飛水峡

思い出

第1章「山と川に生きる」

2010年02月24日 19時23分37秒 | ぎふ海流
化石の海、記憶の海
大地に刻まれた海岸線

金生山産の大理石を張った壁面は、古生代ペルム紀の巨大二枚貝「シカマイア」の化石の宝庫=岐阜市司町、県岐阜総合庁舎玄関ホール

 岐阜県を形成する山ひだ深い大地が、何億年も前にさかのぼると実は海だったという証拠は、今も県土のあちこちで見いだせる。

 瑞浪市化石博物館長の奥村好次さんに、代表的な海生の化石を挙げてもらった。

 「古生代なら、奥飛騨や大垣の金生山でサンゴやウミユリ、三葉虫など。中生代なら手取層にベレムナイトやアンモナイト。新生代の瑞浪層には、ビカリアやサメ、デスモスチルスが出るし、岩村層にはクジラやアシカの仲間も出ています…」

 伊吹山と同じ石灰岩の山で、山そのものが海ともいえる金生山。この山から切り出した大理石を使った旧県庁(県岐阜総合庁舎)玄関の内壁や階段に、古生代ペルム紀のシカマイア化石が見られる。

 金生山化石館の橋本秀雄館長は「シカマイアは金生山で世界で初めて見つかったが、二枚貝と分かったのは20年ほど前。栄養不足のサンゴの海でも共生ソウ類の光合成のおかげで、1メートルの巨体でも生きられた」と話す。2億年余の遠い時間、南の海からのはるかなる道のりが感じられる。

 岐阜県には、歴史時代に入っても海があった。氷河期が終わって気候が温暖化し、今から約7千年前には海水面が今より2~3メートル高かった。縄文海進といわれるもので、古環境変動に詳しい海津正倫名古屋大学教授は「海岸線は、愛知県稲沢市から羽島市、大垣市付近を結ぶ線に達していた」とみている。

 弥生時代は逆に冷涼な気候で、弥生の小海退があり、その後、海水準は現在程度に落ち着いた。しかし、木曽三川が運ぶ砂れきによって三角州は前進。干拓や埋め立ても進み、伊勢湾の海岸線は現在の位置まで後退した。

 1935(昭和10)年、羽島郡笠松町の旧国道22号木曽川橋建設工事で長さ30センチ余のマガキの化石が出土し、ここも海だった証拠が人々を驚かせた。太古から人が記録も記憶もしてこなかった縄文海進の波打ち際に思いをはせたい。




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