鏡の国のアリス:短評

鏡の国のアリスの本を読みながら短評をする

羊の店にいたのに突然、川のボートの上にいる(GLASS5-22)

2008-10-28 21:58:22 | Weblog
「ボートを漕げるかい?」と羊がアリスにたずねる。そして一組の編棒を手渡す。「ええ、少し。でも陸の上では漕げない。編棒では漕げない。」とアリスが答える。その時、突然、彼女の手にある編棒がオールに変わる。また自分がボートに乗って両岸の間を進んでいると気づく。かくて今やアリスは一生懸命漕ぐしかない。
 PS:アリスは羊の店にいたのに突然、川のボートの上にいる。アリスは一瞬戸惑うがこわがったりしない。鏡の国では変わったことがしょっちゅう起こるので彼女は事態を素直に受け入れ潔い。

14組の編棒を使って編物をする(GLASS5-21)

2008-10-23 21:28:49 | Weblog
 羊は編物をし続けている。しかしその時、羊は一度に14組の編棒を使っていた。アリスはびっくりして羊を見る。「どうやって羊はそんなにたくさんの編棒で編めるのかしら?」と。
 PS1:これがアリスの最初の感想。続いて彼女が第2の感想を述べる。

 アリスがつぶやく。「この人、どんどんヤマアラシに似てくるわ!」と。
 PS2:編物から14組つまり28本の編棒が突き出しているのだから、これは確かにヤマアラシのようである。

独楽のような子供(GLASS5-20)

2008-10-23 20:55:03 | Weblog
羊の不思議な店でアリスに対して羊がたずねる。「お前は子どもかい、それとも独楽 a teetotum かい?」と。
PS:羊はなぜ、こう質問したのか?一瞬、唐突な感じがする。それはおそらくアリスが棚の上の逃げ回る品物を追いかけたとき、ただ目で追うだけでなく動き回って追いかけたからだろう。羊はだからお前は独楽のようだと言ったのである。日本語にも「独楽鼠」という言葉があるのを思い出す。

そして羊が付け加える。「お前がそのようにぐるぐる回り続けていたら私は直に目が回ってしまう」と。

「鏡の国」の店の品物の5つの規則(GLASS5-19)

2008-10-19 23:55:12 | Weblog
 店の品物がアリスの視線を逃れて動き回る(=逃げ回る)。中でも1分以上目で追いかけたのに結局、いつもすぐ上の棚に逃げてしまう大きな光るものに対しアリスが「これが一番腹が立つわ」と言う。その時、彼女に名案が浮かぶ。「一番上の棚まで追い詰めてやる。天井を通り抜けられなくなって困るはずだわ!」と。
 PS1:このアリスの名案は「鏡の国」の店の品物に関する規則、つまり①店の品物はアリスの視線に気づき逃げ回る、②この店には上の棚に逃げる品物がある、この2つの規則からすれば妥当である。かの大きな光るものを天井まで追い詰めてそれ以上、上に逃げられないようにすればそれを視線のうちにとらえられるはずである。

 ところがこの計画も失敗する。その品物は音もたてず天井を通り抜けてしまったのである。
 PS3:「鏡の国」の店の品物には3つ目の規則がある。③店の品物は天井を通り抜けることができる。かくてどの棚も何が載っているのかといくら一生懸命見ても上に逃げる品物については決してそれが何であるか正確にわからない。
 PS4:しかしさらに④この店には下の棚に逃げる品物がある、⑤店の品物は床面を通り抜けることができるという追加規則があるはずである。この5つの規則があれば、「鏡の国」の店でアリスが棚に何が載っているか一生懸命見ると、その棚は全く空になってしまい、周りの他の棚ばかり品物が詰まっているという事態が起きる。

アリスの視線を逃れて品物が動き回る=逃げ回る(GLASS5-18)

2008-10-14 23:30:03 | Weblog
お店の中は珍しいものでいっぱいのようだった。ところが変なのは、どの棚も何が載っているのかと一生懸命見ると、その棚はいつも全く空になってしまい、周りの他の棚ばかりが溢れるほどに品物が詰まっているのである。
 PS:これは何を意味するのだろうか?見るとその品物が見えないのはなぜか?原因は二つ考えられる。①見ている側のアリスの目が変になって周辺は見えるのに中心が見えなくなるのか。だがアリスにそうした病的な兆候はない。彼女の目は正常である。とすれば②店の品物はアリスの視線に気づくことができアリスの視線を逃れて動き回る(=逃げ回る)と考えるしかない。

 かくてアリスが言う。「品物がここではずいぶん動き回るのね!」と。アリスは実際、人形に見えたり針箱に見えたりする大きな光るものを、1分以上目で追いかけたが、結局それはアリスが見る棚にあることがなく、いつもすぐ上の棚にあるのだった。


日常的現実の立場:鏡の国にいるのは反アリスでなくアリスである(GLASS5-17)

2008-10-13 19:27:49 | Weblog

 羊の店についてテニエルによる挿絵がある。棚に“お茶2シリング”と書いた掲示が描かれている。ところがそれは左右が逆の鏡文字である。これについてどう解釈すべきだろうか? 鏡の国では字はすべて鏡文字に書くはずである。なぜなら鏡の国なのだから。しかし鏡の国の住人は彼自身が左右逆だから鏡文字は普通の文字に見えるはずである。実際、他の挿絵では文字は普通に書かれている。例えば「第9章女王アリス」にある挿絵ではドアに左右逆ではない普通の文字で QUEEN ALICE とある。 ではなぜ羊の店の“お茶2シリング”の掲示の文字は左右逆なのだろうか?羊の立場ならその文字は左右逆ではなく普通に書かれているはずである。ところが文字は左右逆に書かれているからこの挿絵は日常的現実の住人の立場に立っている。 ここから2つの可能性が考えられる。ひとつは、この挿絵を描いた日常的現実の挿絵画家テニエルの立場から見た店の様子である。もうひとつは、鏡の国いるアリスが鏡の国の住人になりきっていない、つまり反アリスでないために、彼女に見える世界である。反アリス(鏡の国に属する)でないアリス(日常的現実に属する)の立場から店を見れば、文字は左右逆の鏡文字になるのである。 後者の可能性をとればこの挿絵にいるアリスは鏡の国に属する反アリスでなく日常的現実に属するアリスである。アリスは鏡の国にいるのにそこの住人ではなくあくまで余所者である。

イラスト: ヒツジのお店

 


自分の周りを全部 見る:「時間をかけて」or「同時的に」(GLASS5-16)

2008-10-13 17:32:10 | Weblog
「何か買いたいのものはあるのか?」と羊がアリスにたずねる。アリスが「まだわかりません。まず自分の周りを全部 all round me 見てからです。もし見ていいのでしたら!」と言う。
 PS1:ここまでは普通のやり取り。ところがこのあと羊は変わった対応をする。

 「お前の前側と、両側を見てもよい。もし見たかったら!」と羊が言う。そして補足する。「お前が自分の周りを全部 all round me 見ることはできない。頭の後ろに目がないとしたら!」と。
 PS2:自分の周りを全部 all round me 見るとは普通は「時間をかけて」である。ところが羊は「同時的に」そうすると考えている。かくてアリスは次のようにする。

 アリスは頭の後ろに目がないので、後ろ側にある棚を見るために後ろを振り向くことで満足したのだった。


白の女王がアリスの目の前で羊へと変化する(GLASS5-15)

2008-10-12 10:51:49 | Weblog
さてここでアリスは白の女王の後について小川を渡る。キャロルによる鏡の国の設定として小川を渡ることはチェスの新しい目に移ることである。かくて情景は一変する。
PS1: この情景の転換の様子をキャロルは上手に描く。以下それを見てみよう。

アリスが「女王様の指の怪我がまえよりベターになってるといいと思います」と言うと、女王が「とてもベター! much better 」と叫ぶ。彼女の声はだんだんと金切り声になっていく。「ベエター! Be-etter 」「ベエエエター!Be-e-e-etter 」「ベエエー! Be-e-ehh 」最後の言葉がまるで羊の鳴き声のようだったのでアリスはとても驚く。彼女は女王を見る。女王は突然、羊毛の中にくるまってしまったように見える。アリスは目をこすってもう一度よく見る。何が起きたか彼女には全くわからなかった。アリスは店の中にいる?そしてそしてカウンターの向こうに座っているのは羊?
 PS2:アリスの目の前で聴覚的に声が変化する。そして気づけば視覚的に女王は羊に変化する。アリスがいる場所も戸外から店の内部へと変わる。スムーズで不自然さがない情景の転換である。

 今やアリスは暗い店の中にいて肘をカウンターにつき、もたれている。彼女の前には年寄りの羊がいて、肘掛け椅子にすわり編み物をしている。そして時々編む手をやすめ大きな眼鏡ごしにアリスを見つめる。


鏡の国では“信じる”ために必要なのは練習であって、事実である必要はない(GLASS5-14)

2008-10-05 10:38:50 | Weblog
「一度に二つのことをすることはできない!」と白の女王が言い、アリスが“泣く”のをやめさせようとして、「まずは年齢について考えよう」と“泣くのではないこと”をしようと提案する。「お前はいくつか?」と女王がたずねる。
「正確に exactly 7歳半です」とアリスが答える。「“正確に事実 exactually ”などと言う必要はない」と女王が批判し「そんなことを言わなくても私は信じることができる」と言う。
 PS1:“正確に事実 exactually ”とは不思議な言葉であるがこれは“正確に exactly ”と“事実 actually ”をひとつにした言葉で著者キャロルの造語である。彼はこうした造語を言葉遊びとしてしばしば行う。
 PS2:白の女王はなぜ「“正確に”とか“事実”とか言わなくても信じることができる」と言ったのか?その根拠は何か?彼女のこの後の発言を聞いてみよう。

 「お前に信じるべきこと something to believe を与えよう。私は101歳5か月1日である」と白の女王が言う。アリスが「そんなこと信じられません」と答える。
 PS3:女王は解くべき問題を与えるかのように、アリスに信じるべきことを与えている。これも変である。なぜだろうか?

 白の女王は「信じることができないのか?」とアリスを哀れむ。「もう一度やってみなさい。息を深く吸い込んで、そして目を閉じなさい」と言う。
 PS4:女王はまるで難しい問題を解いたり運動の技を成功するため何度か試すように、何度かやってみれば信じることに成功するかのように言っている。彼女は“信じる”ことをどのようなことと考えているのだろう?

 アリスは笑ってしまう。「もう一度やってみたってダメです。ありえないことを信じることは誰にもできません」と主張する。
 PS5:アリスにとって“信じる”ためには信じるべきことは正確に事実、存在しなければならない。日常世界ではこれは常識である。ところが鏡の国では事情が異なるようである。白の女王の言うことをもう少し聞いてみよう。

 「お前は練習が足りなかったのだ」と女王が断言する。つまりアリスは“信じる”練習が足りなかったと女王は言うのである。
PS6: 白の女王は“信じる”ために必要なのは練習だと言う。それは“嫌いなピーマンが食べられる”ようになるため、または“乗れない自転車に乗れる”ようになるため、練習が必要なのと同じである。鏡の国では“信じるべきこと”と“正確に事実、存在すること”との間につながりがないのである。練習を積んで技能に熟達すれば“信じるべきこと”を与えられたとき、いつでも信じられるのである。練習しておけば“解くべき問題”を与えられたとき解けるのと同じである。

かくて白の女王が次のように言う:「私があなたの年頃には一日30分ずつ“信じる”ための練習をしました。だから時にはなんと6つものありえないことを朝食の前に信じることもできました。」