鏡の国のアリス:短評

鏡の国のアリスの本を読みながら短評をする

名前がないと①代名詞が使えても②直接の出会いの時しかコミュニケーションできない(GLASS3-38)

2008-04-30 22:05:21 | Weblog
「事物に名前がない森」にアリスはやがてたどり着く。彼女は森の中に入ろうとして言う。「さあ入るわ、入るわ、エーと何のなかに入るんだっけ?」と。彼女は名前を思い出せない。また木の幹に手をおいてアリスが言う。「私は下に行くわ、下に行くわ、エーと何の下だっけ?ともかくこれの下!」と。彼女は名前がわからず、木について「これ」と言うのみである。
 さてこの場合、名前がないとはどういうことを意味するのか考えてみよう。①これ、あれ、それなどの代名詞が使えるなら、②二人の人間が共通の環境の中にいれば、つまり彼らが直接出会っていれば、かれらはコミュニケーション可能となる。彼らは“これは面白い”・“それはかわいい”・“あれは美しい”などと言うことできる。つまり共通の環境の中の事物を“これ”・“それ”・“あれ”などと指し示し、それについて述語を与えることができる。したがって彼らはコミュニケーションできる。
 では事物に名前がなく、①これ、あれ、それなどの代名詞しか使えず、しかも②二人の人間が共通の環境の中にいなかったら、彼らは事物についてコミュニケーションできるだろうか。“今、私は森の中にいます。私は木の下にいます。”と手紙に書きたいのに森・木という名前がなかったら何と書いたらよいのか。“今、私はそれの中にいます。私はこれの下にいます。”と書いても相手には何の中にいるのか、何の下にいるのかわからない。
 要するに事物に名前がないときは、①これ、あれ、それなどの代名詞が使えたとしても、②二人の人間が共通の環境の中にいない限りつまり彼らが直接出会っていない限り、コミュニケーションできないことを意味するのである。


自分の名前を失った場合の可能性B:アリスと呼んでみて答えるものがでるまで探す(GLASS3-37)

2008-04-29 10:59:02 | Weblog
「事物に名前がない森」で自分の名前が失われるとどうなるかと考えて次にアリスは「面白いことが起こるはず」と思う。つまりアリスは「自分の昔の名前」を持っている動物を探したら面白いわと思う。要するに「アリス」という名前の動物がいるはずだというのである。一方に名前のない事物(動物を含む)世界があって他方に名前だけ(指し示す事物・動物を持たない)からなる世界があるとの想定がここにはある。しかも事物と名前は引き合うようにできていて、事物から「アリス」の名前が離れて浮遊すればこの「アリス」という名前は新しい事物をさがしだしこれに名前をつけるというのである。かくてアリスが言う。「何でも出会うものごとにアリスと呼んでみて答えるものがでるまで探すって言うのは面白いわ!」と。「それは丁度、迷子犬探しの広告に似てるわ」とアリス。例えば、「その犬は“ダッシュ”と呼べば答えます。そのときは首輪をつけてください」というような広告。
 この後、アリスが付け加える。「利口なものだったらアリスと呼ばれても答えないでしょうね!」と。ここでは「アリスと呼んでみて答えるものがでるまで探す」という面白い試みと、「答えたら首輪をつけてください」という犬探しの広告の話をキャロルが意図的に混同させて読者の笑いを誘っている。

自分の名前を失なった場合の可能性A:①別の名前、②醜い名前、③名前がないまま(GLASS3-36)

2008-04-29 10:14:00 | Weblog
 ブヨがいなくなってアリスは歩き始める。やがて深い森に至る。アリスは森の中に入るのがこわかったが女王になるためには進むほかないと思って前進する。この森は「事物に名前がない森」と言われていた。そこでアリスは「森の中に入ったら私の名前はどうなるのかしら?」と考え始める。まずアリスが思ったのは「自分の名前を失いたくない」ということだった。その理由は2つある。①人々が私に別の名前をつけるだろうがそれはいやだから。アリスは自分の名前を気に入っている。だからアリス以外の別の名前がつけられることがいやなのだ。しかも②その別の名前は醜いに決まってるとアリスは思う。自分の名前がなくなって別の名前になるのはいやだし、そのいやな名前は醜いに決まっているというわけである。しかし③自分に名前がないままという可能性をアリスは考えていない。「事物に名前がない森」では別の名前さえアリスにつかないはずである。そのとき、いったい何が起こるのだろうか。(これについては後述。)

自分のため息で自分自身を吹き飛ばす(GLASS3-35)

2008-04-27 15:31:00 | Weblog
 ブヨが2度目のため息をついたのがアリスには聞こえた。彼女は先ほどまでブヨがとまっていた小枝を見る。ところがそこにはもうブヨがいない。そこでアリスが奇妙な推論をする。「あのかわいそうなブヨは自分のため息で自分自身を吹き飛ばしてしまったんだわ」と。これが本当かどうかはわからない。しかしアリスにはブヨの受けた打撃がよほど大変なものと思われたのである。

ブヨの不幸の原因はしゃれではなくアリスの発言である(GLASS3-34)

2008-04-27 15:18:40 | Weblog
 アリスに「ひどいしゃれだわ」と言われてブヨは深いため息をつき大きな涙を二つ流す。それを見てアリスがブヨを慰める。「あなたはしゃれを言うべきじゃなかった。それがあなたをそんなに不幸にするなら」と。アリスは不思議な女の子である。ブヨを不幸にしたのは直接にはしゃれではなくアリスの非難なのに、アリスはしゃれが不幸の原因としか思わない。もしブヨのしゃれをアリスがほめていればブヨは幸福になるからしゃれは幸福の原因となる。しゃれでなくアリスの発言が幸福or不幸の原因である。

ミス Miss と呼ぶなら、勉強はムシ(無視) miss (GLASS3-33)

2008-04-27 01:59:02 | Weblog
「家庭教師が君をミス Miss って呼ぶのなら、君は勉強をムシ(無視) miss だってしゃれを言ってみたらよかったのに」とブヨがアリスに言う。英語なら she said‘Miss’に対し you'd miss your lessons と応じるのだから確かにしゃれになる。しかし日本語だとミス Miss に対しムシ(無視) miss だからしゃれとしてはちょっと無理かな?アリスはこの英語のしゃれについてさえ評価が厳しい。「ひどいしゃれだわ」と一刀両断である。

名前アリス、『お嬢さん』 Miss の語、犬に指示を伝える紐は同じ働きをする(GLASS3-32)

2008-04-26 02:31:20 | Weblog
 ブヨが突然アリスに「君は名前をなくしたくないだろうね」と言う。「もちろん名前がなくなるなんていやよ」とアリスが答える。「でも君に名前がなかったら家庭教師が勉強させるため君を呼ぶことができなくなるから、君は本当は名前がないほうがいいと思ってるんじゃないか?」とブヨが疑う。ところがアリスは賢い。「家庭教師は私の名前を知らなくたって、召使と同じように『お嬢さん』 Miss! って私を呼ぶから勉強しないですむなんてことないわ」と言う。固有名詞としての名前、例えば「アリス」がなくても、その人に呼びかける言い方がある。これはアリスの言うとおり。
 ところがこのことは犬などには当てはまらない。犬は固有名詞としての名前、例えばポチと呼ばれなければ反応しない。もちろんいざとなれば犬の首に紐をつけ紐を引っ張っていうことをきかせることができる。だから犬の場合、固有名詞としての名前がなくても、その犬に指示を伝える紐という手段がある。人・犬の名前である固有名詞、人に呼びかける『お嬢さん』 Miss の語、犬に指示を伝える紐は実は同じ働きをするのである。

鏡の国でバタつきパン蝶は餌がなくてしょっちゅう死ぬ(GLASS3-31)

2008-04-24 22:23:35 | Weblog
  アリスが鏡の国のバタつきパン蝶について「それは何を食べて生きてるの?」と質問。ブヨが「クリーム入りの薄いお茶」だと答える。この答えを聞いてアリスはわからなくなる。おそらくそのお茶がずいぶん変わったものでそう簡単に見つけられそうもないと彼女が思ったからだろう。「そういうお茶をもし見つけられなかったらその蝶はどうなるの?」と彼女がたずねる。
 「もちろん死ぬ」とブヨ。「でもそれってしょっちゅう起こるに違いないわ」とアリスが言う。「しょっちゅう起こるさ」とブヨが答える。この後、アリスはしばらく黙り考え込む。鏡の国ではバタつきパン蝶が食べるものを見つけられずしょっちゅう死ぬと聞き彼女はひど過ぎると思ったにちがいない。アリスは心優しい。
 ところがブヨはその間、アリスの頭の周りをブンブン飛んで遊んでいた。ブヨがずいぶん冷たいように見えるがそれは違うだろう。鏡の国ではブヨにとって当たり前の出来事なのでまさかアリスが驚いて黙り込んだとは理解できなかったに違いない。アリスが相手をしてくれなくなったのでブヨはただブンブン飛んで遊んでいるしかなかったのである。

鏡の国のバタつきパン蝶(GLASS3-30)

2008-04-24 21:37:03 | Weblog

アリスが現実の世界について「バタフライ(蝶) Butterfly がいるわ」と言う。すると鏡の世界のブヨが応じる。「ほらそこにブレッド・ン・バタフライ(バタつきパン蝶) Bread-and-Butterfly がいるよ」と。バタつきパン蝶がどういうものかというと「その羽はバタつきパン Bread-and-butter の薄いスライス、体はパンの皮、頭は角砂糖」とブヨが説明する。ここにもまたキャロルのしゃれがある。現実世界の“Butter”と鏡の国の “Bread-and-Butter” とが対照されている。とてもわかりやすい。

イラスト: バタつきバンチョウ


虫が火の中に飛び込む理由(GLASS3-29)

2008-04-23 22:11:07 | Weblog
 鏡の国で、スナップトンボ a Snap-dragon-fly の頭が燃えているのを見てアリスがつぶやく。「虫が火の中に飛び込むのが好きなのはきっとスナップトンボになりたいって思うからだ」と。頭を燃やせば確かにその虫はスナップトンボと同じ姿になる。アリスの考えは「虫が火の中に飛び込む」ことの説明のひとつとして可能かもしれない。