日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

中村天風哲学について

2009-04-29 10:11:50 | 日月神示の実践
 中村天風氏のサイトに下記のように説明がありました。

「ぐんと勢いよく生きていけ。毎日これでもか、これでもかという勢いで生きていくんだ」「心が積極化されていれば、そう努力しなくても苦労しなくても幸福になれるように、人間はできているんだ」

 この言葉は、大変励みになる言葉です。とても勇気の出る言葉だと思いました。

<記事転載>
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 「天風哲学の概念」

 人生のすべてのできごとは、すべて自分のこころがつくりだしている。「目にふれる一切合財はすべて人間の心の思考から生みだされている」その人が「強く思ったことは必ず現実化する」「自分の現在の姿は自分の心がつくりだしたものである」豊かさも貧乏も、健康も不健康も、すべて自分が思ったとうりになっている。
「人生苦もありゃ楽もある」と考える人は、その通りの人生を送るし、「人生ろくなことしかない」と考える人は、実際に悲惨な一生を送る。人生が二度ない以上、「人生は楽しく過ごすもの」と強く思考せよと言い切る。「この世は苦しいものでも悩ましいものでもない。本質的に楽しい、うれしい、そして調和した美しい世界なのである」

「宇宙の造物主は、もともと人間を強く幸福に生きるように造った」「人間の力でどうしようもない運命はそう沢山あるものではない」。そもそも「蒔いたとおりに、花が咲く」つまり「人生は心ひとつのおきどころ。思い方考え方で人生の一切をよくもし悪くもする」「こころに犬小屋みたいな設計を描いて広壮な邸宅などできるはずがない」

「ぐんと勢いよく生きていけ。毎日これでもか、これでもかという勢いで生きていくんだ」「心が積極化されていれば、そう努力しなくても苦労しなくても幸福になれるように、人間はできているんだ」
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 ●中村天風氏について
  http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3860/biografias/tempu.html

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限界集落にこそ人間らしい生活がある  おばあちゃんの作ってくれた煮物

2009-04-29 09:43:04 | 日月神示の実践
 天木直人氏が限界集落のお年寄りのことを書かれています。若者とお年寄りが一緒になって新しい生き方を創造しているようで、とても希望のある話しです。嬉し嬉しのミロクの世に向かって過疎地では、少しづつですが変化が起きているようです。

<記事転載>
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「限界集落にこそ人間らしい生活がある」
               天木直人

 誰が名づけた言葉かは知らないが、いつの間にか限界集落という言葉が
メディアに目につくようになった。

 過疎化や少子化によって人口の半分以上が65歳以上の高齢者となり、
社会的共同生活の維持が困難になってしまった集落、というような意味らしい。

 いかにも官僚的な冷たい言葉だ。物事を効率や合理性で片付けてしまう発想
から生まれた言葉だ。

 サンデー毎日5月3日号に、限界集落をヒッチハイクや車で巡りながら、
現地の農家に寝泊りし、その土地の魅力を掘り起こしてブログで発信している
若者の事を書いた記事があった。

 無農薬・循環型の農業に従事する夫婦との出会いや、里山の豊富な水資源を
利用してエネルギーを自給する取り組みを始めた人、自家栽培の米と大豆を、
昔ながらのかまどで炊事する人。

 「住むこと、食べることを自分で出来れば、外部環境に依存しない自立した
生活が送れる、限界集落にはそんな思想が隠れています・・・お金を得るため
に言いたい事が言えなかったり、自分の人生に筋を通せないことがある。
 お金はなくても心から喜ぶ暮らしができる・・・」

 そのような話に頷きながらその若者は旅を続けるという。

 この記事を読んで、私は、少し前に読んだもう一つの記事を思い出した。
その記事とは月刊誌「創」4月号にあった大川豊の記事である。

 大川豊とは、就職試験で153社に落とされたため、自ら大川興業を設立
してその総裁におさまり、154番目のその会社の合格内定をみずからの手で
出した、と称するギャグ男である。

 その大川総裁が、ある限界集落を訪れた時のレポートを次のように
書いていた。

 「・・・長野県の栄村に行き、山田義輝さんという、なんと90歳の元気
バリバリのおじいさんに会った・・・さっそく栄村で有名な田直しの話を
聞いた。国の補助事業だと30アール以上のたんぼでないと補助金は出ないが、
勾配の激しい山肌にあるたんぼはそんなに広くはつくれない。それに、そんな
広いたんぼが欲しいわけではない。田植え機や刈り取り機が通れるだけの広さ
でよかった。それに国の補助を受けると、村もお金を出さなければならない。
そこでパワーショベルの達人と言われる青年と契約した。10アールあたり
200万円弱かかり、農家と村の負担がそれぞれ50万円ずつかかるところを、
自分たちでやることで、10アール40万円にコストがさがり、農家の負担も
20万円で済んだ・・・
 山田さんは道直しもしている。国の補助を受けるには道幅6-7メートルで
ないと規格が通らないし、土地買収や家屋の移転、さらには国土交通省への陳情
にも手間がかかる。そこで、冬のあいだ除雪作業をやってもらった5人の作業員
を通年契約にしてもらい、村職員と建設班をつくって、一緒にブルドーザーを
動かして、道路を広げた・・・補助事業でやると、1平米あたり3・5万円
のところ、1万円。3割以下のコストですんだ。しかも10倍以上のスピード
で直してしまった・・・」

 政府に頼らず自助努力でここまでできるのだ。官僚行政に頼る事が、いかに
割高で不自由であるか、ということだ。

 大川総裁のレポートは医療や観光誘致にまで及ぶが、長くなるのでここ
でやめる。しかし大川総裁の次の言葉だけは紹介しておきたい。

「・・・若者とお年寄りの元気を合体させたい。情報を若者や他の集落に
伝える事によって、『俺たちもやろう』となる。非常に高い可能性を感じる。
限界集落というよりも、明るく楽しい無限界集落をつくりあげていこう
じゃないか・・・この山の多い国で、知恵と勇気で頑張ってきた限界集落に
派遣村を作ってほしい。おばあちゃんの煮物もおいしいし・・・」

 この最後の煮物のところだけ少し説明がいる。大川総裁が山田義輝
おじいちゃんと話している時に、突然おしかけた大川総裁たちのために、
おばあちゃんが煮物をつくってくれたという。その時の状況を大川は次の
ようにほほえましく描写している。

 「・・・『だべでけ』と言うんだけど、『いぞいでづぐっだからうまぐね』
とも言う。一口食べると、非常においしく、『うまい!』と言いながらながら、
おじいちゃんに道路の話を訊いていると、『やっぱり、いぞいでづぐっだがら
うまぐね』と入ってくる。『そんなことないですよ。おいしいです。僕たちは
外食ばかりですからおいしいです!』、『でも、やっぱり、ダメだ。
いぞいでづぐっだから』、と絶妙の間で入ってくる。
 家の周辺を案内してもらっている時も、あばあちゃんは、普通よくお年寄り
が押しているカートではなく、クロネコヤマトとか宅急便の人が使うような、
ものすごくでかい台車で、ものすごく大きな醤油を運んでいた。
『おばーちゃん、僕が運びますからーーーー』と思わず叫んでしまったくらい、
デカい台車とデカい醤油だった。その醤油を使って作ってくれていた
(煮物だった)のだ・・・」

 限界村で生きている人たちには間違いなく厳しい生活を強いられている。
必死で生きている。しかしそこには生活の知恵と喜びがある。生きる充実感が
ある。それこそが本来の人間の生きる姿ではないのか。

 永田町と霞ヶ関で作り出されるこの国の政策にははるかに及ばない
温かさがある。

 我々の税金の分捕り合戦で明け暮れる政治家や官僚は自らを恥じるべきだ。

 政治などなくても人々は立派に生きていけるという事を思い知るべきだ。

                                        (完)

 おしらせ

  24日深夜の朝まで生テレビ、26日の たかじんのそこまで言って委員会 に
  出演します。

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 テレビは付けていましたが、すっかり寝てしまいました。天木氏の姿は全く見ることもなく爆睡でした。


 ●天木直人氏ブログ
  http://www.amakiblog.com/blog/

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