一青窈ジャーナル

ジャーナリズムの中の一青窈/ジャーナリスティックな一青窈

朝日新聞 一青姉妹と顔家④

2008年11月20日 21時22分01秒 | 一青ジャーナル・顔家
◆『朝日新聞』(2008年10月31日夕刊)1頁
                     <野島剛>【朝日新聞社】

*アジアズームイン 一青姉妹と顔家④
          遠い歴史とも結ばれて


“「九份は街の姿が戦後まもない頃とほとんど変わっていない。そんな街は台湾でほかにみつからなかった」映画「非情城市」を89年に発表した侯孝賢(62)は、九份をロケ地に選んだ。”


“あれは私の村で実際にあったこと。映画では中国語の手紙だったが、当時の大人は日本語教育を受けていたので本当は日本語だった”
   ・呉念真(56)<九份で生まれ育った「非情城市」脚本家>

“日本時代、上に立っていた人間は、すべて狙われた。それから顔家は政治から遠ざかることを家訓とした”
   ・顔恵卿(76)<恵民の弟。顔家系列企業「台陽合金工業」会長>

“彼女は私が知っている日本人とは異なる独特の個性がある。個性の源が何か分からないが、日本人の伝統的な社会にはないタイプで、とても特殊で特別な人だ”

“私には他人と違う視点があった。彼女と私はそこが似ている。台湾人の部分があるから、日本でユニークな存在でいられるのだろう”

   ・侯孝賢(62)<「非情城市」の監督>


“2・28事件は窈には遠い昔の出来事だが、侯や九份を通して、窈と歴史を結ぶ糸はつながっている”

朝日新聞 一青姉妹と顔家③

2008年11月20日 00時37分30秒 | 一青ジャーナル・顔家
◆『朝日新聞』(2008年10月30日夕刊)
                     1頁<野島剛>【朝日新聞社】

*アジアズームイン 一青姉妹と顔家③金鉱の街 観光で再び灯


「夜中には貧乏でも 夜明け前には金持ちになり 朝には立派な家が建つ」
一青姉妹の父、顔恵民の一族のもとでゴールドラッシュに沸いた20世紀前半。九份では一攫千金の夢が、こう語られた


ひとと語録
“山から見える夜の海に、漁船の光が輝いている景色が好き”

ひとと´語録
“(妙)いい意味で時間が止まった場所で、できるだけゆっくりしたくなる”


ひととpic up
侯孝賢監督『非情城市』/宮崎駿監督『千と千尋の神隠し』/林雅行『風を聴く』