北九州八幡から発信
八幡、やはた、やわた、はちまん
門司(大里)散策
前回に続き、「門司」絡みです。
「門司みなと祭り」の日、午前中は大里地区に行って来ました。
JR門司駅の辺り一帯は、
壇ノ浦で散った安徳天皇の行在所になった事があることから、
内裏(だいり:宮城内の天皇在所のこと)と、呼ばれていたが、
江戸時代中期の小倉藩主が、大里に改めさせ、
今でも、この辺りの地名は、大里(だいり)です。
*:.。..。.:*・゜゜・ *:.。..。.:*・゜ ゜・*:.。. .。.:*
駅のすぐ前にあった「不老(風呂)」の由来の石碑です。
(ここも安徳天皇絡みの地名です。)
由緒ある地名が、簡単に変えられていく。 残念ですね。
せめて、この石碑が代々、残りますように!
*:.。..。.:*・゜゜・ *:.。..。.:*・゜ ゜・*:.。. .。.:*
実はこの日は、ウォーキングでした。
駅から、グングンと山手の方へと、のぼっていきます。
”山へ山へと 門司はのぼる
錨つむように 家がたつ” (盗作でした!)
住宅の合間の急な坂道を、
そして最後は、300段以上の階段を登って、
「瀧の観音寺」です。
やっと境内に到着。
本堂の前の「命の観音様」が出迎えてくれました。
境内の崖には、石仏がいっぱい! 不動明王像?が多かった。
宗教心・信仰心は無いが、天台宗のお寺です。
戸の上山の3合目辺りで、昔、山伏の修行の場だったとか。
*:.。..。.:*・゜゜・ *:.。..。.:*・゜ ゜・*:.。. .。.:*
瀧の観音寺をUターンして、一気に下り坂を、
駅前商店街の近くの、「柳の御所(神社)」です。
寿永2年・1183年、(壇ノ浦の戦いの2年前)、
ここに、仮御所(仮の内裏)が設置されました。
期間は、『源平盛衰紀』によれば、7日間、
「旧門司市史」には、8月末~9月末までと記されています。
又、最近の歴史研究家によれば、約2ヶ月間だったとか。
何れにしても、短期間であったことは、間違いないようです。
「門司みなと祭り」は、ここ大里地区でも賑わっていました。
神社では、「おみくじ」を兼ねた「亀くじ」(100円)があり、
1等1万円、末等でも100円。(おみくじがタダ?)
引いてみたら「おみくじ」は『末吉』で「亀くじ」はスカだった。
4桁の番号が打っていて、末等は下一桁の番号が2つでしたが、
都なる 九重の内 恋しくば
柳の御所を 立寄りて見よ
平忠度(忠盛の子、清盛の弟)の歌です。
☆○o...:**:...o○☆**☆○o...:**:...o○☆**☆○o
更に下って、海外沿い手前の、「門司赤煉瓦プレイス」
旧サッポロビール九州工場の施設を保存活用した建物群です。
平成12年(2000年)まで、
サッポロビールの九州工場として稼動していましたが、
大分県日田市に、新九州工場が竣工し、閉鎖されました。
工場の殆どの建物は取り壊されましたが、
残された建物は、門司麦酒煉瓦館、赤煉瓦交流館、赤煉瓦写真館、旧サッポロビール醸造棟、等と名前を変えて、展示館やレストラン、イベント会場など活用されており、国の登録有形文化財、近代化産業遺産に登録されています。
この日は、旧サッポロビール醸造棟の一般公開、大里こだわり食市をやっていましたが、門司港の日本丸の公開が気になって、パスしました。
門司麦酒煉瓦館
旧サッポロビール醸造棟
赤煉瓦交流館
大正時代の自転車かな? (赤煉瓦写真館の横にて、)
☆○o...:**:...o○☆**☆○o...:**:...o○☆**☆○o.
(↑ クリックで大きくなります。)
門司赤煉瓦プレイスの横の公園にあった(はめ込まれていた)
北九州市出身の「わたせせいぞう」さんのパネル絵・陶板です。
右端の文、「絵になる町。」を、そのままコピーしました。
*:.。..。.:*・゜゜・ *:.。..。.:*・゜ ゜・*:.。. .。.:*
絵になるまち。
わたせせいぞう
「門司にはアトリエになる家があった」
これが子どもの頃のボクの門司というまちの第一印象でした。
そして今この地に降り立った時、
碧く澄んだ汐風を見た気がしました。
背後には幾重にも緑が重なる悠然とした山々、
ここにしかない、たおやかな時間が流れています。
花や木を愛する人に暮らしてほしい。
訪れる人が、フッと時の流れを忘れてしまう。
何かが始まる、何かに出会えるワクワクと、
しぜんと笑顔になるようなやさしさがある。
そんな絵になるまちに育ってほしい。そう願っています。
*:.。..。.:*・゜゜・ *:.。..。.:*・゜ ゜・*:.。. .。.:*
門司は、北九州市の東の端で、
西の端に住む者には、縁が無いと言うか、知らない所ばかりです。
坂が多く、上へ上へと伸びているところは八幡に似ています。
歴史の町、門司(大里)、
今年の大河ドラマは「平清盛」、門司が出てくるのかな?
(門司は)「清盛」以降で、微妙でしょうか?
そして赤煉瓦に、わたせせいぞうさんの絵やイラストを生んだ環境、
門司港はレトロで有名ですが、門司(大里)も見逃せません。
(↓ クリックで大きくなります。)
コメント ( 18 ) | Trackback ( 0 )
« 門司みなと祭... | 梅雨入り » |
大里地区ってあまり知らない私なんですよね。
「瀧の観音寺」って全然知らなかったです。
ちょっと興味持ちましたねぇ。
でも一人で行くにはちょっと危ないかも・・・
大里は戸の上神社と御所神社は行きましたが・・・
hobashiraさんのブログで、色々紹介して貰って
何だか再発見って感じで見ていますよ。
「わたせせいぞう」さんの絵は大好きです♪
ちなみに歳は全然違いますが、私の通ってた学校の先輩になります。
大里地区の史跡・名所 興味深く拝見しました。
また賢くなった・・・・どうしよう、、、
不老の由来で 芦屋の文字が出てきました。
我が町にも「安徳天皇行在所跡碑」があるんですよ。
大君と地区があって 大君神社があるんですが
ここでいう大君は安徳天皇の事なんです。。
ずーっとあとの唐津街道の道で 現在は通るのも独りじゃイヤだなと言う場所です。
わたせたいぞうさん レトロで何度か行きました。
ポストカードよく使います。。
瀧の観音寺は、
戸上神社の横(西側)を歩いて20分チョット、急な坂道です。
民家もあって、瀧の観音寺までは何とか行けるでしょう。
でもやっぱり、こんなウォーキングの様な大勢でないと!?
その先は、戸ノ上山に登る登山道があるそうです。
近くに居ても、結構、知らない所が多いですね。
(八幡でも同じです。)
「わたせせいぞう」さんは、学校の先輩?
戸畑&小倉も、ですか?
大君神社があるのは、芦屋の山鹿地区ですか、
安徳天皇一行は逃亡先?の大宰府から、
芦屋、門司と移動してますね。(当時の安徳天皇の御歳は5歳?)
芦屋の『安徳天皇行在所跡碑』は、2~3年前、見たと思う。
「そう言えば多分あれか、」の程度です。(予習不足でしたから、)
「わたせせいぞう」さんの絵は、ほんわかな気持ちになれますね。
今日、門司港に行かれたんだった。
「わたせせいぞう」さんの絵に会えましたか?
北九州にいるときは門司にはほとんど行っていません
最近になって行った次第です
由緒ある地名が合併で消えていく
これは由々しきことです
意味があってつけられた町名は後々になっても
それとわかるから大切なのに
これもJRウォーキングですか
300段の階段・・・聞いただけでも疲れそう(笑)
お疲れ様でした
柳の御所の前は買い物の行き帰り、滝の観音さんにはもうだいぶ行っていません。
友だちを誘うんだけど、階段がねと、かわされます。
おひざ元にはなかなか行かないものです。
小倉の出身だと思います。
私は同じ中学でした!ちなみに戸畑にある学校です。
6年間中高を門司港から戸畑まで通い続けた私でした!
関係ない話ですが、サッカー勝ちましたね
はい、JRウォーキングです。
約5キロなんですが、瀧の観音寺まで坂道ですから、
キツイことはキツイです。
300段の階段? ゆっくり歩けば、どうにかでした。
この後、門司港のみなと祭りに行きました。
門司港駅は秋から改修・修復作業が始まりますよ。
今の内に見納めておかないと!
地名の変更は、合併の時も問題がありますね。
福間町と津屋崎町が合併して、福津市ですか、
それぞれ、名前の謂れもありそうで、
第一、福津市って、言い難いです。
これはこれは、挨拶もしなくて失礼しました。
実はJR九州病院で、血管年齢測定や骨密度測定、
体力測定などを、無料でやってくれていました。
一応、病院内に入ること入ったが、パスしました。
そう言えば、空さんは病院の近く??
柳の御所では、奉納演芸場が出来ていて、踊りや歌が?
(観ませんでしたが、)
大里地区のパレードには、お孫さんが?
瀧の観音さんの階段の横にモノレール?が、ありました。
頼めば動かしてくれるのかな?
http://www.seniorcom.jp/usr/c/24750/al/12/21271.jpg
「わたせせいぞう」さんは、門司じゃなく小倉の出身ですか、
高校は小倉高校だったと思います。
戸畑の学校の先輩ですね。(アッハハ、判りますよ。)
(サッカー)オマーン戦、勝ちましたね。
ホークスは勝てませんね。 これで交流戦は最下位かな?
待ってました!
記事の内容も拝見しましたが
例のボクの近所の人がどこかに
写りこんでいないか、ついついこちらが
気になって見ました。
いませんでした…
まぁ、どうでもいいことですけどね。
門司は魅力ある街です。
けれど、どうも絵になり過ぎる・・・
個人の勝手な感想です。
これもどうでもいいことですね。
ウォーキングの最近の参加者は多いです。
受付終了の1時間前でしたが、
貰ったコースマップのナンバーは537番でしたから、
800人位?、参加してます。
このブログの写真から、知人さんは無理でしょう。
ブログに載せる写真は、人があまり写ってないのを選びますから、
>門司は魅力ある街です。
>けれど、どうも絵になり過ぎる・・・
これって、わたせせいぞうさんと同じじゃないですか?
同業者に近い?からかな?
日本丸を見に行かれた前に 300段を登って瀧の観音寺に!
健脚ですね~(^ー^)good
幼い安徳天皇は 京の都から兵庫、九州の太宰府、芦屋、門司
流浪されたのですね・・哀れに思います
前回のhobashiraさんの記事も拝見したのに
どうも門司と門司港が ごっちゃになってる私
今度は大里にも行ってみなくちゃね!
九州南部は梅雨入りしましたね
明後日 清盛の歴史館(神戸の兵庫湊と言われた辺り)に行って来ます☆
門司(地区)は、地元では大里と言った方が判り易です。
門司は九州の玄関口と言う意味合いがあるらしく?、
本州から九州に入るのには、関門連絡船が主だった時代は
今の門司港駅が門司、今の門司駅は「大里」と言っていました。
戦前、関門(鉄道)トンネルが開通して、
九州の玄関口が、大里になったので、
大里駅が門司駅に、門司駅は門司港駅に変更されています。
九州南部は梅雨入りした様ですが、
こちらは、今日はカンカン照り!
「金星の太陽面の通過」、日食グラスで見たけど、
見えん! 判らん!
(アバタやホクロは、無理して見つけない主義ですから、)
テレビで、拡大のを見ました。
次回は、盛んに105年後と言っていますが、
「はい、適当にやって下さい!!」
遠賀郡八幡村に製鐵所が決まった時
ライバルだったのが企救郡柳ヶ浦村
浅野財閥の浅野総一郎氏が
相当押していたとか
でも
八幡村の熱意の方が通ったようで
「上へ上へと伸びているところは
八幡に似ています」で思い出しました
2001年に、新日鐵(八幡)が出した
「八幡製鉄所の百年」に載ってますね。
最終候補地として残ったのが、
○広島県安芸郡阪村(呉?の近く?)
○福岡県企救郡柳ヶ浦
○福岡県遠賀郡八幡村
最後まで争ったのが広島と八幡だったとか、
そう言えば、門司に浅野セメントが、(今は?)
大成建設や帝国ホテルで有名な
大倉財閥大倉喜八郎氏ですね
柳ヶ浦村が陳情に行ったら
国防上問題があると言ったとか
浅野財閥は北九州市に縁多いですね
小倉築港にそのものズバリの浅野町
浅野小倉製鋼所もありますし
浅野セメントも恒見工場八幡工場
折尾に引き込み線を引いて
材料も取っていたらしいです
最終的には
農商務省次官金子堅太郎氏が決めたらしいですね
帝国議会で
広島出身の議員が僻地云々と攻撃したら
金子さんが立地条件等反論して
有無も言わせなかったとか
八幡は、大倉、浅野の大財閥を相手に、戦った?
決め手は、
旧八幡市歌に歌われている「天地人和」でしょうか。
♪天の時を得 地の利を占めつ
人の心の 和さえ加わり
小倉の「浅野町」、そうなんでか、
福岡天神の「渡辺通り」の謂れは聞いたことがあるが。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。