鏡の国のアリス:短評

鏡の国のアリスの本を読みながら短評をする

鏡の国では事態が逆である:騎士は乗馬が下手!(GLASS8-4)

2009-12-30 21:33:31 | Weblog

 アリスの前に突然、赤の騎士が現れる。彼は「お前は私の捕虜だ!」と叫びながら馬から落ちる。  

 PS1:鏡の国の騎士は乗馬が下手ですぐ落馬する。  

 アリスは驚いたが、それは(捕虜になるかもしれない)自分に関してでなく(落馬するほど乗馬が下手な)騎士に関してだった。心配しながら彼女は再び馬に乗る騎士を見つめる。  

 PS2:鏡の国では鏡像のように事態が逆である。騎士は乗馬が下手である。囚人は罰せられた後、犯罪をおかす(GLASS5)。ケーキは配られてから切り分けられる(GLASS7)。

イラスト: 騎士たちの決闘


夢見る赤の王様は現実と夢を連続させる装置(メビウスの輪)である(GLASS8-3)

2009-12-29 13:19:44 | Weblog
 「私たちがみな同じ夢の一部分」だとしたら、丸皿の上の鏡の国のケーキの出来事は現実ではなくまたしても夢だと先程アリスは言った。続けて彼女がさらに言う。「それにしたってこれが赤の王様の夢ではなくて、私の夢ならそれでもいいわ!他人の夢の中のものになるなんて、いやだもの!」と。

 PS1:アリスの発言を理解するには、鏡の国の現実は実は、すべて赤の王様の夢の中の出来事にすぎないとの“GLASS4”での指摘を思い起こす必要がある。アリスはこの現実が夢に過ぎないとしても、自分の夢、あるいは自分を含むみんなの共同の夢なら、納得がいくと考える。他人である赤の王様の夢の中のものでは嫌だと言う。

 PS2:ただし、ここには別の問題がある。赤の王様は鏡の国にいて寝ている。アリスはそれを発見した。その赤の王様もアリスも彼の夢である鏡の国の中にいる。
 アリスが赤の王様の夢の中にいることは想定しうる。しかし夢を見ている赤の王様が彼の夢のなかにいると想定できるのか?夢を見る赤の王様は、夢の外にいて夢を見ているのではないのか。 
 キャロルの想定、夢を見る者が同時に彼の夢の中の存在であるという想定は可能なのか?メビウスの輪の表と裏のように、鏡の国の現実と夢見られている夢(鏡の国)は連続しているのか?
 赤の王様はメビウスの輪に相当する一つの装置なのかもしれない。
 好奇心が強いアリスは試してみようと思って、次のように言う。

 「これは何としたって赤の王様のところに行って彼を目覚めさせてみたいわ!そして何が起きるか見てみたいわ!」

 PS3:赤の王様が目覚めた瞬間、おそらく鏡の国は消え去りアリスは居間の暖炉上の鏡を覗き込む自分自身を見出すだろう。

私たちは夢の中で夢を見る(GLASS8-2)

2009-12-29 11:32:27 | Weblog
 夢の中のものにすぎないと思った丸皿が、現実にすぐ足元にあるのを彼女は発見し、丸皿の上の鏡の国のケーキの出来事が「夢じゃなかったんだ!」と彼女は思う。ところがこの後、アリスが続ける。「もしかして・・・・もしかして、私たちがみな同じ夢の一部分だとしたら別だけど」と。

 PS:このアリスの発言は何を意味するか?日常的現実が夢だとしたら「夢じゃなかったんだ!」と思ったその丸皿が、実は現実に属さない。それは、最初の夢の世界に属さないが、しかし再び別の夢の世界に属する。私たちは夢の中で夢を見る。
 そもそも、日常的現実が夢でないと証明できるのか?「私たちがみな同じ夢」を見ているとしたら、この現実が実は確かに夢である。現実を、現実と呼ばず夢と呼んで変ではない。よく知られているように死の到来が誰にでも予測されるから、人が生きる現実が夢かもしれない。

「今、存在しないもの」は現実か夢か?:その地平が今の現実にまで延びているか?(GLASS8-1)

2009-12-26 23:33:27 | Weblog
 無数のドラムが激しく鳴り響きアリスは耳がガーンとなる。彼女には周りを見ている余裕などない。耳を手で覆っても何の効果もない。しかしドラムがやがて鳴り止む。あたりは死んだように静かになる。気づけばライオンもユニコーンも使者ヘイアも白の王様もいない。自分は夢を見ていたんだとアリスは最初、思う。ところがアリスが切り分けようとして苦労したケーキがのっていた丸皿がすぐ足元にあるのを彼女は発見する。「それじゃ夢じゃなかったんだ!」とアリスは独り言を言う。

 PS1:夢と現実は連続しないことがアリスの推論の前提である。丸皿が現実であるから丸皿と同じ場面(=地平)にいたライオンたちも現実とされる。言い換えれば丸皿が現実であるときはライオンたちは夢になることが出来ない。夢は現実と連続しない。夢が同時に現実であることはできない。
 
 PS2:「今、存在しないライオンたち」の方から見れば、それらが夢なのか現実かの区別は、それらの属する場面(=地平)が現実にまで延長しているかどうかだけにかかっている。つまり、「今、存在しないライオンたち」の地平(=場面)に属する丸皿が、この今の現実のうちにまで延びていることによって「今、存在しないライオンたち」はこの日常的現実に属することとなる。
 「今、存在しないもの」が現実なのか夢なのかは、その「今、存在しないもの」の地平(=場面)が今のこの現実にまで延びているかどうかだけにかかっている。
 「今、存在しないもの」の地平(=場面)が今のこの現実にまで延びていないときは、その「今、存在しないもの」は夢となる。
 
(「GLASS8-1」は、「Lewis Carroll, THROUGH THE LOOKING GLASS, 8 It's My Own Invention に関するコメント1」の意味である。以下の項目でも、同様。)

鏡の国のケーキは時間的にあべこべだがフィルムの逆回しとは異なる!(GLASS7-17)

2009-12-19 23:25:46 | Weblog

 「あの化け物の奴、ケーキを切るのに何を手間どっているんだ!」とライオンが言う。アリスは丸皿の上のケーキを切り分けている。(アリスは“化け物”と呼ばれるのにすっかりなれてしまった。)「全く腹が立つわ。切り分けてもすぐにまたくっついてしまう!」とアリスが答える。  

 PS1:なぜ切り分けてもすぐにくっつくのか、不明である。  

 ユニコーンが意見を挟む。「鏡の国のケーキの扱い方をお前は知らない。まず配ってその後、切り分けるんだ。」と。馬鹿らしいとアリスは思ったが、彼女が丸皿を運んで歩くとケーキは自動的に三つに割れた。ユニコーン、ライオン、王様がケーキを取る。アリスが空の丸皿をもって戻ると「さあ、今、切るんだ」とライオンが言う。彼女はどうやるのか途方にくれナイフを持ったままでいる。  

 PS2:鏡の国のケーキは時間的にあべこべなのだ。しかし単なるフィルムの逆回しではない。フィルムの逆回しならアリスが戻ったとき切り分けられる前のケーキが丸皿の上に残っているはずである。鏡の国では切り分けられたケーキが切り分ける前に存在するが、切り分けるときにはケーキがない。フィルムの逆回しでも切り分けられたケーキが切り分ける前に存在する。しかし鏡の国とは異なり切り分けるときにはケーキがある。

        イラスト: 空想上の怪物女の子


座標上の異なる点である「抽象的な場所」と様々な「具体的な場所」との混同(GLASS7-16)

2009-12-13 12:52:09 | Weblog
 ライオンとユニコーンが戦いの休憩中に言い争いをする。「俺がわけなく勝つだろうよ」とライオンが言う。「さあ、どうかな」とユニコーン。「なんだと、俺はお前を町中で all round the town 負かしたぞ、臆病者!」とライオンが怒る。ここで白の王様が口論をやめさせようと間に入る。彼はビクビクしており声は震えている。

 PS1:ここまでの展開は至極普通。ところが王様が口論をやめさせようとした理由が普通でない。彼はライオンに問いただしたいことがあったのである。王様の議論を聞いてみよう。

 「町中?」と王様が尋ねる。「それは相当な道のりだ。あの古い橋を渡ったのか、それとも広場を通って行ったのか?古い橋からの眺めが一番だ。」と彼が続ける。ライオンは怒って「そんなこと知るもんか」と吼える。ユニコーンとの戦いでは埃が舞い上がっていたのでライオンは「埃がひどすぎて何も見えなかった」と言う。

 PS2:「町中」とは“町のいたるところ”であるが、普通、“いたるところ”が具体的にどの場所であるかを問うことはない。つまり“いたるところ”とは町の範囲内の様々の「抽象的な場所」であって「具体的な場所」ではない。ユニコーンと王様とのやり取りでは座標上の異なる点としての「抽象的な場所」と様々な風景を示す「具体的な場所」とが混同されている。