飛水峡

思い出

第1章「山と川に生きる」

2010年02月24日 19時48分17秒 | ぎふ海流
木曽三川 人と流域、薄れる関係
つながれ山、川、海

朝焼けの光を浴びて、まぶしく光る木曽三川の荘厳な夜明け=三重県桑名市、多度山から望む

 朝焼けの雲を金色に輝かせ、日が昇ってきた。足元の多度山(三重県桑名市)もふもとの町もまだ暗闇に眠る中、木曽三川が陽光に映えた。豊かな大地と水の国、岐阜県の新しい時代の夜明けだ。

 標高403メートルの山頂から、三川の流れの先に帯のように横たわる伊勢湾を見た。御岳や飛騨山脈、白山が取り囲む、木曽川、長良川の流域が一望できた。

 1886(明治19)年、オランダ人水理工師デレーケが山縣有朋内務大臣に上流の砂防と三川分流を柱とする木曽三川改修計画を説明した、その場所だ。デレーケの頭の中で、眼前の山と川、海は一体のものだったろう。

 自然は悠久のようにみえるが、江戸時代の古図では三川の中、下流域は脈流し、島や三角州が網目状に浮かんでいる。山から海へと砂を運ぶ川の流れは悠久でも、自然と人の営みにより地形はゆっくりと姿を変えている。

 「川の水が減った」とよく言われる。昨秋の木曽川上流自然再生検討会で国が示した資料でも、確かに三川の流量は半世紀前より減少傾向。「雨量も減少傾向なのと、河床低下も一因」と担当者は語った。森林や、森林を取り巻く社会は激変しており、山の保水力の低下も考えられる。

 同じ半世紀の間に驚異的な経済発展があった一方で、縄文時代から続いた村がダムに沈んで消えた。いくつもの村が集団離村し、過疎と高齢化が進み、今や「限界集落」と称される小集落も数多い。自然風土も伝統集落も文化も、古来からのありようが今後もそのまま続くとは思えない状況に立ち至っている。

 近代化の進展の中、人間の都合で自然は改変され、山、川、海のつながりは断ち切られた。グローバル化する経済に巻き込まれて地域社会もバラバラになり、山、川、海は人々の暮らしの風景、意識の中からも遠のいた。

 今年6月、第30回全国豊かな海づくり大会が本県の、長良川という初の河川会場で催される。山、川、海が一体の恵みを望む、環境の時代の象徴だろう。

 変わる時代の潮目を読むように今、循環型で持続可能な社会に向けた動きが、山国のそこここで現れている。




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