鏡の国のアリス:短評

鏡の国のアリスの本を読みながら短評をする

『セイウチと大工』⑤⑥:メイド7人では浜辺の砂を片付けらない(GLASS4-13)

2008-05-30 00:34:05 | Weblog
 ⑤7人のメイドが7本のモップで、砂を仮にだが半年掃いた
  君はメイドたちは砂を片付けられると思うかと、セイウチが聞いた
  さあどうだろうと大工が言い、苦い涙を拭いた

 ⑥牡蠣くん、来て一緒に歩こうと、セイウチの頼み
  愉快に散歩し、愉快に会話し、潮のなぎさの楽しみ
  ただし4人以上は無理だ、それぞれと手をつなぐ試み

 PS1:砂が嫌いなセイウチと大工が、砂を取り除ける方法を考えたが、浜辺の砂全部をたった7人のメイドで片付けるなんて半年かけたって無理に決まっている。大工が失望して泣くのは当然である。
 PS2:4人以上の牡蠣と散歩ができないという理由は正しい。例えば小さい子供と歩くとき危険を避けるためそれぞれと手をつながなければならない。大人2人では子供4人が一緒に歩ける最大人数である。手をつないで歩くとしたらセイウチと大工の2人では一緒に散歩できるのは牡蠣4人までである。
 PS3:脚韻は⑤では、掃いた・聞いた・拭いた year, clear, tear である。⑥では、頼み・楽しみ・試み beseech, beach, each である。


『セイウチと大工』 ③④:水が湿っている&砂が乾いている等々(GLASS4-12)

2008-05-26 00:23:03 | Weblog

 ③海は湿って、それ以上湿れない、砂は乾いて、それ以上乾けない  人は雲を見つけられない、理由は雲が空にない  どんな鳥も頭上を飛んでない、というのも飛ぶ鳥がいない  ④セイウチと大工が歩いている、手の届くほどでくっつくばかり  彼らはむやみに泣いた、見えるのがあまりにたくさん砂ばかり  「もし砂が取り除けられさえしたら」と彼らが言った、「それは心浮き立つばかり!」  PS1:海がありったけ湿っているのは水だからである。しかし砂がそれ以上乾けないだけ乾いているのは、水が湿っているのとは意味が違う。水は本来的に湿っているが、砂は本来的に乾いているわけではなく、ここでたまたま乾いているだけである。 PS2:雲が空になければ雲を見ることはできない。これは事実の継起的関係として正しい。ビンの中にママレードがなければママレードを食べることができないのと同じである。さて飛ぶ鳥がいないから鳥が飛んでいないのは正しいが、これは事実の継起的関係として正しいのではない。飛ぶ鳥がいないことと、鳥が飛んでいないこととは、同一の事態を言い換えただけである。トートロジーとして二つの言明が等値されているという意味で正しいのである。 PS3:セイウチと大工についてわかるのは、彼らが砂を嫌っていることである。だから砂ばかりだと知って彼らは泣き、砂を取り除けたいと思うのだ。 PS4:脚韻は③では、乾けない・空にない・いない dry, sky, fly である。④では、くっつくばかり・砂ばかり・心浮き立つばかり hand, sand, grand である。

イラスト: 大工とセイウチ


『セイウチと大工』①②:太陽が夜輝き月が怒る(GLASS4-11)

2008-05-22 22:39:10 | Weblog
 さてトイードルディーが『セイウチと大工』 The Walrus and the Carpenter の詩の暗唱を始めた。
 
 ①太陽が輝いている、海の上、輝いている、力の限りに
  彼はベストを尽くして変えた、大波をすべすべの光に
  そしてこれは奇妙だった、理由は時間で、夜の真っ盛りに

 ②月が輝いているむっつりと、理由は彼女の考えでは太陽なんて
  出る幕でない、一日が終わった後になんて
  「無作法すぎる太陽は」と月が言った、「現れて人の楽しみ駄目にするなんて!」

 PS1:太陽が真夜中に輝くのは確かに奇妙。そして月が怒る理由はもっともで、太陽は無作法である。
 PS2:脚韻は①では、限りに・光に・盛りに might, bright, night である。②では、太陽なんて・後になんて・するなんて sun, done, fun である。



現実の否定・逆:「鏡の国」(GLASS4-10)

2008-05-18 23:30:29 | Weblog
 アリスが言う。「あなた方が疲れてないといいんですけど」と。トイードルダムが答える。「全然疲れてない Nohow ! たずねてくれてありがとう」と。トイードルディーが次に言う。「ご親切に感謝する」と。さてトイードルダムはしばしば「全然 Nohow !」と否定の答えをする。あたかも鏡像が現実の否定であるかのように。またここでは言わなかったがトイードルディーはしばしば「逆だ、逆だ Contrariwise !」と言う。これはあたかも鏡像が現実の逆になることと関係しているように思える。二人は「鏡の国」の住人である。


握手・初めまして・ダンスという順序(GLASS4-9)

2008-05-18 23:02:44 | Weblog
 ダンスが終わるとアリスとトイードルダム、トイードルディーは互いに手を離す。しかし気まずい沈黙。ダンスをすでにしてしまったのでアリスが独り言を言う。「いまさら『初めまして』とも言えないわ。それより先の状況に私たちはもう来てるわ」と。初対面の場合、まず互いに握手をする、初めましての挨拶、そしてダンスという順序が普通だとの考えがアリスにはある。アリスは常識家である。

音楽とダンスは一体であり因果関係にはない(GLASS4-8)

2008-05-18 22:27:27 | Weblog
  トイードルダムとトイードルディーと握手をして3人が輪のような形になったからといってまさかその後、踊ることになるとは実はアリスも思っていなかったようである。だから彼女が言う。「私が“桑の木回ろう Here we go round the mulberry bush ”を一人うたってるのに気づいたときおかしくなったわ funny 」と。しかも「いつ歌い始めたかわからないくらい長く歌っていた気がした」とのこと。他の二人は太っていたのですぐに息が切れてしまう。「一回のダンスで4回まわれば十分だ」とトイードルダムが言い彼らはダンスを突然やめる。すると同時に音楽も止んだ。
 さてここで疑問がわく。これまで音楽が聞こえたからダンスを始めたかのように述べてきたが今気づくのは音楽とダンスは因果関係にないのではないかとの疑問である。音楽とダンスは同時であり一体であるように思われる。



現実とその鏡像の現実化が双子を生み出す(GLASS4-7-2)

2008-05-17 09:42:41 | Weblog
アリスが二人の双子と握手したときの“5つの変な事態”について検討しよう。
 ①トイードルダムとトイードルディーがハグしあう必要がないのにハグする件だが、これは鏡を意識しているものと思われる。二人のハグは寄り添うまたは肩を組む程度のものである。それは鏡に体の側面をくっつけたときに現実の身体とその鏡像が作り出す形象である。二人は「鏡の国」の住人である。
 ①-2 そもそもこのそっくりの二人の存在自体が現実とその鏡像のイメージの延長上にあると思われる。ここは「鏡の国」なので鏡像が現実となり、二つの現実としての双子が存在すると言える。
 ②握手を求める二人がなぜか同時に手を差し出す件だが、二人が現実とその鏡像の現実化として存在するなら、彼らが左右対称に行為するのは基本的パターンのはずである。だから握手を求める二人は同時に手を差し出す。しかも彼らは左右対称に各人が外側の手を出すのである。
 ③アリスが同時に両手で握手する件は、アリスが本当にもう一方の者の気持ちを傷つけないように両者と同時に握手したのかもしれない。
 ④必要がないのに3人が踊りだした件だが、確かに握手をしたとき3人は輪のような形になる。だからここで踊る必要はないが踊りの音楽が流れてくれば踊るかもしれない。
 ⑤木の枝どうしがお互いにこすりっこして音を出す。これは現実世界では謎であり説明がつかない。しかし「鏡の国」は現実世界ではないからこういうことが起きても変でないかもしれない。

5つの変な事態:二人が同時に手を差し出すなど(GLASS4-7)

2008-05-16 23:43:48 | Weblog
アリスが初対面の挨拶をしないことに二人は怒っていたので「お前は最初から間違ってる!」とトイードルダムが叫ぶ。そして「人を訪ねたらまず最初に『初めまして!』と言って握手するのだ」と言う。
 ここでトイードルダムとトイードルディーは互いにハグし、自由になる手を2本アリスと握手するため差し出す。二人は変である。①なぜアリスと握手する前に二人がハグしあう必要がないからである。二人はおかしい。
 さらに②どうして二人が同時に手を差し出すのか。順番に手を差し出すのが普通ではないのか。彼らは変である。
 これに対してアリスの反応はどちらか一方と握手するともう一方の者の気持ちを傷つけるので、そうしないために彼女は両者と同時に握手する。③この場合、アリスも変である。弁解・説明をした上で普通は順番に握手すればよいはずである。それを同時に二人と握手するとは変である。
 さて次の瞬間アリスたち3人は丸くなって踊りだした。その理由は頭上にある木から音楽が聞こえてきたからである。ここでも④3人が丸くなって踊りだすとは変である。アリスが同時に二人と握手し3人が手をつないだからといってまた音楽が聞こえてきたからといって踊らなくてもいいのだから。
 また⑤木から音楽が聞こえてきたのもありえない変なことである。木の枝どうしがヴァイオリンと弓みたいにお互いにこすりっこして音を出していたという。
 かくてここには変な事態が5つ起きている。①ハグしあう必要がないのにハグしてる、②握手を求める二人が同時に手を差し出す、③アリスがこの二人と同時に両手で握手する、④必要がないのに3人が踊りだした、⑤木の枝どうしがこすりっこして音を出す。

アリスは失礼・軽率・生意気である(GLASS4-6)

2008-05-14 22:49:17 | Weblog
 アリスが「この森を抜ける道を教えてください」と頼んでもトイードルダムとトイードルディーは互いににやりと笑うだけで何も答えない。その理由はあとで明らかになるがアリスが初対面の挨拶さえしないことに二人は怒っていたのである。しかしアリスは彼らの怒りに気づかない。それどころか彼らが大きな小学生のような服装をしていたので失礼にも「はい、君!」「次の君!」とか呼んでますます怒らせる。アリスは軽率としか言いようがない。さらに見ず知らずの大人に対し子供である女の子がこのような態度をとるとは生意気とさえ言うことできる。

①過去についての判断、②仮定の判断、③現在の事実の判断(GLASS4-5)

2008-05-11 11:31:10 | Weblog
 トイードルダムがアリスに言う。「お前が何について考えてるかわかってるぞ」と。さらに言う。「だがそれはそうじゃない、絶対にそうじゃない but it isn't so, nohow. 」と。つまり彼はアリスに、そんなことを考えるのは間違っている、絶対に間違っていると言った。
 「逆も逆に Contrariwise 」とトイードルディーが続ける。つまり彼はトイードルダムに味方してアリスの考えは間違っていると主張。その理由を彼が説明する。「それがそうだったらそうだったかもしれない if it was so, it might be ; それが仮にそうだったらそうであるだろう if it were so, it would be ; しかしそれがそうではないのだからそれはそうじゃない but as it isn't, it ain't;  これが論理というもの!」と。
 彼は何が言いたいのだろうか?①過去の時点についての判断、“アリスの考えが正しかったならそれは正しかった。”これは「真」である。(ただし今問題になっているのは現在である。だからこれは現在のアリスの考えが正しいかどうかとは関係ない。)
 ②仮定の議論における判断、“アリスの考えが正しいとするならそれは正しい。”これは「真」である。(ただし今問題なのは仮定でなく事実である。だからこれは現在のアリスの考えが正しいかどうかという事実とは関係ない。)
 ③アリスの考えが現在の事実そのものとして間違っている、だから“アリスの考えが間違っている”と判断する。この判断は「真」である。
 この①②③の判断はどれも「真」だから確かにトイードルディーのいうとおり「論理」である。
 しかしここで問題なのは実はトイードルダムとトイードルディーの気持ちである。ともかく二人はアリスが今考えている内容について気に入らないのである。実際アリスはこの二人に興味があるわけでなく、だから初対面の挨拶をすることさえなかった。今やアリスは二人の気持ちに気づき始めおずおずと very politely たずねる。「この森を抜けるにはどの道をいくのが一番いいですか?日が暮れてきたし、どうぞ教えてください」と。このアリスの考えをトイードルダムは最初からわかっていて「お前が何について考えてるかわかってるぞ」と言ったのだろう。