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精神主義

2013-10-22 | 健康・スポーツ心理学
 集中力の発揮は、とりわけスポーツで重視されてきました。かつては、試合に臨んでの集中力アップのために「はっぱをかける」光景が普通でした。監督やコーチ、あるいは自分で「集中!!」とやる、あの光景です。これはスポーツ訓練での精神主義の典型で、それなりの効果があります。言葉のもつ暗示の力はばかになりません。この効果をさらにアップさせるのが、集中力についての知識とスキルです。


クリエーションとしてのデザインと心理学

2013-10-22 | わかりやすい表現

 心理学の知識の有無などとはまったく無関係に、デザインすることは可能である。そして多分、世の中に出回っているデザインのほとんどは、デザイナーの感性にもっぱら頼って制作されたものではないかと思う。それが問題となるのは、一つには、デザインが、受け手であるユーザの心理行動特性とのずれが発生してしまう場合である。

1000番以内がぼつぼつと

2013-10-22 | Weblog
2013.10.20(日) 3712 PV 565 IP 1076 位 / 1942439ブログ
2013.10.19(土) 4061 PV 611 IP 875 位 / 1942159ブログ
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勉強しなくなった日本人

2013-10-22 | 教育
辻元「勉強しなくなった日本人」より
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「高校生の学習意識と日常生活」(日本青少年研究所 2004年2月)では、日本、アメリカ、中国の高校生の勉学に対する意識を調査している。その結果は、次のようになっている:

1.勉強について

①学校以外の勉強時間が少ない :「学校以外ほとんど勉強しない」(平日)日本:45.0%、米国:15.4%、中国 8.1%

②勉強に対する態度が怠慢 :「授業中、よく寝たり、ぼうっとしたりする」日本:73.3%、米国 48.5%、中国 28.8%

③勉強に対する規範意識が薄い
「学校をさぼる」ことは「絶対してはならない」:日本:30.8%、米国:49.8%、中国:63.8%


2.日常行動:友達と常に電話やメールで繋がっている。

「友達とほぼ毎日電話やメールをする」:日本:52.0%、米国 30.6%、中国 6.3%
毎日電話やメールをする時間も長い。「4 時間以上」:日本:30.7%、米国:10.5%、中国:3.6%


3.生活態度

現在享楽主義 「いまの生活で何でもできるとしたら、一番したいのは好きなように遊んで暮らす」:日本:38.3%、米国:22.5%、中国:4.9%

「若い時は将来のことを思い悩むよりその時を大いに楽しむべき」:日本:50.7%、米国:39.7%、中国 19.5%


4.家庭ついて
 家庭のルールが少ない

「金の使い方についてルールがある」日本29.6%、米国58.2%、中国70.5%

「門限など時間を守ることについてルールがある」日本46.4%、米国60.8%、中国70.3%

「友人との付き合いについてルールがある」日本11.1%、米国35.8%、中国51.3%

「勉強についてルールがある」日本28.9%、米国54.7%、中国78.5%



となっている。 このように、日本は三国の中で突出して勉学意欲が低く、学習規範意識にも欠けていることが見て取れる。 


小津安二郎の無声映画

2013-10-22 | 心の体験的日記
YouTubeで完全版をみることができることを発見
無声なので、音漏れは心配ないので
電車内でもみることができる
ストリーが簡単なので年寄向き 笑い
古き良き時代の情景が見られるだけでも楽しい
かなり前には、東京物語をみた
これはおもしろかった
なんの変哲もない日常が映画になる不思議



汗をかく

2013-10-22 | 心の体験的日記
今日は比較的温度が高い
でもこたつ
足温器
そして、毛布を追加
着るものも一枚多くなる
したがって、汗をかくこともある
温度管理がとてもむずかしい
それにしても花粉症
そろそろおわってほしいなー
高校生にマスク姿が多いように思うが
身体がわかいのかなー 笑い



私の初期記憶

2013-10-22 | 心の体験的日記

 都小学校に入学したとき、母親につれられて写真館にいく途中の記憶が、自分の最初の記憶である。
 最初の記憶は3,4歳くらいとされているから、これはやや遅い。これ以前にも3歳の終戦(1945年)の頃の厳しい現実の記憶などがあってもよいのだが、まったくない。まさに幼児期健忘である。
 さて、その最初の記憶。実は、こんなエピソードとともに、しばしば思い出される。
それは、徒歩で、母親と写真館に向う途中、障害をもった方が多分、普通ではない歩きか行動をしていたのだと思う。その相手の光景はまったく記憶にないのだが、それを指でさして、母親に何かをいったのだと思う。母親が「人を指差すのはだめ」と叱責したのである。それはしっかりと覚えている。そのときの感情がかなり強かったのが、この最初の記憶を形成する決め手になったのではないかと思う。
 最初の記憶は、これだけである。写真館での情景などはまったく思い出せない。ただ、母親と2人でとった写真はその後、何度かみたことがある。
 なお、10年前の引越しのときに、膨大な写真をすべて廃棄してしまった。今にして思うと、しまったである。そんなものを見ながらのわたしの履歴書もありだった。思い出を捨てるのは、急ぐ必要はない。