鏡の国のアリス:短評

鏡の国のアリスの本を読みながら短評をする

アリスは鏡像として映っているのでなく、現実のアリスとして鏡(の国)の中に存在する(GLASS1-11)

2011-04-17 20:57:59 | Weblog
 アリスが言う。「私が鏡の向こうのここ、内部にいるのをみんなが見ても、私のところまで来れないとしたら、何て愉快かしら!」と。

 PS1:アリスの発言の原文は次の通り。Oh, what fun it'll be when they see me through the glass in here and can't get at me. ここで注意すべきは、この文章は“アリスが鏡を通り抜けるのを見た”場合と言っているのではないことである。“アリスが鏡の向こうのここ内部にいるを見た”場合と言っているのだ。
 日常の現実の中に生きる人は鏡像しか知らない。「鏡像」とは別に「鏡の国」があることを知らない。
 とすれば鏡像の内部に、映るはずのないアリスがいたら、仰天するに決まっている。
 しかも日常の現実では鏡像の中に入ることができない。鏡の国の中にいるアリスのところまでは絶対に来れない。だから「何て愉快かしら!」とアリスは思うのだ。
 
 PS2:日常の現実の中に生きる人はアリスが鏡像の中にいると思う。
 しかしアリスは鏡像の中にいるのでなく鏡の国の現実の中にいる。鏡像は視覚にしか存在しない。鏡像は味覚、嗅覚、触覚、聴覚について何も語らない。これに対し鏡の国は五感に開かれている。(GLASS1-9,10参照)
 日常の現実に生きる者は、鏡の国の現実が存在することを理解できない。
 アリスがいるのは「鏡像」の中でなく、「鏡の国」の中である。アリスは鏡像として映っているのでなく、現実のアリスとして鏡(の国)の中に存在する。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿