鏡の国のアリス:短評

鏡の国のアリスの本を読みながら短評をする

「不思議の国」では人間が、人間身体を持つこともあれば、動物身体を持つこともある (WONDERLAND1‐1)

2013-03-09 15:10:37 | Weblog

 アリスはすっかり飽きてくる。土手の上で、姉と並んで座っているが、何もすることがない。一、二度、姉が読む本を覗くが、絵も会話もない。「そんな本が何の役に立つの?絵も会話もないなんて!」とアリスが思う。
 そこでアリスは、自分の頭のなかで考える。(ただし考えるには、出来る限りの努力が必要。なぜなら、とても暑い日でアリスは眠いし、ボーっとなっていたから。)デイジーの花輪を作れば楽しいから、立ち上がって、デイジーを摘むだけの手間をかけてもいいかなと考える。その時、突然、ピンクの目をした白兎が、アリスのそばを走り過ぎる。

 ◎コメント1:物語の最後になれば、アリスの「不思議の国」での冒険が、すべて夢だったと分かる。では、夢の始まりは一体いつか?「白兎が、アリスのそばを走り過ぎる」ことは、まだ夢=「不思議の国」の現実に、属さない。それは、日常的現実に属す。だから次のように続く。

 「白兎が現れたって、別に特別なことではないわ」と、アリスは思う。

 ◎コメント2:しかし日常的現実は、ここまでで、終わる。突然、アリスは「不思議の国」の現実(=夢)へと跳躍(leap)する。(※跳躍 leap の概念については、Alfred Schütz 1899-1959 参照。) かくて次のように続く。

 兎が、独り言を言うのを聞いても、アリスは変だと思わない。兎は「大変だ!大変だ!遅刻してしまう!」とつぶやく。

 ◎コメント3:日常的現実では、兎が話したら、変だと思う。ところがアリスは、変だと思わない。つまり、彼女はすでに「不思議の国」の現実(=夢)のうちに居る。かくて著者キャロルが注をつける。

 アリスが、後になって(=夢から醒めて)考えてみれば、「兎がものを言う」ことを、変と思うはずだったのに、その時は、彼女には、すべてが全く自然に思えたのでした。

 ◎コメント4:「不思議の国」が、なぜ不思議かといえば、日常的現実と異なり、そこでは兎がしゃべるからである。アリスが兎と会話する。(ただし兎は、英語をしゃべる。)

 ◎「不思議の国」が不思議な理由(1):日常的現実と異なり、兎がしゃべる。「兎がしゃべる」、一般に、「動物がしゃべる」とは、どういうことか。人間であるとは、相互にコミュニケーション可能な存在者であると定義できる。とすれば、アリスと兎がしゃべるとは、アリスと兎、一般に動物は、相互に人間であるということである。かくて「不思議の国」には、兎、一般に動物という外見的身体をもった人間が多数、存在する。「不思議の国」とは、確かに、人間と動物がしゃべる世界であるが、これは言い換えれば、外見的身体が多様な、つまり人間身体、あるいは動物身体をもつ人間たちからなる世界ということである。日常的現実では、人間は人間身体しか持たないが、「不思議の国」では、人間が、人間身体を持つこともあれば、動物身体を持つこともある。これが、「不思議の国」が不思議な理由(1)である。

 ◎なお、「WONDERLAND 1-1」は、「Lewis Carroll, ALICE’S ADVENTURES IN WONDERLAND, 1 DOWN THE RABBIT HOLEに関する項目1」の意味である。以下の項目でも、同様。

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