初めて佐賀県に行ったのは、鳥栖というところに会社が物流センターを作った時でした。そこで年6回大阪でやっているセット販売というのをすることになりました。日曜日に新幹線で新大阪から博多に行ってそこから急行で鳥栖まで行きました。一度遅刻をしてしまい、みんなと一緒に乗る新幹線に乗れずにいました。のぞみに乗ると新下関でみんなが乗っているひかりに追いつくことがわかったのでそれに乗っていくことにしました。当然乗車券はひかりなので、割増し料金が発生するので乗務員に見つからないように、トイレや座る場所を変えていました。しかし広島駅で見つかってしまい怒られ、別のひかりに乗せられました。そうすると博多から出る急行に間に合わず鳥栖のセンターに遅れて行ってしまいました。その時東京だったら遅刻扱いになっていましたが、九州の責任者はやさしかったので不問でした。
またその当時ホテルは繁華街のある久留米にホテルをとっていました。そこでよく鳥栖物流センターから久留米のホテルまで 10キロくらいを、柴田さんや野村さんなどと走って帰ったことを思い出します。ブリヂストンの発祥の地がありました。いろんなコースを走って帰りましたが、まっすぐ帰るのがベストでホテルのそばの公園で調整をしていました。
その次に行ったのはいつもの九州にお客さんをたくさん持つ、青木君の運転手で回ったことです。九州商友会のメンバーを回りました。泊まりはいつも嬉野温泉にホテルをとってくれていました。お客さんを回り終ると夜の接待があり、今はどこで何を食べたか忘れましたがカラオケには行きましたね。そのお客さんたちは非常になれておられて、スナックだったと思いますがうまい歌を聞かせていただきました。僕らも負けずに歌いましたが、青木君はすこし恥ずかしがりやで困りました。接待は終るとホテルに帰り、ホテルの前の大浴場に行きました。楽しいことがたくさんありましたが、人が少ない時期に行くので楽しみも半減してしまいます。
その次は別の会社で九州一周出張販売の時でした。高知のお客さんに紹介されて商売が始まりました。初めは景気のいい感じでしたが、作業服中心なのでなかなか商売は難しかったです。しかしそこの社長やバイヤーさんはとても感じは良かったです。一回九州道が事故渋滞になって 4:00のアポイントを 7:00に変えていただいた時も嫌な顔をせず、7:00からの商談を待っていてくれました。その時はもう駄目かなと思いましたが、に事情説明したら変更していただきました。
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