのオーナー。
私はそれなりに当たり障りのない話題でそれなりに久し振りの雰囲気を楽しんだ。
そして、東京のその当時の出来事や映像が走馬灯のように蘇った。
私や次の店長が旅で知り合ったのに対して、3代目、4代目になったその旅人の店は借金を積み重ね、その若者たちは店を食い物にしていた。
オーナーはそれを5、6年抱えていたようだ。友人はそれが許せなかったらしい。
何故店をたたまないのか!
と、オーナーに攻めよったりもしたそうだ。しかし、別店舗でプラス収支をあげて、旅人の店に充てていたのが実際だった。
本当の理由はわからないが、私はそのオーナーを想像して、ある理由を推察し納得している。
それは今もそのオーナーと付き合っている彼には分からないのかもしれない。私とオーナーや旅で知り合ったもの同士の繋がりが「諦め」を遅らせたのだと。
あの時、旅で知り合ったオーナーと私は、何も持っていなかった。貧乏で知り合った。そうだと信じていた。
何もないと。
お金目当てでついて行ったのではない私をもう一度信じてみようとしたのだと思う。
それまで人に騙され続けた彼は人間不信となって旅に出ていたのだ。
そして旅で別れた後、沖縄の久米島フェリーの途中の島「渡名喜島」で再び集まろう!と集合したメンバー。それが東京の店なのだ。
私は自分の夢を焚き火で語り、地元の人に海の幸を差し入れしてもらい、忘れられない夜を過ごした。
そして、再度「東京に来い!」という約束を守った私はそのまま店作りと店長を歴任した。
壮絶な考え方についていけなくなり始めた時には、新しい私自身の夢も変わり始めた。
しかし、あの渡名喜の焚き火で語った夢は今も変わらず息づいている。
いや息づいているコトに気づいた。
そんな東京への旅だった。
私の人生は様々な場所や人、ベクトルはグルグル回っているように見える。
自分でも時に、疑問符を感じる時もある。まるで「パイレーツオブカリビアン」のジャックスパロウの羅針盤。自分が求めるものの方向を指す羅針盤の様。
しかし本当の宝は羅針盤が指し示すものではない。
羅針盤が指すものを探しに行く時に、一緒にいる人。そのものが宝なのだ。
それは縁なのか運なのかわからない。
自分は羅針盤が指し示す先に希望があると思うのだ。しかしそれは必要な道にしかすぎない。
一緒に道を歩く仲間が宝なのだから。
その宝物に気づかせてくれた旅人の店は私の人生でも大切な宝物の1つ。
いつまでも語り尽くせぬ本当の思い出なのだ。
それに気づかせてくれるために、妹が結婚式に呼んだんだと理解している。
奥様は東京の友人と会うとのことで後日帰宅する。その間、1人の鹿児島。
ダラダラと1日中寝て過ごしたのだ。
疲れが溜まっていたんでしょう。
こたつから出たのはトイレとご飯と食事を買いに出ただけ。
後は「水曜どうでしょうclassic」を#001から順番にYouTubeを観るという究極のぐうたらを楽しんだ。
たまに身体を動かすとマメ爆発事件の筋肉痛が長引いていたり、寝不足だった疲れから目が重たーい時があったり。
ルパンのカリオストロ城の傷ついたルパンの様に、食って寝た。そして復活する。
そして妹の結婚式を思い出したり、先月の友人の結婚式を思い出したりした。
そして、東京では大学の友人と呑んだりして、彼の交友関係の話は私の大学時代の知り合いに及び、懐かしいやら覚えてないやら不思議な感覚を覚えたりした。
そして東京の心残りの1つ、旅人の旅人による旅人のための店。旅で知り合った人たちと手作りでBARを作った。そして9年間続いたその店はつい数年前閉店をしたのだが。
その店はまず奥様との出会いの場所。そして手作りした後、店のホールとして働いていた私は固定客の少なかったオープン当初に明治通沿いを歩いていた奥様と友人を客引きしたのが出会いなのだ。
そして旅で知り合った彼がオーナーだったその店と1年程に別れを告げ、彼ともそれ以来。
奥様と友人を客引きした時に一緒にいたのは大学の友人、今回東京で呑んだ彼は、私がその店と縁を切ってからも呑みに行き、オーナーとも付かず離れず呑んでいた。
その後、オーナーとも懇意になった彼は「マンションをやる」と言われたが断ったり、一回りも上のオーナーに「そんなだから、若いもんに受け入れられないんだ」と説教なんかをしていたらしい。
そして共通の知り合いで、壮絶な生き方をするオーナーの話題をしないはずはなかった。
10年以上経った今、大学の友人は「今なら話しても面白いんじゃない?」と言いながらオーナーに電話をした。
私は半ば諦めて「まぁ繋がらなかったら縁がなかったんだろう」と話してもいいかもという気持ちにもなっていた。
しかし繋がらなかった。
やっぱりその程度の縁だったのだと、また話題は違う話に進んで行った。
明日も仕事で朝早く起きるという友人と、そろそろお別れかと思っていた頃に携帯に電話が帰って来た。彼の。
そしてそのオーナー。
私はそれなりに当たり障りのない話題でそれなりに久し振りの雰囲気を楽しんだ。
そして、東京のその当時の出来事や映像が走馬灯のように蘇った。
私や次の店長が旅で知り合ったのに対して、3代目、4代目になったその旅人の店は借金を積み重ね、その若者たちは店を食い物にしていた。
オーナーはそれを5、6年抱えていたようだ。友人はそれが許せなかったらしい。
何故店をたたまないのか!
と、オーナーに攻めよったりもしたそうだ。しかし、別店舗でプラス収支をあげて、旅人の店に充てていたのが実際だった。
本当の理由はわからないが、私はそのオーナーを想像して、ある理由を推察し納得している。
それは今もそのオーナーと付き合っている彼には分からないのかもしれない。私とオーナーや旅で知り合ったもの同士の繋がりが「諦め」を遅らせたのだと。
あの時、旅で知り合ったオーナーと私は、何も持っていなかった。貧乏で知り合った。そうだと信じていた。
何もないと。
お金目当てでついて行ったのではない私をもう一度信じてみようとしたのだと思う。
それまで人に騙され続けた彼は人間不信となって旅に出ていたのだ。
そして旅で別れた後、沖縄の久米島フェリーの途中の島「渡名喜島」で再び集まろう!と集合したメンバー。それが東京の店なのだ。
私は自分の夢を焚き火で語り、地元の人に海の幸を差し入れしてもらい、忘れられない夜を過ごした。
そして、再度「東京に来い!」という約束を守った私はそのまま店作りと店長を歴任した。
壮絶な考え方についていけなくなり始めた時には、新しい私自身の夢も変わり始めた。
しかし、あの渡名喜の焚き火で語った夢は今も変わらず息づいている。
いや息づいているコトに気づいた。
そんな東京への旅だった。
私の人生は様々な場所や人、ベクトルはグルグル回っているように見える。
自分でも時に、疑問符を感じる時もある。まるで「パイレーツオブカリビアン」のジャックスパロウの羅針盤。自分が求めるものの方向を指す羅針盤の様。
しかし本当の宝は羅針盤が指し示すものではない。
羅針盤が指すものを探しに行く時に、一緒にいる人。そのものが宝なのだ。
それは縁なのか運なのかわからない。
自分は羅針盤が指し示す先に希望があると思うのだ。しかしそれは必要な道にしかすぎない。
一緒に道を歩く仲間が宝なのだから。
その宝物に気づかせてくれた旅人の店は私の人生でも大切な宝物の1つ。
いつまでも語り尽くせぬ本当の思い出なのだ。
それに気づかせてくれるために、妹が結婚式に呼んだんだと理解している。