◆演目について
宇野信夫先生の作品です。元ネタは江戸時代の随筆「耳嚢(袋)」の中のにある噺を元に書き下ろしたということです。
ちなみに「耳袋」は各巻100話で,10巻つまり全巻1000話からなる 街談巷説奇聞の類を
集めたもの。作者は佐渡奉行,勘定奉行をから町奉行になり,名奉行として知られた人なんだそうです。大岡様のような人ですかねぇ。
1936年の初演の時も当時の菊五郎さん(六代目)と吉右衛門さん(初代)がそれぞれ今回と同じ役で演じたんだそうです。
70年たって、今度は九代目と二代目の共演となったわけですね。
↑間違い(^_^;)。七代目です、七代目。
「人情噺」とアタマにつけると、「文七元結」といいたくなります。(^_^;)
このお話しも、宇野先生、後に落語家の圓生さんに人情噺として書き、ラジオで放送されているようです。
◆人物関係
元はヤクザもん、今は改心してその日暮らしの笊売り:安七(菊五郎さん)
ボロを着ててもココロは錦な浪人:小森孫市(田之助さん)
その息子:小市(男寅君)
感激屋の武士:浅尾申三郎(吉右衛門さん)
笊売りがいつもたちよる茶屋の看板娘:おかよ(松也さん)
小市に凧を持ち逃げされた凧売り吉六(権十郎さん)
(あっ、名前があったんだ、この凧売り!)
◆あらすじもどき
門前の茶屋を時報のように毎日に同じころあいに訪れる安七は、
以前はヤクザもんだったが、
親父さんの死に目に会えなかったこと、
その親父さんが、「まっとうになれ」と
商売を起こす元手として1両のこしてくれたことで目がさめて
今では日銭をかせぐ笊売り。
安七は親父さんの残した1両は使わず、
お守りとして、今でも後生大事にもっています。
そんな安七が茶屋にいるとき、凧をもって走ってきたのは
浪人の子:小市。
自分が以前亡くした子どもと同じくらいの年頃の小市が
凧売りに追われていると知るや、
凧のひとつもくれてやれのやれないのと凧屋ともめる 文無しの安七。
結局、見かねた茶屋の娘:おかよが凧代を出し、その場は収まりますが、
そこに来合わせた小市の親:孫市は、「子は菩薩、罪は親の自分に」と
凧売りに頭を下げます。
そんな孫市の態度を目の当たりにし、さらに「二君にまみえず」
という心持で 苦しい生活でも浪人を通している孫市と話をした安七は、
小市に
「好きなだけ凧を買え、お父ちゃまにおいしいものを食べさせろ」
と、お守りの一両を渡します。
これを小市が馬鹿正直に孫市に報告したもんだから、
当然、孫市は慌ててこれを安七に返そうとします。
が、そこに立派な身なりの武士が来合わせているのに気がつき、
逃げるようにその場を去ります。
その立派な身なりの武士は、安七の一両を与えた行いを
「いいものを見せてもらった」と褒め称えようと、
安七を料亭に連れ込みますが、当の安七は 試し切りにされるんじゃないか
と思い込み武士を笑わせます。
武士が与えようとした金子を固辞した安七は
代わりに振舞われたお酒に酔い、
「あの浪人には、自分みたいなやつからの一両より、
同じ武士であるあんたからの励ましの一言の方がよっぽど
力になるのに なぜ声をかけてやらなかったのか」と憤ります。
「武士の誇りを思えばこそ、禄を離れた同じ武士の前に
主取りをしている自分の姿をさらせない」という 武士の主張する道理は
安七は納得できません。
最終的には、武士の方が、安七の意見を受け入れ、
善は急げと二人で浪人の家に向かいます。
しかし、小市があげる最前の凧を目印に見つけた浪人の家で
安七が見つけたのは 自害した浪人と書置きと一両小判。
字の読めない安七にせがまれ大家宛の書置きを読んだ武士は
浪人が一両を施されたことをきっかけに 今のわが身を恥じて自害した
と安七に告げます。
「なぜ」 と 浪人の行動が理解できない安七でしたが、
先ほどの武士とのやり取りを思い出し、武士の道理を理解せずに
軽はずみな行いをした自分のせいだと、嘆きます。
自害した父親にすがりついて泣いていた小市は、安七と武士が大家に
話しをしに行こうと立ち上がると見ると、安七に「行かないで」と
すがりつきます。
そんな小市に安七は、自分は、おまえの父親の敵なんだと
小市に告げるところで、幕と成ります。
◆お話について
そもそもね、この浪人さんがイカンのですよ。
この浪人さん、自分が死んでラクになるわけじゃないし、
浪人さんが死ぬことで誰かが幸せになるわけでもない。
いや、そういうことがあったら、自害してもいいとはいいませんけど、
でも、この浪人さんの自害は、浪人さんの自己中とも片付けがたいし、
なんともしがたい者があります。
どうしたもんでしょうねぇ、これは。
それから、もうひとつ、どうにも納得いかないのが、安七が最後に
自分が間違っていたと認めてしまうところです。
そりゃ、安七にはなんの非もない とはいいませんが、
でも、安七があんなふうに自分を否定するのは違うと思うんですよね。
なんか、安七がかわいそうでした。
それに、あの浪人さんの自害の言い訳は、安七の気持ちに失礼じゃないでしょうかねぇ。
でも、そう思う一方で、安七の行為で浪人さんが ものすごく傷ついた。
自分の身を恥じた というのも、わかる気はするんです。
で、色々考えたんですけど、
とにかく、あそこを武士が通らなければよかったとか、
浪人さんが武士に見られた時、恥ずかしいと思わなければよかったとか、
安七が1両あげなければよかったとか、
色々、悲劇のシナリオを変えるきっかけは考えられます。
でも、そうするとお話なりたたなくなっちゃうんで(^_^;)、
この状況の中で、どうやれば、あの悲劇は回避できたか。
ふたつ、そのカギになりそうな点を考えました。
ひとつは、浪人さんに気力と体力があれば。ということ。
武士に見られたことを、恥ずかしいと思わなければ、自害なんてせずに
すんだかもしれません。
かといって、恥じらいを美徳とする遺伝子をもった日本人です。
今の世の中見ても思いますが、全く恥ずかしいと思わない というのも、
ある意味、相当問題です。
それに、恥ずかしいと思った気持ちは、「見返してやる」とか、そういう
奮起のきっかけにもなります。
ただ、そう思うには、本人に気力が充実してないとダメだと思うんです。
そうでないと、疲れているときに、普段考えないようなこと考えてみちゃって
「俺はダメなやつなんだ~っ」と落ち込んじゃうパターンと一緒で、
恥ずかしいと思った挙句の行き先が「自害」なんかになっちゃうんじゃないかと。
安七が、武士が言葉をかければ、浪人さんの励みになる といっていたように、
このお金でおいしいものを親父さんに食べさせてやれといっていたように、
安七もそのへんを感じてたんじゃないか、それで浪人さんを元気づけたかった
んじゃないのか。と思うんです。
ただ、ここで、安七が、その辺の気持ちの明確な説明なしに
お金を渡してしまったのは、まずかったかもしれません。
というわけで、カギのふたつめは、安七の小判の渡し方です。
浪人さんだって、安七がどんな思いで大事にしている一両だったか、
どんな思いで浪人さんにその一両を渡す気になったのか。
それを知っていたら、あんな風な結論にたどりつきはしなかったんじゃないか
と思うんですが・・・
なーんてことを、つらつらと考えながら家路に着いちゃいました。
あ、あと、最後の場面で安七は、小市に自分のことを親の敵だといっていましたが、
武士に引き取られるらしい小市は、大きくなったら、安七を「親の敵」と討つんでしょうか?
討たないで欲しいなぁと思うのですが…
それから、この武士と安七の関係。
この後も、「浪人の家に今すぐ行きましょう!」と意気投合したときのように
身分の垣根を越えて、いい関係でいてくれるといてくれるといいなぁと思うのですが…
難しいかなぁ。<(ーー;)
そして、なによりも、安七が 立ち直れるのか。
自分を責めて責めて、陰鬱な性質になったりしないか。それが心配な幕切れでした。
◆役者さん
料亭での安七と武士のからみなんかは、菊五郎さんと吉右衛門さんのやりとりが
楽しめました。
ただ、このお話しの武士の設定がそうなんでしょうけど、吉右衛門さんの武士は
なんとなく、単純というか…骨の太さに欠ける感じがしちゃいました。
おおらかな感じは、吉右衛門さん、とても上手いんですが。
家橘さん・右之助さんが茶屋女で出てきました。
右之助さんはともかくも、「家橘さんが女形??」
これは、結構、衝撃でした。
と書いてて思い出しましたが、そういえば、以前、家橘さんが「曽我」の
「対面」で、化粧坂の少将だったか大磯の虎だったかで出てきて
びっくりしたことがあったような記憶がうっすらと…(^_^;)
そうか、家橘さんも兼ねる役者さんだったんだ。
茶屋の看板娘の松也さん。うーん、相変わらず声が高くてきれいですね~。
ところで、この茶屋のおかみさんって、どんな人なんだろ??
そのおかみさんに安七が惚れてる とかいう設定だと また面白かったかも♪
凧屋の権十郎さん、足がスラっとしてて、素敵ですね~。
今回、なんかいい味だしてました。
田之助さん・・・髪が黒い役を見たのは久しぶりのような・・・(^_^;)
◆その他
ふぅ。どうにも、重い話しです。
打ち出しの演目としては、最後にもう少し、救いが欲しいですねぇ・・・
◆花道度:低
最初に安七が笊売り天秤を担いでやってくるところだけ だったと思います。
宇野信夫先生の作品です。元ネタは江戸時代の随筆「耳嚢(袋)」の中のにある噺を元に書き下ろしたということです。
ちなみに「耳袋」は各巻100話で,10巻つまり全巻1000話からなる 街談巷説奇聞の類を
集めたもの。作者は佐渡奉行,勘定奉行をから町奉行になり,名奉行として知られた人なんだそうです。大岡様のような人ですかねぇ。
1936年の初演の時も当時の菊五郎さん(六代目)と吉右衛門さん(初代)がそれぞれ今回と同じ役で演じたんだそうです。
70年たって、今度は
↑間違い(^_^;)。七代目です、七代目。
「人情噺」とアタマにつけると、「文七元結」といいたくなります。(^_^;)
このお話しも、宇野先生、後に落語家の圓生さんに人情噺として書き、ラジオで放送されているようです。
◆人物関係
元はヤクザもん、今は改心してその日暮らしの笊売り:安七(菊五郎さん)
ボロを着ててもココロは錦な浪人:小森孫市(田之助さん)
その息子:小市(男寅君)
感激屋の武士:浅尾申三郎(吉右衛門さん)
笊売りがいつもたちよる茶屋の看板娘:おかよ(松也さん)
小市に凧を持ち逃げされた凧売り吉六(権十郎さん)
(あっ、名前があったんだ、この凧売り!)
◆あらすじもどき
門前の茶屋を時報のように毎日に同じころあいに訪れる安七は、
以前はヤクザもんだったが、
親父さんの死に目に会えなかったこと、
その親父さんが、「まっとうになれ」と
商売を起こす元手として1両のこしてくれたことで目がさめて
今では日銭をかせぐ笊売り。
安七は親父さんの残した1両は使わず、
お守りとして、今でも後生大事にもっています。
そんな安七が茶屋にいるとき、凧をもって走ってきたのは
浪人の子:小市。
自分が以前亡くした子どもと同じくらいの年頃の小市が
凧売りに追われていると知るや、
凧のひとつもくれてやれのやれないのと凧屋ともめる 文無しの安七。
結局、見かねた茶屋の娘:おかよが凧代を出し、その場は収まりますが、
そこに来合わせた小市の親:孫市は、「子は菩薩、罪は親の自分に」と
凧売りに頭を下げます。
そんな孫市の態度を目の当たりにし、さらに「二君にまみえず」
という心持で 苦しい生活でも浪人を通している孫市と話をした安七は、
小市に
「好きなだけ凧を買え、お父ちゃまにおいしいものを食べさせろ」
と、お守りの一両を渡します。
これを小市が馬鹿正直に孫市に報告したもんだから、
当然、孫市は慌ててこれを安七に返そうとします。
が、そこに立派な身なりの武士が来合わせているのに気がつき、
逃げるようにその場を去ります。
その立派な身なりの武士は、安七の一両を与えた行いを
「いいものを見せてもらった」と褒め称えようと、
安七を料亭に連れ込みますが、当の安七は 試し切りにされるんじゃないか
と思い込み武士を笑わせます。
武士が与えようとした金子を固辞した安七は
代わりに振舞われたお酒に酔い、
「あの浪人には、自分みたいなやつからの一両より、
同じ武士であるあんたからの励ましの一言の方がよっぽど
力になるのに なぜ声をかけてやらなかったのか」と憤ります。
「武士の誇りを思えばこそ、禄を離れた同じ武士の前に
主取りをしている自分の姿をさらせない」という 武士の主張する道理は
安七は納得できません。
最終的には、武士の方が、安七の意見を受け入れ、
善は急げと二人で浪人の家に向かいます。
しかし、小市があげる最前の凧を目印に見つけた浪人の家で
安七が見つけたのは 自害した浪人と書置きと一両小判。
字の読めない安七にせがまれ大家宛の書置きを読んだ武士は
浪人が一両を施されたことをきっかけに 今のわが身を恥じて自害した
と安七に告げます。
「なぜ」 と 浪人の行動が理解できない安七でしたが、
先ほどの武士とのやり取りを思い出し、武士の道理を理解せずに
軽はずみな行いをした自分のせいだと、嘆きます。
自害した父親にすがりついて泣いていた小市は、安七と武士が大家に
話しをしに行こうと立ち上がると見ると、安七に「行かないで」と
すがりつきます。
そんな小市に安七は、自分は、おまえの父親の敵なんだと
小市に告げるところで、幕と成ります。
◆お話について
そもそもね、この浪人さんがイカンのですよ。
この浪人さん、自分が死んでラクになるわけじゃないし、
浪人さんが死ぬことで誰かが幸せになるわけでもない。
いや、そういうことがあったら、自害してもいいとはいいませんけど、
でも、この浪人さんの自害は、浪人さんの自己中とも片付けがたいし、
なんともしがたい者があります。
どうしたもんでしょうねぇ、これは。
それから、もうひとつ、どうにも納得いかないのが、安七が最後に
自分が間違っていたと認めてしまうところです。
そりゃ、安七にはなんの非もない とはいいませんが、
でも、安七があんなふうに自分を否定するのは違うと思うんですよね。
なんか、安七がかわいそうでした。
それに、あの浪人さんの自害の言い訳は、安七の気持ちに失礼じゃないでしょうかねぇ。
でも、そう思う一方で、安七の行為で浪人さんが ものすごく傷ついた。
自分の身を恥じた というのも、わかる気はするんです。
で、色々考えたんですけど、
とにかく、あそこを武士が通らなければよかったとか、
浪人さんが武士に見られた時、恥ずかしいと思わなければよかったとか、
安七が1両あげなければよかったとか、
色々、悲劇のシナリオを変えるきっかけは考えられます。
でも、そうするとお話なりたたなくなっちゃうんで(^_^;)、
この状況の中で、どうやれば、あの悲劇は回避できたか。
ふたつ、そのカギになりそうな点を考えました。
ひとつは、浪人さんに気力と体力があれば。ということ。
武士に見られたことを、恥ずかしいと思わなければ、自害なんてせずに
すんだかもしれません。
かといって、恥じらいを美徳とする遺伝子をもった日本人です。
今の世の中見ても思いますが、全く恥ずかしいと思わない というのも、
ある意味、相当問題です。
それに、恥ずかしいと思った気持ちは、「見返してやる」とか、そういう
奮起のきっかけにもなります。
ただ、そう思うには、本人に気力が充実してないとダメだと思うんです。
そうでないと、疲れているときに、普段考えないようなこと考えてみちゃって
「俺はダメなやつなんだ~っ」と落ち込んじゃうパターンと一緒で、
恥ずかしいと思った挙句の行き先が「自害」なんかになっちゃうんじゃないかと。
安七が、武士が言葉をかければ、浪人さんの励みになる といっていたように、
このお金でおいしいものを親父さんに食べさせてやれといっていたように、
安七もそのへんを感じてたんじゃないか、それで浪人さんを元気づけたかった
んじゃないのか。と思うんです。
ただ、ここで、安七が、その辺の気持ちの明確な説明なしに
お金を渡してしまったのは、まずかったかもしれません。
というわけで、カギのふたつめは、安七の小判の渡し方です。
浪人さんだって、安七がどんな思いで大事にしている一両だったか、
どんな思いで浪人さんにその一両を渡す気になったのか。
それを知っていたら、あんな風な結論にたどりつきはしなかったんじゃないか
と思うんですが・・・
なーんてことを、つらつらと考えながら家路に着いちゃいました。
あ、あと、最後の場面で安七は、小市に自分のことを親の敵だといっていましたが、
武士に引き取られるらしい小市は、大きくなったら、安七を「親の敵」と討つんでしょうか?
討たないで欲しいなぁと思うのですが…
それから、この武士と安七の関係。
この後も、「浪人の家に今すぐ行きましょう!」と意気投合したときのように
身分の垣根を越えて、いい関係でいてくれるといてくれるといいなぁと思うのですが…
難しいかなぁ。<(ーー;)
そして、なによりも、安七が 立ち直れるのか。
自分を責めて責めて、陰鬱な性質になったりしないか。それが心配な幕切れでした。
◆役者さん
料亭での安七と武士のからみなんかは、菊五郎さんと吉右衛門さんのやりとりが
楽しめました。
ただ、このお話しの武士の設定がそうなんでしょうけど、吉右衛門さんの武士は
なんとなく、単純というか…骨の太さに欠ける感じがしちゃいました。
おおらかな感じは、吉右衛門さん、とても上手いんですが。
家橘さん・右之助さんが茶屋女で出てきました。
右之助さんはともかくも、「家橘さんが女形??」
これは、結構、衝撃でした。
と書いてて思い出しましたが、そういえば、以前、家橘さんが「曽我」の
「対面」で、化粧坂の少将だったか大磯の虎だったかで出てきて
びっくりしたことがあったような記憶がうっすらと…(^_^;)
そうか、家橘さんも兼ねる役者さんだったんだ。
茶屋の看板娘の松也さん。うーん、相変わらず声が高くてきれいですね~。
ところで、この茶屋のおかみさんって、どんな人なんだろ??
そのおかみさんに安七が惚れてる とかいう設定だと また面白かったかも♪
凧屋の権十郎さん、足がスラっとしてて、素敵ですね~。
今回、なんかいい味だしてました。
田之助さん・・・髪が黒い役を見たのは久しぶりのような・・・(^_^;)
◆その他
ふぅ。どうにも、重い話しです。
打ち出しの演目としては、最後にもう少し、救いが欲しいですねぇ・・・
◆花道度:低
最初に安七が笊売り天秤を担いでやってくるところだけ だったと思います。
それも、冒頭。
>70年たって、今度は九代目と二代目の共演となったわけですね。
…当代の菊五郎さんは、七代目です~
勝手に2代も進化させちゃってました~(^^ゞ
あぁ、もう 今夜は修正の嵐だ…<(ーー;)
プライドっていうのも、ハサミと同じで、要は使いよう。そのへんの難しさは、今の時代と変わってないのかもしれませんね。
歌舞chなどで機会がありましたら、ぜひ、一度ご覧になってみて下さい。
最後がすごく重いですが、菊五郎さんと吉右衛門さんの掛け合いはなかなかです。松也さんもきれいだし♪