鏡の国のアリス:短評

鏡の国のアリスの本を読みながら短評をする

劇の(虚構の)現実からは日常的現実が見えない:アリスの立場(GLASS1-3)

2011-02-13 19:46:39 | Weblog

 アリスは黒い子猫に話しかけ続ける。そして子猫に言う。「誰かのつもりごっこしよう! Let's pretend! 」と。これはアリスが好きな遊び、そして口癖。数日前もアリスは姉とこんなやり取りをした。「王様たち・女王様たちごっこをしよう!」とアリス。ところが正確さを好む姉が反論した。「自分たちは2人しかいないからそれより多い人のつもりごっこはできない!」と。

 PS1:アリスと姉とどちらが正しいのか?姉にとって現実はひとつ、この日常的現実だけである。劇の1つの場面は日常的現実に属し、そこに2人の登場人物がいる。とすれば同じく日常的現実に属す2人の役者が必要。姉はそのように想定。
 
 PS2:ところがアリスは劇の現実を虚構の現実と考え、日常的現実と区別する。劇の現実の登場人物と、日常的現実の役者は、別々の現実に属する。
 つまり劇の(虚構の)現実からは日常的現実が見えない。
 劇の現実に多数の人が登場する。日常的現実に属す役者2人は次々と、別の現実、つまり劇の現実の様々の登場人物を演じることができる。なぜなら劇の現実からは日常的現実に属す役者2人の動きは何も見えないから。

 PS3:ただし劇の現実はラジオドラマ(or映画)の現実と異なる。劇の現実は確かに日常的現実と異なる虚構の別の現実とは言え、日常的現実の制約を受ける。ラジオドラマ(or映画)の現実のように役者2人で自由に多数の人を演じることはできない。
 劇の現実の1つの場面は2人の登場人物に2人の役者を必要とする。(これは姉の言う通り。)
 劇の現実は日常的現実の制約を受けるから、姉が言うように1つの場面は2人の役者では2人の登場人物しか臨場できない。
 劇の1つの場面で2人の役者が多数の登場人物を演じるには、2人の登場人物が臨場しているとき他の者は全員隠れていなければならない。
 
 PS4:劇の現実が、日常的現実の制約を受けていても、場面が多数なら2人の役者で多くの人を演じることができる。(これはアリスの言う通り。)


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