鏡の国のアリス:短評

鏡の国のアリスの本を読みながら短評をする

ハイセキカンantipathiesとタイセキテンantipodes(WONDERLAND1‐14)

2013-08-31 23:55:30 | Weblog
 地球を突き抜けたら、「そこはハイセキカン(排斥感)antipathiesだわ!」とアリス。この時、彼女は誰も聞いてなくてよかった思った。なぜなら自分が正しい語を言ったように聞こえなかったから。

 ◎言葉遊び(1):本来、アリスは「タイセキテン(対蹠点)antipodes」と言うべきだった。地球の反対側に突き抜けるのだから。それを「ハイセキカン」(排斥感=大嫌い)と言ったのだから、「自分が正しい語を言ったように聞こえなかった」とのアリスの感想は的確。著者キャロルが、似た発音の言葉をさがす言葉遊びをしている。

状況一般化の論理は、事実の領域を超え、空想領域に入り込む(WONDERLAND1‐13)

2013-08-25 19:01:58 | Weblog
 アリスの独り言が続く。彼女は兎穴を落ち続け、ついに地球を突き抜けると思う。「頭を下にして歩く人々の間に、私が飛び出ることになったら、どんなにおかしいかしら!」とアリスが言う。

 ◎アリスの考え方・感じ方(7):ここで、アリスは、状況一般化の論理と、科学の論理を混交する。一方で、彼女は、状況の一般化の論理に従って、「地球を突き抜ける」と思う。これは科学の論理でない。科学の論理によれば、彼女の落下は「地球の中心に着き」終了する。
 ところで地球の反対側で、人々が「頭を下にして歩く」のは、科学の論理にもとづく推論である。
 さて、科学の論理によれば、アリスの落下は、「地球の中心に着き」終了し、彼女が「地球を突き抜ける」ことはない。したがって「頭を下にして歩く人々の間に、私が飛び出る」ことはない。
 ではどうしてアリスはこのように発言したか?彼女は、状況一般化の論理と科学の論理を混交したのである。
 アリスは一方で、科学の論理にもとづき、地球の反対側で、人々が「頭を下にして歩く」と思う。同時に他方で状況一般化の論理にもとづき、「地球を突き抜け」て、「頭を下にして歩く人々の間に、私が飛び出る」と思う。状況一般化の論理と科学の論理の混交!
 「頭を下にして歩く人々の間に、私が飛び出ることになったら、どんなにおかしいかしら!」とアリスが言うが、出来事は、科学の論理あるいは事実の論理に従うから、このアリスが想定した出来事は、事実として生じない。彼女が言う通り、そうなったら、確かに「おかしい!」
 科学の論理は、事実の論理である。状況一般化の論理は、部分的に事実の論理(=科学の論理)と同一だが、途中から事実の領域を超え、空想領域に入り込む。

落下が地球を「突き抜ける」か「中心で終わる」か?:状況一般化の論理と科学の論理(WONDERLAND1‐12)

2013-08-18 10:54:36 | Weblog
 兎穴を落ちながら、アリスが今また、独り言を始める。「私は地球を突き抜けてしまうんじゃないかしら!」と。

 ◎アリスの考え方・感じ方(6):一方で、アリスは確かに「地球の中心に着きそうだ」と言った(WONDERLAND1‐9)。この観点からすれば。落下は、地球の中心に向ってであり、中心で終了する。落下が、その向こう側に突き抜けることはあり得ない。ところが他方で、アリスは今、「地球を突き抜けて落ち続けるんじゃないかしら」と思う。彼女は、矛盾する。
 なぜだろうか?アリスは、自分が今、「落ち続ける」状況にあると知っている。そして「落ち続ける」とは、「落ちるのが止まらないこと」である。落下は、落下を遮るものがない限り、終わらない。彼女の今の状況が変わらない限り、「地球を突き抜けて落ち続ける」との推論は可能である。
 しかし他方で、科学の知見によれば、「落下は地球の中心で終わる」。アリスは、これを知っている。だから、アリスは、落下し続ける自分が「地球の中心に着きそうだ」と言った。
 アリスの発言は矛盾する。つまり、彼女の中に二つの論理がある。彼女の推論は、一方で現在の状況の一般化の論理にもとづく:「地球を突き抜けて落ち続ける」。彼女は、他方で科学の論理にもとづく:「地球の中心に着きそうだ」。