鏡の国のアリス:短評

鏡の国のアリスの本を読みながら短評をする

鏡の国のすべてのものは、鏡から見える側が日常世界を反映するように、常に変化し続ける(GLASS1-12)

2011-04-26 07:37:21 | Weblog
 鏡の国に入り込んだアリスが周りを見回す。鏡の外から見えた側は、今までと同じでありふれている。しかし鏡の外から見えなかった部分が全く奇妙で異なる。例えば、鏡のすぐ横にあって鏡に映っていなかった絵は鏡の国で見ると実は生きているようだった。鏡には裏側しか映っていなかった鏡の前の置時計は、鏡の国で表側を見ると小さな老人の顔があってにやりと笑っていた。

 PS1:鏡に映っているものは、必ずその後ろ側が見えない。もしその後ろ側が見たかったら、鏡のこちら側の物、例えば置時計を回せばよい。日常世界の住人は当然そう思う。すると見えなかった置時計の表側が鏡に映る。だが考えてみよう。置時計を回して鏡に置時計の表側を映したとしても、そこに老人の顔はない。 日常世界に住む者はさっき映っていた置時計の裏側と、今映っている置時計の表側とを合成して、日常世界にあるのと同じ置時計が鏡の国にあると思う。
 
 PS2:しかし鏡の国は鏡像ではない。置時計を回して鏡に置時計の表側を映したとしても、そしてそこに老人の顔がないことを確認したとしても、映っているものの後ろ側が見えないことに変わりはない。そこに老人の顔があるかもしれない。

 PS3:アリスの証言から推理するなら、鏡の国の、鏡から見えない裏側は常に変化し続けるのである。老人の顔はいつも鏡から見えない側に移動していく。

 PS4:鏡の国は二つの領域に2分される。鏡から見える側と見えない側。鏡から見えない側は日常世界に住むものにとって永遠の謎である。
 
 PS5:鏡から見えない側を見たい者は、鏡の国に入り込まなければならない。
 鏡の国のすべてのものは、常に変化し続ける。つまり鏡から見える側は日常世界を反映するように常に変化し続ける。
 鏡の国はいつも日常世界の住人を騙し続ける。鏡の国が日常世界を映していると思い込ませる。
 
 PS6:鏡の国は日常世界ではない。鏡から見えない側には、巨大な決して日常世界から知りえない鏡の国の世界が存在する。
 鏡の国を覗いたとき、日常世界の住人には、鏡から見えない裏側が永遠に不可知である。

アリスは鏡像として映っているのでなく、現実のアリスとして鏡(の国)の中に存在する(GLASS1-11)

2011-04-17 20:57:59 | Weblog
 アリスが言う。「私が鏡の向こうのここ、内部にいるのをみんなが見ても、私のところまで来れないとしたら、何て愉快かしら!」と。

 PS1:アリスの発言の原文は次の通り。Oh, what fun it'll be when they see me through the glass in here and can't get at me. ここで注意すべきは、この文章は“アリスが鏡を通り抜けるのを見た”場合と言っているのではないことである。“アリスが鏡の向こうのここ内部にいるを見た”場合と言っているのだ。
 日常の現実の中に生きる人は鏡像しか知らない。「鏡像」とは別に「鏡の国」があることを知らない。
 とすれば鏡像の内部に、映るはずのないアリスがいたら、仰天するに決まっている。
 しかも日常の現実では鏡像の中に入ることができない。鏡の国の中にいるアリスのところまでは絶対に来れない。だから「何て愉快かしら!」とアリスは思うのだ。
 
 PS2:日常の現実の中に生きる人はアリスが鏡像の中にいると思う。
 しかしアリスは鏡像の中にいるのでなく鏡の国の現実の中にいる。鏡像は視覚にしか存在しない。鏡像は味覚、嗅覚、触覚、聴覚について何も語らない。これに対し鏡の国は五感に開かれている。(GLASS1-9,10参照)
 日常の現実に生きる者は、鏡の国の現実が存在することを理解できない。
 アリスがいるのは「鏡像」の中でなく、「鏡の国」の中である。アリスは鏡像として映っているのでなく、現実のアリスとして鏡(の国)の中に存在する。



“火→煙”の因果連関が鏡の国でも生起する&鏡像と鏡の国は異なる(GLASS1-10)

2011-04-03 22:59:05 | Weblog
 「鏡の国の家 Looking-glass House に行けたらすばらしいわ、キティ!」とアリスが黒い子猫に言う。やがて彼女は気づく。「まあ、鏡が霧みたいになってるわ!」と。確かに鏡がまぶしい銀色の霧のように溶け始めていた。次の瞬間、彼女が鏡を通り抜けた。
 アリスが最初に確認したのは暖炉に火が燃えているかだった。火が現実の暖炉のように燃えていて彼女が喜ぶ。

 PS1:“火→煙”の因果連関が日常的現実で生起するように、鏡の国の現実でも生起していた。鏡の国なので“火のない所に煙が立つ”ことはなかった。アリスの心配は杞憂だった。(GLASS1-8参照)
     

 アリスがさらに言う。「前の(日常的現実の)部屋にいるときと同じように、ここ鏡の部屋でも火が暖かいわ!」と。

 PS2:前節で述べたように鏡は味覚、嗅覚、触覚、聴覚について何も語らない。鏡像は鏡の国ではない。今、アリスが鏡の国に来た。彼女は暖かさという触覚的特性が鏡の国でも日常的現実と同様であることを確認し喜ぶ。(なお味覚、嗅覚、聴覚的特性も鏡の国と日常的現実と同様だとやがて分かる。)