鏡の国のアリス:短評

鏡の国のアリスの本を読みながら短評をする

森の中で馬が鮫にかまれる:可能性はゼロでない(GLASS8-11)

2010-01-31 21:52:52 | Weblog
 「あらゆる出来事に備えをしておくのが良いのだ。その理由から私の馬は脚に足輪をつけている。」こう白の騎士が言う。

 PS1:あらゆる出来事とは本当に驚くほどあらゆる出来事である。以下、アリスと騎士との会話を聴いてみよう。

 「でもそれらの足輪は何のためなんですか?」とアリスが好奇心にかられて質問する。騎士が答える。「鮫にかまれないためだ!」と。

 PS2:ここは森の中である。普通、鮫はいない。しかしあらゆる出来事とは少しでも可能性がある出来事である。例えば生きた鮫が森の中まで運ばれてきてその時、その鮫にかまれることがないとはいえない。あるいは馬に乗って海まではるばる行くこともあるかもしれない。馬と鮫がともに現実世界に属する限り両者が出会い、馬が鮫にかまれる可能性はゼロでない。だが馬が現実世界に属すが、鮫が夢世界など異なる現実に属すなら両者が出会う可能性は皆無である。夢世界の鮫に現実世界の馬が噛まれることはない。

想像世界の馬と現実世界のネズミ:出会う可能性ゼロ(GLASS8-10)

2010-01-24 18:53:26 | Weblog
 馬の鞍にくくりつけられたネズミ捕りについてアリスが「何のためにそこにネズミ捕りがあるのかしら」と言う。そして付け加える。「馬の背中にネズミがいるなんてこと全くありそうもないわ not very likely 」と。
 「おそらく、全くありそうもない not very likely だろう」と白の騎士が言い「しかし万一ネズミどもが現れたら、そいつらを走り回らせたくないのだ」と続ける。

 PS1:ここでは「可能性」がテーマとなっている。馬の背中にネズミがいる可能性はきわめて低い(全くありそうもない not very likely )が、ゼロではない。ネズミが属する現実世界(ここでは「鏡の国」)に馬も属する限り、馬の背中にネズミがいる可能性がある。
 しかし馬が想像世界に属し、ネズミが現実世界に属するなら、両世界は出会うことがない。この場合、馬の背中にネズミがいる可能性はゼロである。
 かくて可能性がゼロでないので、白の騎士は「万一ネズミどもが現れた」ときを心配し馬の鞍にネズミ捕りをくりつけたのである。

 PS2:白の騎士はただ心配性だからネズミ捕りを準備したのではない。論理的にネズミ捕りが必要なのである。


ネズミ捕りの問題:①“巣箱に蜂が来ない”問題、②“ネズミが捕まらない”問題(GLASS8-9)

2010-01-19 23:01:49 | Weblog
 白の騎士は役に立たない箱を捨てようとしたが、何か新しい考えが浮かんだらしく、それを注意深く樹に逆さにつるした。彼が「なぜこうしたか分かるか?」とアリスに言う。彼女が首を横に振る。「蜂が箱の中に巣を作ってくれることを望む。そうすれば蜂蜜が手にはいる」と騎士が説明。

 PS1:ここまでの騎士の行動とその説明は合理的である。ところがアリスが別の事実を発見し疑問を持つ。

 「でも、すでにもうミツバチの巣箱をあなたは持っていて、それを鞍にくくりつけてる!」とアリスが言う。騎士が「そうだ、これはとてもよいミツバチの巣箱だ、最上だ!」と答える。だが、どこか不満そうである。

 PS2:アリスの疑問は当然である。蜂蜜を手に入れるため、すでにミツバチの巣箱があるのなら、さらにもう一つ巣箱を用意する必要はない。とすれば別の理由があるはずである。騎士がどこか不満そうなのが、それを示唆する。

 「蜂が一匹もまだ来ない」と騎士が言う。

 PS3:確かにこれは騎士には不満だろう。最上の巣箱に蜂が一匹も来ないのだから。ところが騎士にはミツバチの巣箱の問題のほかに、もう一つ別の問題がある。

 「もうひとつはネズミ捕りだ。思うにネズミが蜂を来させないのだ」と騎士が言う。

 PS4:騎士がここで言いたいのは何か?ネズミが蜂を来させないので馬の鞍にネズミ捕りをつるしネズミを捕まえようとした。ところがネズミはつかまらない、だから蜂が来ないと騎士は述べる。これがネズミ捕りの問題①(ネズミが捕まらない→巣箱に蜂が来ない)である。「ネズミが蜂を来させない」という命題を前提すれば騎士の推論とそれにもとづく行為は妥当である。

 「あるいは思うに蜂がネズミを来させない」と騎士が言う。

 PS5:ここでの騎士は、蜂がいるからネズミが来ない、そのためネズミ捕りにネズミが捕まらないと推論する。これがネズミ捕りの問題②(蜂がいるからネズミが来ない→ネズミが捕まらない)である。「蜂がネズミを来させない」という命題を前提すれば騎士の推論は妥当である。

 PS6:ネズミ捕りの問題は①“巣箱に蜂が来ない”問題、及び②“ネズミが捕まらない”問題と二重である。問題が二重になるのは前提となる命題が異なるからである。命題①「ネズミが蜂を来させない」を前提すれば問題①が発生する。命題②「蜂がネズミを来させない」を前提すれば問題②が発生する。

“事実”において「中身を入れる」or“意味”において「中身を入れる」(GLASS8-8)

2010-01-11 22:26:32 | Weblog
 騎士の肩に逆さまにくくりつけられた箱について「蓋が開いているわ」とアリスに教えられた騎士が言う。「中身がみな落ちてしまう!中身がなくては箱は役に立たない!」と。そして彼は箱を解き放ち捨てようとする。

 PS1:箱を逆さまにしなければ中身はなくならない。肩に箱を逆さまにでなく蓋が上になるよう普通に括り付ければ中身がなくなることはない。箱は「役に立つ」。では、なぜ騎士は箱を「役に立たない」と捨てるのか。
 
 PS2:箱とは「中身を入れる」ものである。この場合気をつけよう。「中身を入れる」のは可能性でも現実性でも構わない。時間的には過去・現在・未来いずれでも構わない。つまり箱は“意味”において中身を入れるものと定義されるのであって、“事実”において中身があるかどうかを問わない。
 
 PS3:ところが騎士は“事実”と“意味”を混同する。彼は箱が逆さまで“事実”において「中身を入れる」ことができないと、それは箱が“意味”において「中身を入れる」ことができない、つまり箱でなくなると考える。だから彼は箱がもはや(意味的に)箱でないから「役に立たない」と捨てるのである。

事態Aが事態Bを“意味的に含むこと”は両事態が“意味的に同一であること”ではない(GLASS8-7)

2010-01-11 20:27:31 | Weblog
 騎士の肩にくくりつけられた箱は逆さまで蓋が垂れ下がり開いている。騎士が言う、「私は箱を逆さまにしておく。そうすれば雨が中に入らないからだ」と。

 PS1:騎士の言明に誤りはない。「箱が逆さまである」という事態Aは「雨が中に入らない」という事態Bを意味的に含む。騎士はしかし事態Aが事態Bを“意味的に含むこと”を、事態Aが事態Bと“意味的に同一であること”と混同している。彼は「箱が逆さまである」ことは「雨が箱の中に入らない」ことと同一と考えている。
 彼はこの混同をアリスに指摘されていらだつことになる。先に進もう。

 「でも中のものが落ちてしまう」とアリスは批評し「蓋が開いているわ」と教える。「蓋が開いているとは知らなかった」と騎士がいらだって言う。

 PS2:「箱が逆さまである」という事態Aは「雨が中に入らない」という事態Bを“意味的に含む”。しかし両事態が“意味的に同一”なのではない。事態Aは、「箱の蓋が開く」という事態Cをも“意味的に含む”のである。


“箱一般”は存在しない、“個物としての箱”のみが存在する(GLASS8-6 )

2010-01-10 20:47:42 | Weblog
 勝利した白の騎士がかぶとを脱ぐのをアリスが手伝う。かぶとが余りにきつかったためである。アリスがあらためて騎士を観察する。彼はこれまでアリスが見たことがないほど奇妙だった。
 ①騎士は錫の鎧を着ていて、しかも体に全く合っていない。

 PS1:錫のよろいは玩具の錫の兵隊が着るもので現実の騎士は着ない。「鏡の国」は現実でないから錫の鎧を着るかもしれないがアリスには奇妙である。なお錫の兵隊 tin soldier はヴィクトリア朝の男の子には馴染みであった。アンデルセンの作品にこれを取り上げた『しっかり者のスズの兵隊』(1838年刊)がある。

 ②騎士の肩にモミ材でできた箱がくくりつけられ、それは逆さまで蓋が垂れ下がり開いている。とても変だとアリスが箱を見つめる。「私の小箱にお前は感心しているんだな」と騎士は上機嫌。「私の発明である。衣服とサンドイッチを入れる」と彼が説明する。

 PS2:アリスは箱が逆さまで蓋が垂れ下がり開いているため変だと思う。騎士はこの時点では蓋が垂れ下がり開いていることをまだ知らない。だからアリスが見つめるのは感心しているためと思う。これはありうることである。

 PS3:奇妙なのはただの箱を彼が「私の発明」と言ったことである。その理由は何か?
 それは彼が“箱一般”なるものを理解しないからである。彼にとって理解可能なのは“個物としての箱”のみである。彼にとって存在するのは個物のみである。“個物としての箱”は白の騎士が作り存在させることにしたのだから彼の「発明」である。
 彼が“箱一般”を理解するなら、“箱一般”はすでに「発明」され知られている。彼が作った箱はすでに「発明」された“箱一般”に属し、「私の発明」ではない。

赤の騎士・白の騎士が並んで落馬:自分の落馬は自分の敗北or相手の落馬は自分の勝利(GLASS8-5)

2010-01-03 09:20:43 | Weblog
 今度はアリスの前に白の騎士が現れる。彼はアリスの側に来て落馬する。再び白の騎士は騎乗し赤の騎士と睨み合う。赤の騎士が「アリスは私の捕虜だ!」と言う。白の騎士が「私は彼女を助けに来た!」と応じる。
 戦闘規則 the Rules of Battle にしたがって二人が戦う。アリスは樹の後ろから戦いを眺め「戦闘規則って何かしら?」と自問する。

 PS1:アリスはいつも通り好奇心が旺盛である。

 「第1規則は棍棒を撃ち相手を落馬させるか、それに失敗したら自分が落馬すること」
 「第2規則は棍棒をパンチ&ジュディのように持つこと」とアリスは命題化する。

 PS2:第1規則は“棍棒を撃つ”の後に起こる出来事の完全な二分法。相手の落馬か自分の落馬。
 
 PS3:第2規則にある“パンチ&ジュディ”は19世紀、ヴィクトリア朝時代に広く流行した人形劇。海辺で開かれる。小さな箱をセットしそれが小さな劇場になる。手にはめた人形を舞台の裏から出し操る。例えばパンチは赤ちゃんのお守りを妻のジュディに頼まれるが、からきし世話ができない。あるいはパイの取り合い。それでパンチとジュディは棍棒でたたき合いの大ケンカ。他に警官、お化け、道化師、クロコダイルなどが登場。パンチは赤ちゃんを蹴飛ばし警官を殴りクロコダイルに噛まれ無茶苦茶! 第2規則は『鏡の国のアリス』(1871)が書かれた時代を証明する。

 アリスが気づかなかったがキャロルが言うには「第3規則は落馬の際は頭から真っ逆さまに落ちること」である。
 さて戦闘は両騎士が並んで落ちたとき終わった。

 PS4:棍棒の振り方の第2規則、落馬の仕方の第3規則はいわば補則である。落馬か否かは第1規則にのみ従う。
 第1規則にのみもとづくと両騎士が並んで落ちるのはどのようなケースか?
 両騎士が“棍棒を撃つ”のが時間的に異なればこの第1規則からして相手の落馬か自分の落馬の二者択一であって二人が同時に落ちることはない。
 両騎士が同時に“棍棒を撃つ”場合はどうか?
 第1規則によれば①白騎士が相手の落馬に成功すれば自分は落ちない。①-2白騎士が相手の落馬に失敗すれば自分が落ちる。
 ②赤騎士が相手の落馬に成功すれば自分は落ちない。②-2赤騎士が相手の落馬に失敗すれば自分が落ちる。
 同時に“棍棒を撃つ”場合、命題①と命題②は両立不能であり矛盾する。命題①と命題②-2は両立可能、また命題①-2と命題②も両立可能、しかしこれらの場合、白騎士と赤騎士が並んで落ちることはない。命題①-2と命題②-2は両立可能でかつ二人が同時に落ちる。
 かくて第1規則にのみ従う時、両騎士が並んで落ちるのは、両騎士が同時に“棍棒を撃つ”場合で、しかも、ともに相手の落馬に失敗し自分が落馬した場合である。

 二人が並んで落ちたとき、戦いが終わる。二人は握手し赤の騎士が立ち去る。

 PS5:赤の騎士はなぜ立ち去ったのか?戦闘規則の中に勝敗の規則はない。赤の騎士は自分が落馬したので自分の敗北と考えた。アリスを捕虜にせず彼は立ち去る。(白の騎士も落馬したのだから、赤の騎士は自分の勝利と考えることもできたはずである。)

 白の騎士があえぎながら「栄光的な勝利だったではないかね?」と言う。アリスが「そうかしら?よくわからない!」と疑わしそうに答える。

 PS6:アリスは賢い。白の騎士は相手が落馬したので自分の勝利と考えた。(しかし白の騎士も落馬しているのだから、自分の敗北と考えてもよい。)
 
 PS7:“赤の騎士の落馬かつ白の騎士の落馬”という同一の事態を、赤の騎士は自分の敗北(相手の勝利)と解釈し、白の騎士は相手の敗北(自分の勝利)と解釈した。解釈は逆なのに結果が幸運にも一致して戦いは終わった。
 しかし事態を赤の騎士が相手の敗北(自分の勝利)と考えたら戦いは終わらなかった。