退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#1111: 何かが変わった。

2018-11-19 07:31:52 | アメリカ便り
ただ今、19日朝6時半です。
最近利用し始めた成田駅前のAPAホテルで朝を迎えました。
“時間を無駄にするのが、金を無駄にするより嫌い”と言う私のモットー従い、いつも通り日本を断つ前日まで友達と遊んでもらいました。
昨日は千葉と神奈川在住の42年前のクラスメートと有楽町の骨董市と日暮里の谷中銀座通りをぶらぶら。
千歳から羽田に出た時、偶然にも竹内まりやコンサートのチケットが当たったと言う、これまた42年前のクラスメートに遭遇。
4人でお昼ということになりました。

私はある意味親には恵まれなかったけど、日本でもアメリカでも友達には最高に恵まれていると実感しています。
感謝しかないいです。

兄は、9月以来、肺炎、さらには敗血症という“死ぬ病気”に罹り、病院に入院中。
奇跡的に回復し、今はリハビリに専念しています。
5年前に心室細動で倒れてから、一人では生活できない状態ですが、奥さんに介助されながら毎日を送っています。
奥さんにとっては精神的支えとなっている兄、兄にとっては精神的且つ体力的な支えとなっている奥さん、共にこれからも暮らしていってほしいです。

何かが変わった。
64年も生きていたら、私の人生を変えるようなショッキングな事件というのが起きることがあったし、残りの年数を指で数えることができる年ともなりました。
そのため、がむしゃらに生きてきた今までと違い、これ以上人生ということを考えるようになりました。

その主因となったのが9月に54歳という若さで亡くなった友達です。
6年間も乳癌と戦っていたということを“これっぽっち”ももみせず、知らせず、自分だけでの(ご主人は知っていたでしょうが)胸にしまって職務を全うしていた。
強い人とは思っていたけど、これほど強かったとは。
私が癌になって先が見えるようになったら、絶対騒いで、誰もが知ることとなるには時間がかからないと思う。

私と某有名大学医学部教授に40代後半でなったぐらい優秀な人とは雲泥の差があるが、考えてしまう。
ありきたりな言葉ですが、“人生って“。

もうそろそろ空港に行く準備をしなけれべ行けないのでこの続きは飛行機の中ででも書きます。

では息子にまで見捨てられたキキちゃん、そしてジュンちゃんが待つ家に向かってひとっ飛び。

ハブグレジュンタのマミー