日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

江戸っ子は荒っぽくなかった

2013-10-18 05:39:53 | 日月神示の実践

<ごまめの小唄より転載>

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江戸っ子の実態


「おいらぁ江戸っ子だから、口は悪いけどよぉ」などと、ことさらに巻き舌でまくしたてる人に時々出会う。もちろんその人は言外に、「だから、俺はよい人間なのだ」と表明しているわけである。それはともかく―。
 一般に、「江戸っ子」という言葉を聞いたときに思い浮かぶイメージは、次のようなものであろう。
 つまり、宵越しの金は持たない、粋で、いなせで、きっぷがよく、言葉は荒っぽく喧嘩っ早いが、気性はさっぱりしていて、情にもろく世話好きで、反骨精神に満ちており、ケチケチしたことは嫌いで気前がよく、祭や花火など威勢のいいことが好きで…。
 筆者は落語が好きである。落語を通じて、かつて筆者も上記のような江戸っ子のイメージを持っていた。
 さて、筆者は学生時代、岡本文弥に入門して新内を習った。江戸生まれの音曲である新内は、江戸文化の粋といわれている(余談 筆者は岡本美弥太夫という名前をもらった)。
 文弥夫妻は明治生まれの東京っ子である。また、通ってくる弟子には、鳶のおかみさんや芸者さんなど、生粋の東京っ子が多数いた。当時、谷中の稽古場には明治の東京の香りが濃厚にただよっていた。大げさに言えば、江戸の残り香があった。
 驚いたのは、若い筆者が月謝などを渡すとき、高齢の文弥や、その妻の美弥之助(後の宮染)が軽く頭上におしいただいて受け取ることである。ごく自然で、じつに奥ゆかしい仕草だった。筆者は新鮮な感動を覚えた。
 また明治生まれの弟子から、筆者はよく寿司や鰻などをごちそうになった(学生ということで甘えていたのだが)。そんな場合、彼らはけっして「おごってやる」式の押しつけがましい誘い方や、「○○なら、これを食わなきゃあ」などというグルメ自慢はしなかった。
「ひとりじゃ寂しいから、付き合ってよ」などと、相手に心理的な負担をかけない表現をしながら、高級な物をおごってくれるのである。また支払いも、筆者がトイレに立っている間などにさりげなくすませてしまっていた。じつに洗練された言葉と振る舞いだった。
 筆者は谷中で、落語を通じて描いていた江戸っ子のイメージを改めた。要するに、江戸っ子は都会人なのだ。
 現在流通している江戸っ子のイメージは、落語が作った部分が大である。歌舞伎や講談もあるだろうが、やはり落語の影響が大きい。
 もちろん、落語がウソだとは言わない。しかし、落語に登場する威勢のいい江戸っ子は、あくまで鳶の衆など荒っぽい稼業に従事する人間の戯画化である。また落語には、話を面白くするための特有の誇張もある。
 実際には、商人や職人など大多数の江戸の町人は、けっして落語が描くような江戸っ子ではなかった。
 幕末の安政期、紀伊田辺藩の御典医原田某が参勤交代で江戸に滞在し、その見聞を記録したものに、『江戸自慢』がある。同書は江戸っ子について、次のように記している。
 江戸の商人は言葉も物腰もていねいで、和歌山とは大違い。
江戸の人々は道をたずねると仕事をやめて親切に教えてくれるし、その言葉使いはやさしく、ていねいである。
 などなど。
 江戸っ子はけっして荒っぽくはなかった。著者の原田が江戸っ子に見たのは、都会人として洗練された、ていねいな言葉使いとやわらかな物腰だった。
他にも多数の史料を例証としてあげることはできるが、それはくだくだしくなるため、現代の感覚に照らしてみよう。
 江戸は、他の都市に比べて武士の割合が極端に大きかった。武士は生産はせず、税を徴収し、消費するだけの存在である。江戸の経済は幕府や諸藩の、いわば「公共事業、あるいは許認可事業」の存在で成り立っていた。つまり、江戸の商人、職人など大多数の町人は、直接間接に公共事業や許認可事業に依存して生活していたのである。しかも、事業を発注したり認可したりする武士は、身分制度のもとで威張っていた。
 現在、公共事業を受注し、官庁から事業認可を受ける企業はどうか。その企業は、関連の政治家や官僚にはまったく頭があがらない。会社勤めをした経験のある人なら、企業が監督官庁にいかに弱いかは実感しており、どんな理不尽にも忍耐しなければならない力関係は直感的にわかるであろう。
 事業を受注し、認可を受け、監督官庁とうまくやっていくためには接待、盆暮れの贈答は欠かせない(袖の下は一歩踏みはずすと汚職になるが)。
 江戸の町人は都会人という側面と同時に、いわば武士階級という監督官庁から認可を受け、事業を受注する企業という側面があった。言葉も物腰も、ていねいになるのが当然なのだ。
 少なくとも落語の「江戸っ子」では、公共事業は受注できないし、監督官庁の認可も受けられないのは確実である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「宵越しの金は持たない、粋で、いなせで、きっぷがよく、言葉は荒っぽく喧嘩っ早いが、気性はさっぱりしていて、情にもろく世話好きで、反骨精神に満ちており、ケチケチしたことは嫌いで気前がよく、祭や花火など威勢のいいことが好きで…」という 江戸っ子のイメージは、鳶職などのやや荒っぽい人たちのことを言っているそうです。テレビや落語での作られたイメージだそうです。荒っぽい人たちも居たのでしょうが、多くは紳士だったそうです。大企業のサラリーマンのようなイメージのようです。公共事業を受注する大手のゼネコンやIT企業の社員のような人たちかも知れません。要するに都会人だそうです。

 大手ゼネコンやIT企業の人たちとはずいぶん仕事をしましたが、確かに皆さん紳士だと思います。また、中小企業の人たちも同じように紳士だと思いました。近所の人たちもみな紳士ですね。今はテレビやネットの影響で地方でも都会とほぼ同じような感じです。テレビに出て来る江戸っ子のような人は地方にもいませんから、相当少数だと思います。というか会ったことありません。絶滅したのかも知れません。学生のころ中野の鍋屋横丁で、鳶と造園業を営む会社でアルバイトを2年くらいやってましたが、鳶の方も紳士でしたね。

 今年は中矢代表の地方講演会に参加するため、北海道から九州まで行きましたが、どこに行ってもセブンイレブンやローソンがあり、イトーヨーカ堂やイオンがあります。どの都市もだいたい同じような町並みです。また、私が子供のころはみな方言を話していましたが、最近の子供は東京と同じ言葉を使っているので、ちょっと寂しい感じです。そういう自分も東京にいる時は東京の言葉ですし、前橋の年配の方とは少し方言を交えて話しています。言葉で地元の人かどうかはすぐに判ります。英語などもイギリス人とアメリカ人では結構違いますから、それはそれで面白いものです。

*明日の昼からひふみ農園赤城で実習会を開催します。前回蒔いた大根や白菜、小松菜などが元気に育っていますので、その世話とほうれん草を蒔きたいと思います。実習会の後は恒例の富士見温泉にみんなで行きます。温泉でさっぱりした後は、ビールで乾杯です!今の時期は露天風呂が最高に気持ちいいです。北から西にかけて 赤城、榛名、妙義の上毛三山と浅間山が見えます。冬になると富士山も遠くに見えます。明日も楽しくやりましょう。

 

 

 

・ごまめの小唄

 

 


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