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一青窈ジャーナル

ジャーナリズムの中の一青窈/ジャーナリスティックな一青窈

僕らの音楽 対談集1 #006 一青窈

2005年08月20日 23時40分03秒 | 一青ジャーナル・作詞
□『僕らの音楽 対談集1』(2005年8月10日・書籍)22頁                   
      <インタビュアー・鳥越俊太郎>【ソニー・マガジンズ】
*#006 一青窈 [2004.5.8 OA] 言語も、生活習慣も取り外し        
  たうえで、人間としてその人を信頼できるかどうかが判断基準
 

ひとと語録
“もうすでに大学に入った時点で、若くないじゃないですか、ミュージシャンとしてデビューするのに。今の子はものすごく低年齢化してるので。そのときに、自分は、“曲げたくない”って思ったんです。”“もう、この時点で私がデビューできていないっていうことで、じゃぁ誰にも負けない何かを培おうと思って。私は、詞は負けたくないというのがあったので、とにかくいろんな芸術に触れようと”

ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 小川洋子(前)

2005年02月10日 01時23分18秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『ダ・ヴィンチ』(2005年3月号・月刊誌)2頁【メディアファクトリー】
*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(19回)
 [ 小川洋子 X 一青窈 (前編) ]
 

 『博士の愛した数式』のような先生に教わったという「理数系」の一青窈が、著者・小川洋子と大阪で対談。

ひとと語録
“(小川:小説の神様の仲介者になったようなときがある)面白いですね。私は自分の中にあるイメージをコントロールしながら書いている感じで、それはまだ経験したことがないかもしれません”


ひととpic up
『博士の愛した数式』/『ドラえもん』/『マトリックス』


東京人 特集・2004年版 神保町の歩き方

2004年09月20日 23時16分01秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『東京人』(2004年10月号・月刊誌)15頁【都市出版】
*特集・2004年版 神田神保町の歩き方
     表紙写真/特集タイトル写真
     喫茶店で過ごすひととき。 一青窈
     対談・映画『珈琲時光』の東京を歩く。侯孝賢x川本三郎
 

神田神保町を舞台にした侯孝賢監督の映画『珈琲時光』の公開を間近に控え、一青窈が久しぶりに神保町古書店を散策。

ひとと語録①
“たとえば「三国志」という言葉を聞いた時に、まず「三」がつく言葉を広辞苑で引きます。「三秋の思い」という言葉が出てくると、「三」と「秋」と「思い」で美しい言葉だなと思い、「三」にこだわる思想とはなんだろう…どんどん思いが波及していき、情報を集め、自分が気になったキーワードだけで物語を作り、作詞します”

ひとと語録②
“歩いて探すのは、ネットで検索するのと違って、宝を探し当てた、自分の力でつかんだ、という感覚を得られることができるので、とても人間らしいと思います。…人と触れている感じがして、とても好きです”


ひととpic up
喫茶店「エリカ」/荒魂書店(上村一夫の「同棲時代と僕」と「オトナのあそび」を一青購入)/誠心堂書店/南洋堂書店/ブックプラザ一源喜堂書店

ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 朝比奈弘治(後)

2004年09月11日 21時46分43秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『ダ・ヴィンチ』(2004年10月号・月刊誌)2頁【メディアファクトリー】
*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(14回)
 [ 朝比奈弘治 X 一青窈 (後編) ]
 

 日常の状況を99通りもの形式で書き分けたレモン・クノー著『文体練習』の翻訳者・朝比奈との対談後編。読んだり話したりしていると、頭の中で妄想が先走るという一青窈。言葉談義が止まらない!
 
ひとと語録①
“(陽水が先に曲をつくって詞を書いたのか?)陽水さんの詞なんです。なので、その時点では『面影モダン』ではなく、陽水さんの世界観でつくられた全く別の歌が出来上がってくるんですけど、それを私が壊すんです(笑)”

ひとと語録②
“(歌詞によく出る「ぼく」は自分?)“ぼく”は聴いてる人なんです。“あたし”って書いた時点ですごくパーソナルになってしまうので、「それはあなたの世界でしょ、自己愛の世界でしょ」って思われるのを避けたくて“ぼく”なんです。できるだけ感情移入してもらいたくて”“でも、恋愛の歌の場合は“あたし”だとか“あなた”を使います。“ぼく”だとあまりにも中性的なので”


ひととpic up
レーモン・クノー著『文体練習』/井上陽水/フローベール/


ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 朝比奈弘治(前)

2004年08月10日 22時14分35秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『ダ・ヴィンチ』(2004年9月号・月刊誌)2頁【メディアファクトリー】
*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(13回)
 [ 朝比奈弘治 X 一青窈 (前編) ]
 

 日常の状況を99通りもの形式で書き分けたレモン・クノー著『文体練習』、一青窈が惚れ込み、詞作に大きな影響を与えている。その翻訳者・朝比奈に勇気を出して対談を希望。
 
ひとと語録①
“元の文章の言葉を辞書で引いて、その何番目かの言葉に置き換えていくっていうようなことも、時々似たようなことやってって……。辞書開いてたまたま目についた言葉を組み合わせて、偶然だけどきっと必然なんだろうなって思ったり”

ひとと語録②
“もし私の歌が海外でリリースされることになったら、やっぱり私が詞に込めた意味を踏まえたうえで訳して欲しいわけです。『江戸ポルカ』のなかの「極楽まくらおとし」という言葉ひとつとっても、深沢七郎さんをイメージしたり、修学旅行で枕投げしている姿がいとおしいっていう、私の妄想までつかんでもらいたい(笑)”


ひととpic up
レーモン・クノー著『文体練習』/バッハ『フーガの技法』/深沢七郎


ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ  荒木経惟(後)

2004年07月08日 20時20分56秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『ダ・ヴィンチ』(2004年8月号・月刊誌)2頁【メディアファクトリー】
*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(12回)
 [ 荒木経惟 X 一青窈 (後編) ]
 

 怖いものにふと触れると、人は笑ってしまうのでしょうか。一青さんと荒木さんが顔を見合わせて笑いあう時、闇がぱっくり。

 孤独なんだろうけどさ。アナタは平仮名のこどくって感じがするね(荒木)

ひとと語録①
 荒木 “だろ?案外一人でいたれるタイプじゃないの?男要らないだろう。”
 一青 “なんでですか!”
 荒木 “我慢かなあって思ったことも詞書いてるうちになくなっちゃうだろう”
 一青 “ああ、そうですねえ”
 荒木 “だからさ、似たとこありますよ。アタシと。口で言えない孤独感があるんだよね”

ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 阿久悠(前)

2003年09月08日 23時42分44秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『ダ・ヴィンチ』(2003年10月号・月刊誌)2頁
     <取材、文・瀧晴巳/撮影・冨永智子>【メディアファクトリー】

*連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(2回)
 [ 阿久悠 X 一青窈 (後編) ]


 憧れの人・阿久悠対談、後半は創作について、とことん語った。

ひとと語録
“阿久 あなたの歌詞カード見てていいのはね、レイアウトがいいんですよ。
    詞ってレイアウトだからね
一青 私もそれを気にしています。私も曲は自分で作らないんで、この音だったらこの言葉、
     Aメロ、Bメロがどんどん、くんずほぐれつ変わっていって”


ひととpic up
ピンク・レディー/鈴木清順

ダ・ヴィンチ 一青窈のふむふむのヒトトキ 阿久悠(前)

2003年08月15日 23時00分39秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『ダ・ヴィンチ』(2003年9月号・月刊誌)2頁【メディアファクトリー】
*新連載・一青窈のふむふむのヒトトキ(1回)
 [ 阿久悠 X 一青窈 (前編) ]
 

連載第1回、「憧れの人」との念願の対面を果たす。

ひとと語録①
“阿久さんは、“女というより女性を描きたい”っておっしゃてたじゃないですか。私なんかは敢えて女の方を描きたいんです”

ひとと語録②
“たとえば、私が少女性とは真逆の、女の部分を打ち出すような詞を書くと却下されてCD化につながらないというか。いまだに男性にはどうもそういう女性に拒否反応があるみたいで。”


ひととpic up
上村一夫/『蛍子』


ダ・ヴィンチ Studio Interview 一青窈

2003年08月15日 22時19分09秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『ダ・ヴィンチ』(2003年9月号・月刊誌)2頁【メディアファクトリー】
*表紙写真
*Studio Interview 一青窈
「色に狂う。男と女がいて、女っていうものをさらけだしている狂女に憧れます」


 寺山修司原作・上村一夫激画『上海異人娼館』、建築家バウの写真集『geoffrey bawa:the complete works』を持参。劇画家の上村に心酔するきっかけは、大阪のヴィレッジヴァンガード(書籍・雑貨など複合的に陳列する「遊べる本屋」)で『蛍子』に一目惚れしたのが事の始まり、とのこと。

ひとと語録①
“やっぱり最小限の線でいかに艶かしさを出すかっていうのが、上村さんはすごく上手だと思う。自分で描くジャケットも線画が多いんですが、なるだけ少なく少なく表現して、トリッキーにしたい。作詞もデザインとしてはここを漢字にするか、カタカナにするかっていうこともありつつ、内容としては最小の文字でどれだけイメージが膨大になるか。削ぎ落とす作業なんですよね。” 

ひとと語録②
“狂女って、なんていうのかな、人間らしいなって思うんですよね。たぶんすごい純粋だったり、素直で突き詰めるがゆえにそこに行っちゃてるわけで。”


ひととpic up
『上海異人娼館』/『同棲時代』/『蛍子』/『分裂病少女の手記』/『マトリックス』/ジェフリー・バワ写真集『the complete works』/安藤忠雄/宮島達男/阿久悠/横尾忠則

音楽と人 一青窈 その記憶は、儚くも永遠に

2003年07月10日 23時21分20秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『音楽と人』(2003年8月号・月刊誌)6頁
      <文・金光裕史/撮影・岡田貴之>【シンコー・ミュージック】

*一青窈 その記憶は、儚くも永遠に
 

ひとと語録①
“(「金魚すくい」について)すくってきたのにすぐ死んでしまう儚さと、そこから彷彿とさせられる色のコントラストに惹かれたから。そのもの自体より、周りを取り囲むイメージで表現したものがあったんですね”

ひとと語録②
“(「なんもない」について)私が思ったのは、飽食による、色んな情報があり過ぎるゆえの無、って感じなんですよね。何か。その虚無感みたいなのが、私の時代にはなかったなぁと思って。今やもう、ポケベル、携帯、ネットって、なんでも手に入るじゃないですか。私たちの頃は、最初から全部ある状態じゃないから”“わりとバーチャルで自分がもう経験した気になってる子が多いな、っていうのが私の感覚なんですよね。それゆえに、楽して生きればいいかな、みたいなところに落ち着いてて。頑張っている人もいるけど、そうじゃないところが目についた特に書いたというか……もともと、アルバイトをした時に知り合った子にあげた詩なんです。基になったのは”

ひとと語録③
“潔く、早く、死んでいきたいっていうのか、散りたいですね。山口百恵さんとか、ホントいいなあ、と思います。その散り際が。死んでらっしゃらないですけど(笑)”“したいですね(笑)。いや、もちろん10年20年って、ずーっとこの幸せな状態が続くことをもの凄く望んでいるんですけど。でも何か、今だ!って思ったら、その瞬間、サクッと消えてるような気がします(笑)”

ひとと語録④
“<もらい泣き>とかで、ずっと私は抑えていた部分の感情を出して、ある意味、幸せな状態が続いているわけじゃないですか。そうすることで、自我が埋もれてきたんだと思います。素直にわがままに外に出せてるから。だから<ほったらかしにしないで>(3曲目の<今日わずらい>)とか、わりと今まで止めてきた部分が流れ出してるのかもしれない”

ひとと語録⑤
“わたしはあんまり神様とか信じないんですけど、でも運命みたいなものは信じてるんですよね。なるべくしてなるという”“それこそデビューしたのが26歳で、今、私がそれだけの受け皿を持っているからこそなんだって受け入れていますね。そうやって受け入れること、で、生きてる。だから、やっぱり母と父は死ななきゃいけなかった、とも思っちゃうんですよね。でも、そうじゃないと、どうしようもない人間に育ってたような気がして(笑)”

ひととpic up
鈴木清順/大楠道代/山口百恵

BREaTH はらはらと舞う 一青窈

2003年04月15日 12時08分29秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『BREaTH』(2003年5月号・月刊誌)12頁
     <撮影・大山ケンジ/文・長谷川誠>【ソニー・マガジンズ】
*はらはらと舞う 一青窈
 
ニューシングル『大家』。この歌には安易な癒しや甘っちょろい自己憐憫の感情は微塵もない。こんなにも歌の持っている“力”を実感したのは久々だった。

ひとと語録①
“マキシに何が入るかというのは私自身は無頓着で。シングルかアルバムか何も考えず、とりあえず作り出したものを売る側のプロの人、レコード会社の人に任せてって、いう感じなんですよ”

ひとと語録②
“(「大家」は)「もらい泣き」が出る前くらいに、マシコタツロウ君からデモをもらったんですけれど、そこには一定のリズムで水の音が入っていたんですよ。で、その音が銭湯にいったときに桶にジャーッと水をためてやるあのリズムとシンクロして”“かつて姉と母と近所の銭湯にいっていた時期があって。そのころ父は台湾にいて実際に日本にはいなかったんですけれど、家族の形がくっきり表われていた時代で、なつかしい幸せがあって”“その銭湯が呼び起こされて、6~7歳ぐらいのころの世界観に引きずり込まれて、書き下ろしたっていう”

ひとと語録③
“私の頭の中にはひらがなの50音表があって、それをいろいろ組み合わせていくという。だから“ええいああ”のときの候補は“ああいええ”もあったし、“いやあうう”もあったし、ともかくいろんなものを入れて聞いていく”

ひとと語録④
“生き急いでみたいですね(笑)。これは本当にそうなんですよ。単純にお父さんがお母さんより先に死んじゃって、残された人のほうが思い出を引きずってつらいっていうのを見ているので、今がとっても幸せな状態なら、その幸せな状態のまま、先に死んでしまいたいっていうのはありますね”“前のめりな人生で生きたい(笑)。スタンスとしてはずっと変わらないでいたいですね。何かに迎合するとか、何かに媚びて作るのではなくて、今、これを出したいというものをちゃんと作っていけるといいなあと思っています”


ひととpic up
山中可穂『白いバラの淵まで』(小説)/『ポカホンタス』『ムーラン』/井上陽水

H 一青窈 ミニイラストギャラリー

2003年01月21日 20時56分50秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『H』(2003年2月号・月刊誌)2頁<text・Naoko Saito
            /phot・Masami Sano>【ロッキング・オン】

*Hitoto Yo 一青窈・ミニイラストギャラリー
 

ひとと語録①
“(アルバム「月天心」の本人が書いたイラスト)小さい頃のほうが描いてて、それからずっとあんまり書いてなくて。でも、レコーディングの時に手が寂びしくて描いてたんですよ。多分、曲がたとえばどんなシチュエーションかっていうのが、写真とかで見当たらないんだったらいっそ描いちゃおか、みたいな”“周りの人は「すごく一青らしい」って言ってくれるんですよね”

ひとと語録②
“(アルバム『月天心』について)基本的には、ここ2年の間にたまった曲からすくいあげた10曲っていう。〝月天心〟と、この前のマキシの『もらい泣き』で2曲目に入ってた〝翡翠〟が一番古くて、一番最初にプロの人とレコーディングした曲。で、このアルバムのレコーディング中にできたものまで”“これ、詞の内容的には、25年間の時間軸にそって並べてあって。一青窈ヒストリーみたいな”

ひとと語録③
“(「人は一人で生きていくものだ」って考えている感じが)そうかも。そうだ、うん。移ろいゆくものって捉えているのかも。だから今、自分の中では「みんながいてくれたから、ありがとう」で、「これからも一人でやってゆけます」っていう気持なんですよ”

BREaTH 青き涙一粒 一青窈②

2002年10月26日 00時52分33秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『BREaTH』(2002年11月号・月刊誌)6頁
       <撮影・浜崎昭匡/文・木村由理江>【ソニー・マガジンズ】

*青き涙一粒 一青窈
 
 台湾人の父親と日本人の母親の元に生まれた一青窈はインタビューの前日に26歳の誕生日を迎えた。「32歳か37歳まで(人生を)まっとうできれば」と笑う彼女は、どこかクールで凛としいてお茶目でもあるよう。

ひとと語録①
“ずっと小さいころから日記をつけてて、それがたぶん、小学校低学年で詩に切り替わった感じですね。だから詩も日記調だし日記も詩みたいだし”“で、そこから詩が生まれてます。たとえば、曲をもらってイメージするものに合うものを全部ピックアップして並べて、そのあともう1回曲を聞きながら書いていくんですよ”

ひとと語録②
“曲に対する指示はそんなに出さないですね。とりあえず私はこういうものを出すけど、それに対してあなたはどういうものを提示するの?っていうのを待って、そこからああだこうだしていきます。最初からフィルターはかけないですね。制約するのもされるのも嫌いなんで”

ひとと語録③
“父の書斎に「死の瞬間」とか死について考える本がものすごく並んでたんですよ。暇だからそれを読みますよね。父は〝ガン告知してよ〟って言いたかったんだろうな、と思ったし、プラス、死ぬことって何なんだろうって真剣に考えていたんだろうなって…。まあでも、残された人にしてみれば、何でもないことだから。花が枯れるのと同じなんですよね”“必ず詞の中で〝死とは何か〟を歌っているのではなく、私がご飯を食べる、夜寝ることと父が死ぬっていうことは全部同じ日常です。ということを、日常のことを書くことで、私は表せているんではないか、と思うんですよ”