鏡の国のアリス:短評

鏡の国のアリスの本を読みながら短評をする

広間はドアばかり&主観的連想的連関の実現としての客観的事実&不安定で予測不能 !

2014-03-21 19:35:14 | Weblog
 広間は周り中、ドアだらけ。でも全部のドアに鍵がかかっている。アリスは、全部のドアを調べたが、どれもダメ。「一体どうしたらもう一度、外に出られるのかしら」と思う。
 突然、彼女は、3本脚の小さなテーブルを発見。全部がガラス製。その上に、小さな金色の鍵だけ置かれている。アリスがすぐ思ったのは、その鍵は、広間のたくさんのドアのどれかのものだということ。
 しかし、何ということでしょう!ドアの鍵穴はすべて大きい、つまりその鍵は小さすぎる。
 ところが、アリスがもう一度広間をまわって調べると、前回、見過ごした低く垂れたカーテンに気づく。その後ろに15インチくらいの小さなドアがある。彼女が小さな金色の鍵を、鍵穴に入れると、うれしいことにぴったり合った。
 
 ◎「不思議の国」が不思議な理由(11):そもそも兎穴の地下に広間があるのが不思議。それは別の宇宙の出来事だからそれ以上、問うことができない。だがどうしてその広間は周り中、ドアばかりなのか?
(1)そもそも、なぜ閉まったドアばかりなのか? つまり外が見えるような窓が、なぜないのか。
(2)ドアがたくさんあるのはなぜなのか?
(2)-1ターミナルのように、その広間から多くの通路が伸びているのか?
(2)-2広間の外は広い戸外で、どのドアからも同じ戸外に出られるのか?
(2)-3あるいは各々のドアの外には、別の異なる宇宙が広がるのか?
(2)-4単純に各々のドアの向こうには、それぞれ別の部屋があるのか?
(2)-5以上1,2,3,4の組み合わせで、各々のドアの外には通路、戸外、異なる宇宙、別の部屋のいずれかがあるのか?

 ◎「不思議の国」が不思議な理由(12):広間には大きなドアがたくさんあるが、どれも鍵がかかっていて外に出られない。アリスは広間に閉じ込められている。そこに鍵が発見される。鍵がかかったドア、そして鍵という組み合わせ。不思議に都合よい組み合わせである。この場合、不思議なのは、主観的な「連想」の連関が、事実的出来事として客観的に実現されるからである。
 「不思議の国」では、客観的事実的な出来事のあり方が、主観的な連想的連関の実現としてある点で、不思議である。

 ◎「不思議の国」が不思議な理由(13):主観的な連想的連関が実現されると思わせて、再び、客観的事実が、主観的連想を裏切る。
 《鍵がかかったドア、そして鍵、》という主観的連関が、客観的事実として実現されるが、今度は《ドアの鍵穴はすべて大きい、しかしその鍵は小さすぎる》という新たな事実によって、(主観的)連関の(客観的)実現が中断される。つまり《鍵がかかったドア、そして鍵》、それゆえ《ドアが開く》という主観的連関が、客観的事実として成就しない。
 「不思議の国」が不思議なのは、主観的連関が、一方で客観的事実として実現されるからであるが(これ自身不思議!上述(12))、他方で主観的連関の客観的実現が、突然中断するためでもある。つまり「不思議の国」の構造(=「主観的連関が、客観的事実として実現される」)が、不安定で予測不能なため、「不思議の国」は、再び新たに、不思議である。
 

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